2008年5月14日水曜日

ごきげんな休日

昔から好きな新書だが、ここ数年、タイトルだけがコピーとして秀逸で、実際読んでみたらあまり面白くないものが多いように思う。どの出版社も新書に手を出しすぎた結果だとは思うが、昔の岩波新書、中公新書のような、タイトルには何の工夫もないが、中身が濃い書籍を多く読みたいものだ。

今の新書について個人的相性が悪いだけかとも思っていたのだが、そうでもないみたいだ。
なぜなら、ほとんどの新書が立ち読みで事足りるからだ。

以前は新書を立ち読みする気はなく、家でしっかり咀嚼しながら読んでいたのだが、最近はコピーにつられ、手にとって10分くらいで斜め読み立ち読みで事足りてしまう。
トピック自体は面白いのだが、トピック周辺への広げ方が中途半端というか、無理やり分量を稼ぐための周辺知識をいれたかと思えば、大事な部分のことについての言及が筆足らずであったり、何だか、」仕事として、こなされているという感じを受ける。

そんな昨今の俺と新書の相性であるが、今日の本屋で気になる新刊新書があった。『ホロコースト』(中公だったか?)というタイトルのナチとユダヤ人トピックのものだ。
タイトルが何の工夫もないのが逆に事の重大性を際立たせている。購入予定で他書籍をあたっているうちに、リスト漏れしてしまったのだが、次回は優先購入しようと思う。

今日買ったのは、『日本の近代』福田和也(新潮新書)。

福田和也さんの著作はほとんど読んだのだが、世間のインテリ受けしている評価の割には、結構やっつけ仕事らしき著作も多々あり、だまされた!と思ったことも多々ある方だ。セレブ視点がサブカルに手を出したりするくだりが露呈した作品は、結構うざい!

それでも、氏の歴史書は結構好きで読んでいる。文芸評論家の福田氏が書く歴史書は、歴史家にはない面白さがある。時間の流れの捉え方が広くて、人間的とでも言えばよいのだろうか?なんか、そんな感じがする。石原莞爾に関する著作は、歴史嫌いの俺でも入っていけた。相変わらず量産体制の氏の著作は、とりあえず読んでみるようにしている。

夜は「ほうるもん」のバンド練習。今週土曜日にライブを控え、ラストリハだ。
前回1月末のライブ以降、5曲を作り今回に臨む。既存曲も組曲に仕立てたり解体したり、色々工夫をしている。

西成のおっさんを想定して詞を作った「あさぼらけ」、ダンス天国風味の「糸と月」、7拍子が魔法をかける「いろはにほへと」、冒険的な要素もあるが、バンドカラーとしては馴染んでいるものばかりを用意した。だいぶカラーが出てきた気がする。

毎回思うのだが、新曲の披露する時というのは難しい。曲が生まれて、とりあえず形になり、だんだん熟してくる。その熟し方がピークに達する直前に披露できるのが1番理想なのだが、少し遅れると熟しきってしまい、また長い熟成準備期間の停滞が訪れる。

1度形になった曲を何度もやりこむことで、とりあえずの演奏力は上がっていくのだが、しばらくすると、その曲を演奏する温度が確実に低くなることがある。そこで一部の曲は消えてしまったりする。

幸いにして残った曲は、いったん冷めた温度ではあるが、その中でもじっくり育まれ、徐々に最初の形とは違った色合いを内包して成長していく。そして、最初の温度とは違った高濃度の温もりを持って、燦然と輝くことになる。この発育過程に何度も載せられる曲が、バンドの代表曲になるのであろう。

とりあえず今回のライブの新曲は、第一次段階の熟れ頃に行われる。危なかしくてスマートではないが、いい演奏が出来そうな気がしている。

チープハンズの方は、志知君の闘病の回復次第になる。須佐君からも最近は連絡がない。ふれでいはアルカリムッシュで邁進中だ。色々熟す工程に乗せたい曲が多数あるので、メンバーの環境が整うことを願う。

四川での地震のニュース、硫化水素での自殺者のニュース、全くもって対岸の火事だ。いや、対岸自体も認識していないような気がする。

目前に迫ったライブ、目の前の読みたい本、明日の仕事、自己の興味と利害中心で休日を終える。目の前の事だけしか見えない俺は想像力が欠如しているのかもしれない。でも今の俺の人格はこんなもんだろうと思う。

なんだかごきげんな休日だ。こんな風に消光している。

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