2008年5月25日日曜日

高校野球観戦

中間テストもおおかた終わり、今日の自習室は空き空き。出勤とはいうものの、自習室開放と電話番目的であり、穏やかな日曜日。この業界のこの時期は、1年で1番落ち着いていて楽だ。

わが塾の隣では高校野球の練習試合が頻繁にあり、今日は絶好の観戦日和。2階の窓から堪能した。

ちょうど練習試合のチームが、前職場で教えていた子がいる学校で、久々の再会。2年見ない間に、すっかりおっさん顔。高校生時期には、一気に子どもっぽさが抜けて、かっこいい雰囲気になってくる。

進学校同士の対決だが、考える野球を見るのは楽しい。体が特別大きいわけでもなく、練習時間も限られた中で、しっかり野球をするためには、日々の練習に工夫を凝らしているのだろう。

わが塾横の高校の練習を見ていて、いつも思うのだが、非常に練習密度が濃い。集中力がすさまじく、目的意識がはっきりしている練習を見るのは気持ちよい。

キャッチボール1つにしても、全員が、試合での捕球場面を想定した動きであり、捕ってから投げるまでの動きも素早い。一般的な全体練習はごくわずかで、それぞれの立場ごとに、細かな練習がなされている。バントをひたすら練習する者、ゴロの捕球だけを練習する者、自分のポジションと役割をよく理解し、練習時の目つきはすごく真剣だ。

甲子園に出場したチームとは思えないほど体は小さいし、すごいピッチャーがいるわけでもない。ところが試合になったら、ずるくてそつのない野球が出来るのは、日頃の練習の成果だろう。見ていて本当に気持ちよいチームだ。

わが高校野球児時代を振り返ってみて、非常に反省することも多い。もっと目的意識を持って練習しておけばよかったと思っている。

とはいったものの、大阪の高校野球は、化け物みたいな選手を擁した私立がごろごろある。いくらチーム力が高くても、個人能力の差が違いすぎて、冗談でも甲子園を目指すなんて言葉は出てこなかった。最初から負け組みだったのだ。ひと夏の思い出作り、不謹慎にも俺はそう考えていた。

「何食べてるねん!」というくらい体がでかい奴らが、3回戦クラスのチームにもごろごろいたし、私立の甲子園行く可能性があるチームの奴の打球なんて、守りたくないくらい速かった。

俺の高校は運がよかった。3年生の大会では、激戦大阪で3回勝ったのだ。地方の大会なら準決勝戦に行くくらいだ。
負けた瞬間、みんな泣いていた。悔しがって泣くのは強い奴らがする泣き方で、俺は違った。今まで練習してきたしんどさから開放されることへの嬉し涙も混じっていたような気がする。負けた悔しさは全くなかった記憶がある。嬉しい安心泣きを悲しい泣き顔に、周囲を窺いながら加工していた。

迷子になった子どもが、お母さんに出会った瞬間に流す涙と同じ性質のものだったと思う。

俺の高校はさらに運がよいことがあった。大阪大会の開会式の並びが、2年の時は、立浪選手がいたPLの横、3年の時は、元木選手のいた上宮の横だったのだ。種田選手もいたが、当時からミラクルなオーラが出ていた。

激戦区の雄たるチームの奴らは、出ている雰囲気が違う。体つきも同じ高校生とは思えない。「相手も同じ高校生だ。勝てないはずがない。思い切っていけ!」という大人の指導者の檄を、「んなあほな!大人は嘘つきだ」と冷めて聞いていた記憶がある。

同じ土俵というよりは、一種の年長者へ抱く憧れみたいなものを感じて、彼らの動きに見とれていた気がする。勝てるわけがない。他の部員には申し訳ないが、俺は戦意よりも観光気分の方が大きかった気がする。

入場行進は面白かった。高校野球の追っかけギャルの黄色い声援とカメラのフラッシュが、俺たちの前では異常に飛び交う。そして俺たちを避けるように素通りしていく。人気というものの絶対的な差を感じ、清清しくさえあった。

この体験はバンドにも生かされている。対バンの客が自分たちに冷たい時ほど、不思議と冷静でいられる。戦う気はないのだ。逆に好意的に見られると変な意識が出る。照れるのだ。俺は高校野球で負け犬根性を培った気がする。

今日の高校野球観戦、負け犬根性がない高校生の息吹を堪能し、少しは強い犬になった気がする。

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