2008年5月12日月曜日

先達に抱く感情

昨日は午前中に図書館に本を返却し出勤した。県内で俺が利用したことがある図書館は、6館あるのだが、昔から1番利用頻度の高い図書館だ。最近は、もっぱらそこを利用している。

ここ数回行く度に気になっていたことがあった。いつも必ずいるはずの御仁がおられないのだ。推定年齢70歳くらいの御仁だ。6年ほど前に御仁の存在に気づいたのだが、それ以前からも来館されていたのかもしれない。

いつも同じ席に座り、9時から16時までの間ならば、どの時間に行っても必ずおられた。図書館の人にとっても馴染み深い御仁であろう。マナーは抜群によく、相席テーブルの自分の領域である4分の1をしっかり守り、そのスペース内にたくさんの書物を積み重ね、勉強しておられる。

何度か向かいの席に座り、御仁の学んでおられる学問領域が何であるかを、チラ見していたのだが、どうやら気象関係の勉強をしておられるようだった。見た目がちょうど、お天気おじさんとしてお茶の間で人気を博した、故福井さんのような感じで、人柄の良さが全身からにじみ出たおじさんだった。

最初は、どこかの大学教授か、気象関係のお仕事をされていたOBで、在職後も専門領域を真摯に研究しておられるのかと思った。

ところが、積み重なっている書物を見ると、気象予報士試験問題集みたいなものもあり、どう見ても試験勉強をしているようにしか見えなかったのだ。推定年齢70歳くらいにして、新しい資格を取ろうとする御仁の姿は俺の襟を正す動機付けには申し分なかった。

何度も何度も話しかけようと機会は伺ったのだが、なかなか彼は隙を見せてはくれない。ほとんど眼を書物から話さず、黙々と読み書きをくり返しておられる。老眼鏡をかけて、時には虫眼鏡も使い、一字一句を逃すまいと真剣に目で活字を追う姿・・・。

御仁と仲良くなり、先達から多くの物を学びたいという気持ちが高まったのだが、なんだか御仁の学習の邪魔をするようで、徐々に彼と繋がろうとする動機も薄れていった。素晴らしすぎて、俺なんかが接点を持てる人ではないような気がしたのだ。

それ以来図書館に行く度に、御仁のおられる領域に差し込む後光を横目で追いながら、襟元を正すことが無意識の習慣になっていた気がする。接点はないが、俺の精神の看守となって御仁は存在してくれていた。勝手にそう思っていた。

そんな御仁がいない。もう数回にわたっていない。気象予報士に合格されたのか?とも思ったのだが、今年の3月までは確実におられた。まして、気象予報士の試験は8月ぐらいだと思う。今からが追い込みの時期であるはずだ。

御仁の体に何かが起こったのか? 失礼な話であるが、最悪の事態も想像してしまった。また図書館で見かける日は来ないような気もしている。

人と人の縁ほど不思議なものはない。元は他人同士が家族を新たに構成する縁、友人との縁、職場関係での縁、どれもこれも天文学的な確立での成就だ。

お互いに名前を知って認識しあう関係だけではない。いきつけの店の店員、近所でみかけるが誰だかわからない人たちなどのニアミス関係もある。

毎日多くのニアミスをしながら、ある人とは繋がって対話まで発展し、ある人とは顔だけの認知で終わる。その差は運命的にどうなんだろう?

上記の気象予報士を目指しておられる御仁と、もし俺が若かりし頃に出会って、深い繋がりを持てたならば、もしかしたら俺も気象予報士を目指していたかもしれない。他人からの圧倒的影響の中、俺は生きているからだ。

どの分野でもよい、分野はなくてもよい、素晴らしき先達と1人でも多く繋がりを持てたならば、それほど幸せなことはないと思う。そのためには、出会いに対する純粋な眼を持ち続けたい。

何も新しい出会いだけに目を向けるのではない。出会いの神秘性が存在する中、ニアミスで終わるかどうかは必然的な部分が多い。それならば幸いにして繋がりを持てた先達との出会いに必然性を見出し、彼らから真摯に学ぶ姿勢を持ち続けないといけないと改めて思った。

俺にとって身近な先達は誰がいるだろう? たくさんおられるが、遠いところばかりに目が行く。それではだめだ。近くに視点をフォーカスしてみると、やはり嫁の親だろう。養子として彼らと義理の関係が築かれたということは、最も神秘的な出会いを成し遂げた先達だ。

彼らからは全く影響も受けてはいない、空気のような存在としてとらえていたのだが、少しは彼らから学ぶ姿勢を持たなくてはと思った。意を決した昨夜、なんか気の利いた言葉でもかけて、深く会話しようかと思ったのだが、寿司を食べて寝転んで終わり。
次回に持ち越しだ。存命中にそんな日は来るのかな?

多くの先達に対する憧憬と、出会いの神秘を感じた母の日だった。実家のおかんからは、嫁が贈ったプレゼントの御礼がメールできた。生意気にも携帯メールの仕方を覚えたみたいだ。昨年嫁が贈った花が今年も花を咲かせている映像を携帯で撮って送ってきた。絵文字も使っていた。文末に、「もう一度カンサハムニダ」と書いていた。

実のおかんにも先達の称号を与えて、少しはひれ伏そうかとも思っている。

0 件のコメント: