最近は朝方まで起きていることが多い。生活リズムだけすっかりホストだ。朝方5時30分ぐらいに寝て、12時頃起きて出勤というパターンに体が馴染んで、深夜1時、2時ぐらいは目がぎんぎんに冴えている。
一応早く寝ようと思って読書しながら時間を過ごすが、1度狂った生活リズムはなかなか戻らず、明け方4時半ぐらいに再度パソを開いて軽くサーフィンし、波乗りに失敗し、溺れたころで睡魔が訪れるというパターンだ。
加齢によるものなのか、1度体内時計を狂わせると、なかなか戻ってくれない。夜更かしに限らない。休みの日に昼寝をすると、次の日の勤務中も体が睡眠を訴えてくる。
「おいお前! 昨日の今頃寝とったんちゃうんかい! 今日も眠たいやんけ! め~閉じんかい!」と俺の体内の眠りを掌る睡魔君が訴えかける。
「あほ言うな! 俺は今、めっちゃワーキングなんじゃ! 辛抱せんかい!」と軽く自己罵声を浴びせるが、時に睡魔に負ける時がある。
昨日の昼間は仕事中に俺の可愛い寝顔を同僚に見られてしまった。パソ画面を眺めて、手をキーボードに置いたまま、涎をたらして凝固していたらしい。
若い頃ならば、イレギュラーに夜更かししようが、昼寝しようが、横になって布団に入れば、すぐに睡魔君が働いてくれたのだが、最近は睡魔君の臨機応変な対応力が衰えてきているのか、元に戻るのに時間がかかって困る。
とは言ったものの、朝方まで起きているのも悪くはない。朝まだき→あけぼの→朝ぼらけへと移りいく時間の帯、下ろしたブラインドの隙間からでも、明るくなる過程をしっかり楽しめる。
鳥類はしっかり鳴いたり吠えたりするし、新聞が郵便受けで落ちる音も聞こえる。5時30分には、我が家の長老はテレビを入れ、朝方番組から流れる、温和でローテンションな声調を楽しめる。窓を開けて空気を吸えば、明らかに再生の香りを感じる。寝床で知らぬ間に再生を迎えるのも良いが、時に、再生をリアルタイムで確認し、寝床に入るのも悪くない。
初めて徹夜をしたのは、高3の1学期だったと記憶している。テスト中の一夜漬けという名目で、夜の7時くらいから5時間睡眠を取り、その後家をこっそり抜け出し、親友と一緒に350ミリリットルのがぶ飲み缶コーヒーを飲みながら、恋の話、進路の話、音楽の話、2時間くらいタバコを吸いながら語り合った。
深夜2時過ぎ、こっそり家のドアを開けて入り、勉強もしたりはするのだが、ちょうど聞いていたオジー・オズボーンのランディー・ローズのギターに耳がいき、勉強どころではなくなる。
ぎんぎんに冴えた目、テスト勉強にも身が入らない精神状態、時間はあっという間に過ぎ、新聞配達バイクのノイズが不思議と朝に溶け込み、軽やかなタッチで耳に触れる。やがて、両親の寝室で、少し起きだす気配を感じる。
その時、何か俺は不道徳なことをしている気がした。朝まで起きているところを感づかれてはいけない気もした。その一方で、朝まで勉強を頑張っている息子の姿を見せるべきである気もした。
おとんが便所に起き出す足音が聞こえ、俺は咄嗟にどうしていいかわからず、大音量の音楽をイヤホンで聴きながら、電気をつけたまま、机の前で学習姿勢のままで寝ているふりをした。
子ども部屋から明かりがこぼれるのを見つけたおとんが入ってきて、机に臥している俺の背中に薄手の掛け布団をかけてくれた。そっとイヤホンを外してくれた。
徹夜をするということに、何か背徳の香りを感じた俺だったが、その香りは魅力的だった。それ以来、定期的に背徳の香りを嗅ぎたくなって、徹夜した。朝がもたらしてくれる再生の中に、自己の退廃願望が重なり合い、本質的には孤独な心境を包み込む清濁併せ持った時流に溺れたくなったのだ。
今でもその時の、朝の匂いを覚えている。歳を重ね、種々の流れを経験した今、精神状態はあの頃と全く同じではないが、朝に抱く感情は近いものがある。いや、同じかもしれない。
朝まで起きている最近は、パソを開く俺の横で嫁が寝息を立てている。変わったのは環境だけだ。朝は背徳の香りがする。その中に再生の息吹がある。もうしばし、この生活を続けてみたいと思う。
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