2008年9月12日金曜日

古本にあった負の産物






今日も出勤前に古本屋へ。小学生対象の本コーナーを物色するが、児童文学は基本的にハードカバーで高い。だから、いつも軽く立ち読みしていたのだが、処分品コーナーに105円叩き売りがあって、迷わず購入する。

『まんが百人一首事典』という本で、学研が出版している本だ。百人一首をまんがで解説したもので、大人が読むほうが、真の価値がわかる、秀逸児童本の見本のような書籍だ。
叩き売りされていた原因を確かめもせずに、XTCの4枚目のCDと一緒にレジへ行く。

職場で読んだ。書籍の内容は期待通りの内容だったが、すぐに廉価叩き売りされていた原因がわかった。落書きが多いのだ。

写真を何枚か用意したが、ほんの一部である。鮮明に映せずに見にくいと思うが、だいたい落書きしている内容はほぼ同種である。

だいたいが、人間の排尿、排便に関する他愛無い落書きだ。子供はいつの時代も、「うんこ」「おしっこ」といった単語だけで笑える素地を持っている。汚いものを茶化して笑う萌芽は、自然な発育過程なのだろうと思う。一休さんのような修行層が、お師匠様に向かって「トイレどこ?」と聞いている吹き出しは、なんだか可愛くもある。

本のタイトルからして、子供が自ら好んで買うものではないと思う。おそらく親が子供に教養を与えたくて、無理強いして与えた本なのだと思う。親の価値観に基づく書籍の強要は、実に安っぽい教育行動だとは思うが、その気持ちをわからないでもない。そして、親から無理やり読まされて、退屈しのぎにコメントを書きたくなる子供の気持ちもわからないではない。

この書籍に落書きした子供は、字から想像するに、おそらく小5から中1ぐらいのキッズであると思う。この手の本を与える親がいる家庭であるから、教育水準は平均以上だろう。この本の所有者であった子供も、なかなか知的水準が高いと思わせる落書きもある

例えば、平安時代の貴族の服装を説明する絵の股間部分に、「もらしてる」の文字を書いている。これだけならば、何でも「うんこ」「おしっこ」で喜ぶ、その辺の鼻垂らし餓鬼と変わらないのであるが(実際俺もそうだったbyおかん)、こいつのすごいのは、その後の落書きだ。ちゃんと俳句調の音数で落書きしているのだ。

「もらしても 大じょうぶの あつさだな」と書いてある。確かに平安時代の服装は、おもらしがすぐに外面に現れないだけの、被服の階層性を備えている。ネタがネタだが、子供ならではのユニークで自然な発想だと思う。

俺は、この落書きをしている子が少し好きになった。そして書籍の内容よりも、落書きを探したくて読み勧めていった。

だが子供への好感は、子供への興ざめへと変わり、畏怖へと変わった。この子供は壊れていると思ったのだ。

延々続く、ジャンクな「おしっこ」「うんこ」ネタが、中ほどを過ぎた辺りから、変化し始める。

天皇や父親が亡くなる場面のまんがに新たな吹き出しを設けて、「父はしね~」やら、「しんじまえ~」の落書きがある。 

「おじさんの養子になってくれ」という、漫画の正規の吹き出しに、「OK」と新たな吹きだし落書きを設けている。

浮気した男が、浮気相手の女の人に抱きつこうかとするセリフがある。そこに落書き吹き出しがある。「殺したげる」という、浮気相手の女の吹きだしだ。

前半部分の無邪気な子供の落書きが、明らかに、父親を軽蔑したセリフに変化していく。
途中から読んでいて怖くなってきた。無邪気な子供が壊れていく過程を見ている気がしたのだ。

邪推だが、この本の所有者の家では、お父さんが浮気していたのだろうか? 悲しむお母さんを見て、子供が父親に憎しみを抱く過程を最初は推測した。だが、後半には、女性を蔑む言葉と、「みんな死んでしまえばいいのに」というセリフもあった。全てを憎んでいるのだろうか?

嫌な人を見たら、決してよくないことだが、「この人がいなくなればいいな~」と思うことは誰にでもあるだろう。だが、その気持ちを抱くのと、それを何かに書すという行為の間には大きな差がある。

便所の落書きなんかにしてもそうだが、人の生死に関わること、卑猥な嘲笑文句なんかを、どこかに実際に記す人たちの精神の壊れ方というのは何だろう? 

この本を買い与えた親は、この本を処分する時に、この落書きに気づいていなかったのだろう。気づいていたら絶対に売らないか、消してから処するだろう。買い与えっぱなしで、それを子供が読んだケイセキがあるだけで満足していたのだろうか?本当の形跡には気づかないままだったのか? なんだか悲しくなる。

この本の初期オーナーの子供も、今は大きくなっているだろう。鬱屈した気持ちは今はどうなっているのだろうか? 過去の落書き記憶もないくらい、楽しい健全な日々を過ごしてくれていたらいいのだが・・・。

古本には、このような副産物がよくある。カレーの染みは最近少なくなったが、付箋痕、書き込み、アンダーラインなんかは廉価処分本につきものだ。プライベート写真が挟んであった時なんかはオカルトを感じてすぐに捨てるが、ほとんどは他愛のない、かわいくほのぼのとしたものだ。

大学生が講義で買わされたであろうテキストなんかには、統一性のないマーキングと、明らかに主旨を理解してない書き込みなんかがあり、「こいつ、確実に単位落とし取るな~」と笑える書籍が多くある。

これら全ても、古本を読む行為の醍醐味だとは思う。だが、今日のような、子供の壊れ具合(仮に一時的であったにせよだ)が拝見できる古本とは、出来ることならば出会いたくはないものだ。

0 件のコメント: