2008年9月22日月曜日

後遺症?狂騒

昨日の3時ごろ、生徒の質問対応をしていたら、何だか変な痛みが肩と首にきた。
その時はたいして気にしていなかったのだが、家に帰った後から徐々に痛みが増してきた。
左肩の辺りに、もう一枚肉が重ねて置かれているような重みがあり、肩辺りの重み、鈍痛が徐々に首にきた。嫌な予感がしてきて、風呂にゆっくりつかり、サロンパスを貼ったりはしてみたものの、痛みは増すばかり。しまいには、首を左と上に可動させようとしたら激痛になってきた。

寝転びながら本を読んでいたのだが、だんだん痛みが強くなり、寝転がって読むのが困難になってきた。ベッドの壁際に背を当てて体育座りして読んでいたのだが、それも徐々に苦しくなりだした。

早く寝なきゃと思い、まくらを外しフラットな体勢で寝るのだが、仰向けは痛い。横向きもどちらの向きでも痛い。うつ伏せは比較的楽なのだが、首をどちらかに向けないと窒息してしまう。以前通院していた時にもらった、痛み止めの薬があったので服用すると少し楽になったが、効果が切れだした朝型には痛みで目が覚める。もう最悪だ。

交通事故に遭ったのは一昨年の12月20日であり、もうすぐ2年になる。今までにも、ライブ明けに首が痛くなったりしたことはあったが、それは首を振り振りリズム取りした原因がある。だから、事故の後遺症とは考えなかったし、実際に痛みもすぐに消えた。

事故の後遺症らしい後遺症が全くなかったわけではないが、季節変わりや梅雨時の鈍痛ぐらいであり、それ自体もたいして気にはならなかった。

だが今回は、昨日の3時に初めて痛みを感じた時から、何だか今までにはないような感触があった。筋肉が徐々に凝固していっているような気がして、「これは痛み増していきそうだ。」と危惧していたのだ。それが現実になった。

ほとんど眠れずに、朝1番で医者に行った。レントゲンなんかでは当然何の異常もない。以前、入院、通院していた時と同じ、電気とマッサージ治療で少しは痛みがましになった。
だが、整形外科医はレントゲン診察が基本なのだろう。特に原因がわからずじまいであった。胃を悪くしそうな薬を処方された。

痛みが一時的にはましになったが、不安は払拭されず、接骨院にも行った。そこの先生がすごい。体を少し触っただけで、全く痛くもないのに、すぐに筋肉の可動範囲が大きくなり、重かった肩が軽くなる。整形外科にあったものとは違う、全くピリピリ感のない電気治療もした。

接骨院の先生は言った。「緊張を解かない筋肉部分があり、それが原因だろう。事故で神経の調整機能がおかしくなったのだろう。そういう意味では後遺症かもしれない。」

「後遺症」という言葉を聞くだけで不安になる患者心理も察してくれたのだろう。手の痺れの有無なんかを聞いた後に、少しずつほぐしていけば大丈夫と言ってくださった。

レントゲンをあてて薬を処方されるほうが、何だか診断っぽい気はするが、接骨院という職人の手で診断されたことのほうが、俺には大事で、治癒に近づくもののように思えた。

もちろん、ケースバイケースだろう。外傷性の怪我ならば整形外科による治療が必要である。だが、肩こり、むちうち、ねんざ、打撲なんかは接骨院の腕による治療の方が正確で的を射ていると思う。

なぜなら、レントゲンは骨組みを写すが、筋肉の詳細はわからない。それに整形外科医は接骨院の先生方ほど実際に触診もしない。骨格と筋肉のメカニズム、理論ではどちらの先生も同じくらい知っておられるのだろうが、様々な事例とわが腕での臨床体験は、接骨院の先生に軍配が上がるだろう。

事故で入院した時の激痛の日々がトラウマにあるので、後遺症かも?と思う瞬間はとてつもなく恐ろしい。

だが、信頼できる骨格と筋肉のプロが身近にいれば、その不安の多くは解消される。

整形外科を西洋医学、接骨院を東洋医学と考えると、病気に応じての関わり方次第であるとは思うが、高度な学問を経て大成された西洋医学が、柔道整体師の蓄積された手腕や、自然界のものを活かして体を治癒させる方法に劣る事例を見ると、近代医学、西洋医学ってなんだ?と思ってもくる。

今後も俺自身が抱え込んだ後遺症とやらと上手く付き合っていかないといけないのかと思うと、整形外科医を出た後には希望もくそもなかったが、接骨院を出た後には、なんとか付き合っていけるような気がした。

今も左側への可動に痛みを感じるが、寝られないほどではない。昨日は、立っている以外は激痛が走ったので、鶴みたいに片足で立って眠れたらどんなに楽だろう?と思った。眠たいのに睡眠欲を上回る激痛と恐怖に、精神的にかなり取り乱された。

何とか折り合っていける!という希望を持たせてくれた先生に感謝である。

ただ、こういう精神的なプラスイメージが度を越すと、それは盲目の個人崇拝に繋がるような気もする。接骨院の先生の技量を尊敬して個人崇拝はしない。体が持っている自然治癒力だけを賛美して、痛みごとに取り乱さないようにしたい。そして、西洋医学と東洋医学を、自己の尺度を信じて使いわけたい。

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