2008年9月7日日曜日

カラネタ

久々にフルで「エンタの神様」を見る。ラインナップが凄まじくひどかった。
この番組が初めて放送し出した当初はよく見ていたが、桜塚Yくんが出だして、最後にティアドロップグラサンかけたおっさんが、フリーダムを歌い出した頃から、とにかく番組出演のオーディション基準がゆるいな~と思って、まともに見ていなかったのだが、今日見ると更にひどくなっていた。

個人的な主観で芸能を斬るのもどうかと思うが、言わせてもらう。はっきりいって、番組の出演者を決める偉いさんの眼レベルは低いと思う。これだから笑いレベルがすぐに落ちてしまうのだと思う。

生徒会長Kの僕なんか、北野武が週間ポストで言っていたネタを盗作するし、初登場の人もとにかくひどい。芸風が必ず誰かとかぶっているか、肉体芸だけのウィットのないお笑いだ。

番組はひどいが、お笑い芸人って立場の人の苦労を想像してみる。お笑い芸人ってほんと大変だと思う。どんなに秀逸なネタでも毎回同じ芸風とネタでは飽きられてしまう。芸が優れていれば優れているほど、次々に新境地を開かなければ生き残れない芸の世界だ。

どんな天才でも、毎週の頻度で新ネタを提供するのは無理だろう。お笑い業界で生き残るためには、人気が絶頂期に自分の番組を持ち、司会者として生き残っていかなければならないが、番組にしても、企画制作スタッフの力量次第では長続きしない。芸人自身の力量がずば抜けているか、制作スタッフの企画力に恵まれなければ生き残っていけない。ダウンタウンはやっぱすごいと思う。

波田陽区なんかは、今は惨めな扱いだが、音階に合わせて風刺する芸風は斬新だったし、その後、彼にヒントを得て出てきた芸人の数々を思えば、もう少し今の彼の地位があってもよいように思う。

音楽業界でも一発屋はいる。ただ、優れた音楽は何度でも聴かれる需要があるし、印税収入もある。

ところが、お笑い界では、飽きられてしまうと惨めである。あれほど面白かった芸風が、飽きがきてしまうと退屈なだけではなく、時には嫌悪にも変わってしまう。小島よしおさんなんかも気の毒に思えて仕方がない。売れた芸風の衝撃が大きければ大きいほど、次の芸風が育たない。ミュージシャンが、いきなり1曲目でビートルズ級の曲を作って売れてしまえば、その後がつらいのと同じだ。

ただ、音楽人ならCDがあり、一発屋でもセールスがでかければ、功績に対するご褒美印税収入機会がある。

お笑いにはない。綾小路きみまろ氏なんかは、CDにもパッケージされているが、今後もずっと聞かれ続けることは、音楽ほどはないと思う。

音楽人なら、カラオケがあり、庶民がミュージシャンの疑似体験と共有をする機会があるから、その名声と収入が枯渇しにくい。

ところがお笑いはどうか・・・。なんだか気の毒である。今売れてはいなくても優れた芸を残した人たちが、収入的に満たされる仕組みを作ってあげられないものか?

カラオケの語源は、空のオーケストラらしいが、お笑い芸人版のカラオケなるものができないだろうか?

字幕に漫才や落語やコントやらのセリフが出てきて、素人が好きな人のネタをチョイスして真似る。

そんじょそこらの歌謡曲を歌うのと違って、お笑い界の人のネタをすることが、独自の間とセリフの言圧によって、いかに変わるものであるか、また、いかに難しいものであるかが一般的に体感され、それにともない、ギャラリーのお笑いを味わうツボもレベルアップすると思う。

レベルが低いのに、たまたま世に出た、生徒会長K子レベルの芸人のしょぼさも、簡単に誰でも真似が出来るということから明らかになる。彼はどっかのコネがあってテレビに迷い込んだとしか思えない。

個人的な好き嫌いを超えた、芸自体の優劣を、素人が真似をすることにより知る。そうすると、「エンタの神様」のような番組立案者のレベルも上がると思うのだが・・・。

自分が出来ないお笑い芸を好き放題に述べているが、俺はお笑い界に身を置く人たちを尊敬している。

尊敬しているからこそ、芸風もないしょうもない芸人が、音楽でいう所の、バンドブーム期のビートパンクバンドとかぶって腹が立つのだ。

お笑い版のカラオケの実現を望む。何と名づけようか? 「カラネタ」でどうだ?

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