2008年9月1日月曜日

眼が逝った 滅入った

ある小学生の日記
「フクダ君が学級委員長をやめました。ハトヤマ君とフクシマさんがいちびっていました。
僕は驚きました。委員長ってこんなに簡単に辞められるんだ? それに、やめろやめろ!と言っていた人が、やめたらまた文句いうのも不思議です。」

色々毒づきたいが、軽くでやめる。ただ、楽な仕事だな~と、つくづく思った。こちらが思っている以上に、福田君も鳩山君も福島さんも、幼稚なことはわかった。政治って何だ?国家って何だ? 議会制民主主義ってなんだ? 複雑に推測する必要はなくて、単にみんな幼稚なのだ。正義の味方になりたいだけなのだ。だけど、ふりかざす正義が彼らにはないのだ。だから、稚・痴・遅・恥・蜘・・・。 血も出ない。

フクダ君のことよりもわが身が大事である。俺は今日眼科に行った。数週間前から、コンタクト装着後6時間過ぎくらいから、右目に異変があった。かすんでくるのだ。時に虹がかかることもあった。

高校野球キッズ時代に、硬球を目に当てて網膜剥離を患って以来、俺の中では「眼圧」なる言葉が定期的に頭を支配していた。

昨年秋に眼科に行った時、「これからずっと目薬をさすようにしたほうが良い。まだ若いんだし~。」と、強制力がありそうな無さそうなジャッジを受けていたが、俺は忙しさにかまけて通院を怠った。

今日は、眼科に行ったら怒られることは予期していた。目薬はもらいに行かないは、コンタクトは耐用期限を上回って装着するわ・・。

眼圧検査と視野検査をされて、院長は俺に言った。「前回来た時と違って、今回は、絶対!です。目薬を点しなさい!覚悟を決めなさい。」

俺は、この院長を信頼している。過度に脅さずに、かといって誤診があったり、甘やかすわけではない。簡潔ではっきり言うが、世の中の多くの医者に見られるような、いつも最悪の事態だけを患者に宣告するタイプでもない。

そんな先生の言うことだから、今回は本当にまずいのだと思った。
「先生、わてのお目目はいかほどばかり患っておるのでしょうか?」と聞くと、「右目の眼圧は正常値が20にたいして30超えで、視野もだいぶ狭まってきている。このままだと、あと10年くらいで、視力矯正しても1.0には届かなくなる。」とおっしゃった。

「先生~~! わては、金輪際通院をぶっちせんようにしますが、来る度に数時間待ちは、ちと酷でっせ!薬だけもらいにきたらあかんのですか?」と俺は聞いた。

先生は「3ヶ月に1回の診察でいいから、とにかく目薬はきっちり点しなさい。その上で、3ヶ月ごとに経過を見せなさい。」とのたもうた。

今日から、目薬を欠かせない、お目目ジャンキーとあいなった・・・。何だか悲しいが、視力を失うのは嫌だ。とりあえず、来週だけもう1度通院して、その後は3ヶ月に1回の通院が俺の生活体系の仲間入りとなった。

この院長の言うことだから聞くが、彼以外なら、俺はまだ無謀に行動していただろう。名医と知り合えて幸せだ。

俺は、この院長と知り合う前までは、眼科医に対して不信の塊だった。富山に移住して最初に行った眼科のおっさんは最悪だった。反コンタクト信者のヒステリック医者だった。

「大変です。網膜剥離になる恐れがあります。コンタクトをすぐに止めなさい。このままコンタクトをしていると、数年で失明します。」と脅された。俺はびびった。びびった気持ちを解消すべく、別の眼科に行った。それが、俺の今日行った、行きつけ眼科だ。

院長は、コンタクトレンズの怖さを説明した上で、正しい使用方法を守っていれば、十分にこれからも使い続けていけることを話してくれた。そして、俺が通院しないであろう性格も見抜いて、手入れの少ないコンタクトレンズの種類を勧めてくれた。

後に、複数の方から聞いたのだが、最初に行った眼科は、かなりの確率で「網膜剥離の恐れ」を説くらしい。そこに行くと、めがね購入者が増えるらしい。

名医とやぶ医者の区別は、一概に言えないが、少なくとも俺は冒頭の医者の教えを守らなかったが、失明していない。「数年で失明」の診察は誤診であったのが、臨床的にわかった。

今日からずっと、目薬を手放せない体となったが、仕方ない。歯磨きと同様、生活習慣に早く組み込んでいきたい。月に1、2回の目薬もらいの巡礼も、3ヶ月に1回の定期健診も受け止めようと思う。

目薬効果で、眼が正常値に近づいたら、冒頭のフクダ君とハトヤマ君とフクシマさんの顔を見て毒づきたいが、今は目の毒だ。

眼が回復したところで、健全な眼では見るに堪えないキツネが我が国にいる。

滅入った1日だった。

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