2008年9月25日木曜日

新内閣

麻生体制が組閣された。いつも不思議に思っているのだが、国会議員さんはみんな大臣になりたいのだろうか?

大臣になって集合写真を撮る時なんかの表情を見ていると、激務の潮流に入った険しさというよりは、アカデミー賞なんかの授賞式のような表情を感じてしまう。
知名度商売ゆえ、肩書きがあたる事は、それなりに選挙効果もあるのだろうが、それにしても晴れ晴れとし過ぎた表情に思えてしまうのは、俺だけではないと思う。

ただ入閣された議員さんが軽く感じるのも仕方ない気はする。なぜなら、いつまで続くかわからない内閣で、長期的なビジョンを持とうにも持てない。本当の意味での実績を残すのは運頼みの現況では、職責の重みを感じろ!と言うのは酷だろう。

大臣職は、得てしてただただ、飾りの肩書きであり、在任中に何か火の粉が舞い降りなければ、履歴書の肥やしになるぐらいの価値しかないのが現状だと思う。

本来、大臣職というのは、国家を会社に例えた場合、各部門の部長職、あるいはトヨタなどの大企業においての副社長、専務、常務職にあたるものだ。抱える重圧は並大抵ではない。

収入的見返りも多いが、その分職責も大きく、死期を早めかねないほどの重圧の中で格闘している企業内大臣職(オーナー企業、同族経営は除く)の人と比べると、政治家の大臣職は、ポスト的重さが違う気がする。

政党政治の限界が見える気がする。いくら今回の組閣に入った大臣が、どれだけ良い仕事をしようとも、総選挙結果次第では失職する。

「今の世の中の構造を変えたい。そのために今から2年は、この政策をして、その後にこれをする。」といった、長期ビジョンを持つのは、現状では不可能に近い。2年後まで自分が大臣職にいる可能性が低いからだ。担当が替われば根本政策自体の抜本的政策も見直されかねない。

国の舵取りをする大臣が、このようなシステム化に置かれていること自体が、多くの問題の現況であることに異を唱える人が少ない。

野党が醜く思える1番の要因は、この大臣降ろしのきっかけ作りに精を出していることではないか?とそう思う。

重責を感じて、とにかく政策を打ち出している大臣に、政治的理念で討論して対立するのは構わない。むしろそうしてほしい。だが、野党がすることは、大臣の政策うんぬんよりも、憎い政党の管理職に対してのあら捜しだ。

政治資金絡みの不備を探しては週刊誌にリークし、発言の重箱をつついては糾弾する。新聞は新聞で、こんな痴話げんかをしっかり載せる。建前を排除した場合、職務の重さからしたら、どうでもいいやんけ!と思う。

政策の不備、政策の矛盾、政策へのアドバイスを述べる議論と報道がなされる回数は、週刊誌ネタの報道と比べて非常に少ない。大臣に期待するならば、大臣の政策面以外でのあらさがしをやめるくらいの、暗黙の了解があって然るべきだと思う。

大臣候補になるクラスの議員さんで、叩いて埃の出ない人は皆無だと思う。共産党の人を除いては、ほとんどの人が、叩く尺度(これ自体理想と現実の大いなる矛盾だが)によっては埃も出るし、よく調べたら染みも出る。

首相、大臣の政策が本当に素晴らしくて、国民に恩恵をもたらしてくれるならば、首相、大臣個人の多くの問題は不問に出来るだけのキャパは、国民大多数が持っていると思う。不問できないのは、不問できない傷を自らにも持っている野党の人たちだけだと思うのだが、暴論だろうか?

大臣ポストに優秀な民間人を登用したくても、誰もなりたくないだろう。己が信ずる理論を貫こうにも(良い悪いは歴史的にしかわからないし、とりあえず不問にする)、任期がいつまでかわからないのだ。短期的戦略の連続を余儀なくされる。小泉内閣時の竹中大臣なんかは、そういう意味では、後に一時、議員になったにせよ、幸せな民間人だったと思う。

政党政治は存続しても良いと思うが、政権を委任する政党を最初に信任投票するのではなく、国家の役員である大臣を、国民投票で決め、その大臣が多く在籍している政党から首相を選出するというシステムに変えたらどうだろうか?と思う。各政党から大臣候補をまず最初に出すのだ。

例えば、大臣ポストが10あれば、それぞれの大臣を国民が投票で信任する。大臣の任期は、死亡や病気を除いて、基本的に5年は保証する。そして、過半数の6人以上の大臣を送り出した政党総裁が、総理大臣になる。

当然、マニフェストが国民全体に知れ渡るようにしなくてはならない。政見放送や、新聞への記載、個別の郵送物など経費はかかるが、わけのわからない演説まみれの選挙よりも安くあがると思う。

田中角栄の馬力が欠落した自民党、理想論で裏づけのない民主党、盲目のロマンチスト公明党、おばちゃんの政治ごっこ社民党、アレルゲン共産党、黒い意地なる国民新党・・・、政党は色々あれど、その中の大臣職に値する人は必ずいるはずだ。それらを国民がしっかり見極めて、投票して、政権与党を作り出せばよい。それが真の民主主義だ。

そして、選ばれた大臣が行う政策に関しては、種々の利権や意見があれど、最低5年計画でやらせてみるだけの腹づもりを国民も持つ。

やっぱり、大臣職がころころ変わるシステムは良くないと思う。役員がころころ変わる上、その役員職が利権で変えるものであるような会社は、きっちり淘汰される時代だから、国家の役員も、しっかり職権と、それに見合うだけの莫大な恩恵も与えてあげたらいいと思う。

個人的には、火中の栗拾い、石破大臣に期待している。

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