2008年9月4日木曜日

秋の雨

連日の雨模様。だが、気配は完全に秋だ。

秋の雨についての言葉が気になり、色々調べてみた。

「秋雨」・・・秋に降る雨    

「長雨」・・・何日も降り続く雨

「霧雨」・・・霧のように細かい雨

「小糠雨」・・・静かに細かに降る雨

「霖雨」・・・何日も降り続く雨

「宿雨」・・・連日降り続く雨。

「愁雨」・・・国語辞典には載っていないが、「秋」に「心」がついているので、「秋雨」を心に焦点を合わした言葉だろうか。愁いを含んだ涙雨をさすと思う。

「長雨」、「霖雨」、「宿雨」は、字義的にはほぼ同じ意味であるし、「霧雨」も「小糠雨」にも大して違いはない。だが、漢字をじっと見つめていると、そこにはかすかなニュアンスの違いと、風情を感じ取ることが出来る。

長田弘さんは、上記のような雨に関する語彙の使用例が減ってきていることを嘆き、「言葉があなどられるところに、人としての豊かさはない。」といった主旨のことを述べておられたが、全く持って同感であり、全く持って耳が痛い指摘である。

個人的な雨に関する描写力を振り返ってみる。

「どしゃ降り」、「夕立」、「狐の嫁入り」、「横なぐりの雨」、「雷雨」、「豪雨」ぐらいであろうか? これでも、語彙としては使っている方だと思う。ほとんどの人は、「うわ~、すごい雨」といった言葉で終わっているのが現状だと思う。

それで十分に意味は伝わるだろうし、不自由はないのだが、「霖雨」「愁雨」などのような、味わいある言葉は確実に消えていくだろう。一部の言語マニアだけが、古語を味わうように懐古するだけになりそうである。

失われていく言葉に代わって、新たに優れた言葉が生まれてこればよいのだが、どうもいけない。個人的に好きな言葉も生まれてはきているのだが、外来語の加工や短縮がほとんどであり、漢字を組み合わせて加工した、味わい深い言葉はなかなか生まれてこない。

直近の例が思い浮かばないが、「胸キュン」やら、「ナウい」なんて言葉を生み出した人たちの言語感覚は素晴らしいものがあると思うが、それぞれ、「漢字と擬態語の組み合わせ」、「英語とひらがなの組み合わせ」であり、「漢字同士の組み合わせ」はなかなか生まれてこない。味わいがないので、流行にのっただけの一過性の言葉であり、もはや死語となっている。寿命が短い。

古い例ばかりで申し訳ないが、「オバタリアン」、「ほめ殺し」、「おニャン子」、「地上げ屋」、「しょうゆ顔、ソース顔」、「落ちこぼれ」などの、過去の流行語も、なかなか言語センスとしては秀逸であったが、いかんせん、寿命が短い。時間が経ってしまうと、妙な古臭さを感じてしまう。

その点、「霖雨」、「宿雨」、「小糠雨」なんかは、同じ死語であっても、時代遅れ感は抱かない。むしろ、使いこなせたら素敵な言語として、今でも君臨している。やはり、漢字の組み合わせの熟語には、言霊が宿っているのだと思う。

秋の雨模様だが、とても味わい深くて好きだ。味わいをぴったり表現できる言葉があったらなおよい。秋の雨を表す言霊言語をつぶやきながら、じっくり雨を鑑賞したい。

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