2008年10月4日土曜日

さよおなら

汚い話で申し訳ないが、最近、むちゃくちゃ放屁する。単発、連発織り交ぜて、回数がとにかく多い。子女的なかわいい音色もあれば、サンダートーンのものもある。エコーがかかった音もあれば、被服を破ったような音もある。

臭いは連射体制に入った一発目は、それなりにパヒューミー、いや、バキューミーであるが、その後は強くない。足の裏のような臭いが混じる時もあるが、全体的に不愉快極まりない臭いではなく、芳しいとも言える自己評価の臭いだ。

塾稼業についてから、勤務中の放屁をこらえているせいか、勤務後にガス抜きする傾向はあったのだが、それにしても多い。

嫁が1階にいて、俺が2階でこいた屁音を察知したことがある。階段をツカツカと上がってきて、「あんた今屁こいたやろ?」と言われた。
2階の床に振動を与え、1階の天上を突き抜ける拙屁の威力たるや、ちょっとしたガス爆発であろう。

嫁は言う。「何食ってるねん。」

俺は言う。「お前といっしょのもんや。」

嫁は言う。「病気ちゃうか?」

確かにちょっと頻度が高すぎる。それに音量が年々でかくなっているのは間違いない。先日なんかは、眠っている時に、自分の屁の音で目が覚めた。

心配になって、ネットで「おなら」検索した。内臓系の病気の症状であるかと思ったのだ。

あるサイトでは、早食いの人は、空気を多く吸い込むため放屁しやすいと書いてあった。だが、俺は昔から早食いであり、今に始まったことではない。むしろ今は昔よりやや遅くなってきたような気がする。

食生活は田舎料理の日々であり、特に屁を誘発するものでもない。また、未だに胃が痛いという症状がわからない俺は、内臓に何か変調をきたしたこともない。十二指腸に人間ドッグで異常が見つかったことがあったが、二次検査では、「超綺麗」という、医者とは思えない診断で褒められた俺だ。心当たりがない。今月に今年度の健康診断があるので、お医者さんに色々聞いてみようかと思う。

「おなら」検索をしていたら、面白いサイトを見つけた。http://www.ne.jp/asahi/9/j/he.htm

まじめにこういうサイトがあることが嬉しい。「さあ、今日も元気に屁をここう。ようこそおならの旅へ」というコピーが軽薄で気に入った。

ここが優れているのは、屁音が実際に聞けるのだ。画面に尻画像があて、クリックすると、それはそれはスタンダードな屁音が流れる。屁の音を「技」という括りで謳っているのも秀逸だ。管理人の名前は「へいじ」さんという。実に良い。おやじ心をくすぐる。

ふざけているわけでもなく、真面目すぎるわけでもない。誰もがこぐ屁を真面目に考察して括ろうというコンセプトに、小沢昭一さん的な高尚さも感じた。

ただ、誰でもこぐ屁ではあるが、ガスがたまりやすい性質で悩んでいる方も多いと聞く。特に思春期の女の子が教室で放屁しようものならば、それは楽しい学園生活の終焉に近いものを意味すると思う。

実際に保護者から、子供さんがガス体質で悩んでいて、屁の恐怖で授業に集中出来ない状況もあるということも聞かされたことがある。デリカシーのないおっさんが興味本位で話題にすべきことではない。最初で最後の屁考察にしたい。

人間誰しもする生理的なものであるにも関わらず、屁を恥ずかしいと思うのはなぜなのだろうか? なぜ屁を忌み嫌うように人間はなっているのだろうか? また、オギャーと生まれて、いつ頃から屁を恥ずかしいものと認知するようになったのだろうか?屁にまつわる疑問は尽きない。

単純に、屁を忌み嫌う理由は、それが排泄をイメージさせるものだからであろう。食べたり飲んだり、入ってくるものには+イメージを、排出するものには-イメージがついてまわるように人間は作られているのだろう。とは言ったものの、嫌われすぎな気がするが・・・。

屁をこいて褒められるのは、虫垂炎になった時ぐらいである。それ以外はやはり、被服で裸体を隠すように、恥じらいもって、人前で御慣ら(おなら)しないようにする縛りの中で処していくのが人間なのだろう。

昔、屁の音をサンプリングして、曲に取り入れようと真面目に取り組んだことがある。
おかんに怒られた。今は何となくおかんの忌み意味がわかる気がする。

俺の今の異常屁警報は、健康診断でその理由が明らかにされるかもしれないが、しばしは、デリカシーを持って、ガス抜きに留意していきたいと思っている。

ブログを書している間は屁が止んでいる。鎮屁の効能がブログにはあるのかもしれない。尻から出さずに文字で出す。屁の処方箋はブログか? んなあほな・・・。  屁・屁・屁

さよおなら

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