2008年10月28日火曜日

奇妙な体験

入院する前の話だ。眼科に通院していて、緑内障の悪化で手術をしなければならないことが確定した日の話だ。

午前中に手術確定の宣告をされ、凹み気分で職場に向かった。まだ生徒には授業を振り替える旨、代講を頼む旨なんかを話すまえのことであったが、授業終了後、中1の生徒が俺にお土産なるブツを持ってきてくれた。

何でも金沢に家族で遊びに行った時に、変わったパッケージのジュースが売っていて面白かったので、俺に買って行ってあげよう!と、小遣いから買ってくれたドリンクだ。それを得意げに俺に渡してくれる。「これ、飲まれ!」

何たる優しい気持ち、よく生徒から施しを受けるのだが、毎度のことながら嬉しいものである。

だが、今回はタイミングが悪すぎた。「目玉のおやじ汁」と書かれた缶には、眼球がアップされた、ゲゲゲの鬼太郎妖怪が載っているではないか?

生徒は俺が入院することはもちろん、目を患っていることすら全く知らない。そんな話題が以前に出たこともない。まったくの偶然で、好意による贈り物、差し入れだ。だが、俺は缶を見た時の衝撃がでかすぎた。「あ、ありがとう。」と必死に笑顔を作りながら、タイミングの悪さに震えた。

「何でよりによって目玉やねん!」 

嫁も同日に、目にまつわるタイミングの悪さを痛感していた。嫁はホテルの総務部にいるのだが、勤続15年目にして初めての体験をこの日にした。

調理の人がどうしてそうなったか、詳しくは知らないのだが、その日に目に事故を負い、労災の手続き用紙を嫁にもらいにきたらしい。ホテルの調理であるから、種々の労災処理なんかは以前にもあったみたいだが、目の災害は初めてであり、それがよりによって俺の手術が確定した日にあったらしい。

お互いに仕事が終わり、家で、「なんか目~、呪われてるんちゃうか? こわいな~」って話をしていた時に、テレビでは、「「傷害によって失明した人の報道がなされていた。眼球がテレビにアップされたのだ。

俺はテレビを見るほうではないし、せいぜい夜飯時のニュースくらいなのだが、ニュース報道で「失明」なる言葉が出る頻度は、限りなく低いと思う。それが、俺たちがその日の奇妙な目にまつわる体験を話していた時に出たものだから、何だか空恐ろしくなった。

タイミングの悪さというか、目に関する偶然は続く。

俺がK大学付属病院に入院中に、大阪からおかんがお見舞いに来てくれた。兄貴がK大学卒だったこともあり、おかん自身もKに知り合いがいた。その知り合いの家に泊めてもらいながら、お見舞いをしようという算段で北陸に向かったらしい。

すると、何たる偶然か、おかんの知り合いの娘婿さんだかが、俺と同じ病院の同じ階に同じく目の疾患で入院していたのだ。おかんとおかんの知り合いは、一緒に車に乗って、お見舞いに来たらしい。久々の再開が、それぞれの子供の目患いの入院見舞いになったみたいで、おかん自身も驚いていた。

偶然と言ってしまえば偶然だ。だが、「偶然なんてものは存在せずに、全てが必然である」と唱える学者もいるみたいだし、そうなると今回の目に関する種々の出来事は、俺の人生の中で必然たることなのかもしれない。

だとしたら、その必然は、どういった意味を持っているのか? 必然に意味を見出したくなるのは人間の性質である。この時期に、目に関しての多くの必然が降りかかってきたことの意味とは??? 

考える作業は楽しいが、徒に思考展開するのがいいとも思わない。意味がわからなきゃ、運命として、割り切りの土俵に乗せる。  なるようになるさ ・・・Que Sera Sera  だ。

そういえば、入院中は SLY & THE FAMILY STONE ばかりを聞いていた。 Whatever Will be、Will be  とつぶやきながら、楽観的思考の行き先に思いをはせていた気がする。 

奇妙な体験であった。

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