2008年10月29日水曜日

健康診断に行く

今日は昼から健康診断に行って来た。退院直後であり、健康もなにもあったもんじゃないが、市が補助してくれる格安検診が今月末までになっていたので、受けなきゃ損の気持ちで行ってきた。

40未満は、市の補助がある検診は人間ドッグはないので、胃カメラも飲まなけりゃ、CTも受けない。血液検査、尿検査といった平均的な検診だが、それでも受けてよかった。院長先生が古風な方であり、昔ながらの聴診器と、手をコツコツあてる触診を丁寧にしてくださった。

カルテにはドイツ語で書していて、そういえば、最近はドイツ語でカルテを書く医者も減ったなあと思った。渋い医者の渋い診察だが、「採血結果は2週間後ですが、問題ないと思います。」との診察に胸をなでおろした。

個人的には、人間ドッグには否定的である。 人間ドッグを受ける回数が多い人ほど健康を害しているのではないかと思う偏見がある。微量とはいえ、あれだけ放射線を浴びていれば良いはずがない。また、バリウムなんかを体内に取り入れることの方が問題な気がする。あれはコンクリートみたいなもんだと思う。体内に生コン流したらあかんやろ?

重大な病気の早期発見のためという名目で人間ドッグが奨励されるが、人間ドッグを受けた回数とガン等の発病率を統計でとったら、人間ドッグ受診回数と発病率は比例するように思うのだがどうだろうか?それよりも名医による触診と検査数値を読む眼力を信じたいと思う。

重大な病気を発見するための人間ドッグが、重大な病気の進行を加速させる働きをしていないか?という不信感がある。発見のために体に負荷をかけるくらいなら、原点に戻って健康維持の視点を強くもつことの方が大事な気がする。

体重、体温、血圧をセルフチェックしていくといった基礎的なことを着々とこなして健康維持をすることのほうが、人間ドッグで裁きを受けるだけの受動的な健康確認よりも前向きである。そして、年に1、2回、血糖値、LDLコレステロールなどを測定したらいいと思う。

シンプルに健康のバロメーターをセルフチェックできる環境をこれから整えたいと思った。
例えば、毎日一定の距離を歩く。その時の疲れ方など体が訴える声に耳を傾け、それの原因、適切なケアをしていく。毎日の同じ動作であるから、そこに負荷のかかり方が違うならば、どこか他の部分で無理があるものと推測される。それを1つ1つ自己吟味して解決していくのだ。

暴飲暴食はなかったか、よく眠れているか、心労は増えていないか、といったことをセルフチェックしながら、生活習慣をマイナーチェンジしていくのだ。

定期的に健康について目覚めては、目先の患いが消えたらすぐにまた体を労わらなくなる繰り返しが俺の日々だが、今回は、さすがに健康に過ごすことについて、今までよりは深く考えることができているような気がする。

今月号の「文藝春秋」に日野原重明さんの講演録が載っていたが、その中で感銘を受けた言葉があった。

「寿命とは、例えば百歳までと期限を与えられて、手持ち時間を削っていくものではない。寿命という大きな空っぽの器に、自分で使える時間を懸命に生きて、その生き生きとしたもので中身を埋めていく。というのが私の命のイメージです。」

100歳を目前にした御大の実に奥深い言葉である。同じようなイメージを抱きながら今後を処したいものだ。

一口に長生きといっても、高度医療の利器を借りて、寝たきりのような延命での寿命を長生きとは言わないと思う。毎日、自分の意思で生の悲喜こもごもを存分に体感して過ごす日々の数が年輪だ。精力的に動ける日々が長生きの大前提となる。

車のオイル交換をこまめにして車の寿命を延ばすように、自己の体もしっかり労わって過ごして生きたいものだと思う。

京都の今頃は、紅葉の見ごろであろう。観光地としての賑わいが、景観の素晴らしさを消し去ってしまうリスクがある京都であるが、タイミングとスポットを間違えなければ、震えるほどの感動に出会うことも出来る。

22歳の頃に、嫁と行った嵯峨野の竹林と、それを抜けた先にある落柿舎の紅葉が未だに忘れられない。俺たちが訪問している間だけ、ちょうど観光客が途絶えていて、ひっそりとした舎の中を存分に味わった。至近距離からの鑑賞を終え、帰路についた後、遠くから振り返り見た舎の光景は、写真にも収めたが、それを見たいと思わないくらい、俺の記憶に素晴らしき映像として焼きついている。

1つでも多く、絶景を眼で捉え、それを頭の記憶貯蔵室に豊かに保管したいものだと思う。素敵な映像記憶が発酵し、その醸成の上に新たな映像を重ねていく。一期一絵の景観との出会いが、新たな一期一会をより深く味わうための素地を作り、感動レベルを粋で雅なものに変えてくれると思う。

幸いにして俺の臓器は今のところ正常だ。眼の不調が気がかりだが、現状を維持することは可能だと思う。十分に機能した臓器と、感覚器官全てを使って、自然のあらゆる恵みを体中で味わいたいと思う。

最近、老人チックな悟り調のブログが続くが、今はそういう時期だから仕方ない。健康を賛美する。

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