2008年10月2日木曜日

運動会

今日は、おやじの15年目の命日だ。早いような遅いような月日の経過に関する感慨は漠然としている。

おやじの命日は、毎年のように秋晴れの穏やかな日だ。亡くなった日の空がとにかく穏やかであったのを覚えている。気候的にそういう時期なのだろう。

以前誰かに聞いたのか、本で読んだのかは忘れたが、10月の10日は1年で最も晴れの確率が高い日だそうだ(確かな説かはわからないが)。10日に限らず、10月は、台風の通り道となる地域の台風上陸時は除き、天気がいいのは体験的にもわかる。10月2日か天気がいいのもうなづける。

昔は10月と聞くと、真っ先に「運動会」を思い浮かべた。予備日も設けてはいたみたいだが、個人的な体験では1度も雨天延期になったことがない。

ところが、最近の運動会は5月、6月に実施するところが多い。小学校や幼稚園なんかでは10月に実施するところも多いが、中学、高校は軒並み春の実施だ。

何でも、「秋は受験勉強に専念する時期であるから」という理由らしい。その代わりに文化祭が10月頭に組まれる事例が多い。最近は、「スポーツの秋」ではなく、「文化の秋」に重きが置かれているのかもしれない。

だが、今日みたいに気持ちよい、天高き晴天を見ていると、やっぱりこんな日に運動会があったほうがいいような気がする。スピーカーから近隣にもれてくる音や応援の音色も含めて、秋の晴天を賛美した穏やかな季節模様だ。ないのが寂しく感じる。

運動会でクラスの団結力が高まったところで文化祭を迎えるという流れが最高であったような気がする。秋は学校行事が多くて、学生生活がまさに実りを向かえる時期であったと思うが、分散された今にそのような感慨深さはないだろう。

玉木正之さんの評論に、『スポーツとは何か?』というものがあるが、その中に運動会についての歴史的考察がなされている。それによると、

「スポーツ」という外来語に対して、日本人は最初、「遊び」と解釈したらしい。「遊び」「祭り」として生み出された「運動会」であるから、そこには、パン喰い競争、大玉転がし、騎馬戦、二人三脚など、娯楽性の高い遊びがたくさんあった。参加するほうも見ているほうも楽しい「遊び」としての運動会を可能にしていたのは、村などの共同体があったからだと玉木氏は言う。

さらに氏は続ける。 

ところが、明治中期ぐらいから、「スポーツ」を「運動」または「体育」と翻訳するようになり、今の陸上競技のようなものが多く「運動会」に現れるようになった。そうなるにつれ、運動会は、優れたアスリートの持つ求心力が売り物になったというのである。本来の「遊び」「祭り」としての運動会が、「運動」「体育」へと変遷するのは、共同体が存在しているか、していないかの差であるとも述べていた。

頷ける部分も頷けない部分もあるが、確かに、パン喰い競争など娯楽性の高いものを見かける機会は減ってきたし、学校単位ではない、町民体育大会といった種の「運動会」が少なくなってきているのは事実であり、それは共同体がなくなってきたからだという指摘は正しいと思う。

幼稚園、小学校の運動会にしても、共同体の「遊び」の場というよりは、わが子の外での様子を保護者が見て堪能するための、わが子追っかけの場となっている気はする(これは実にほほえましくてうらやましいことなのだが)。

ただ、俺の学生時代、昭和の時代には「運動会」が「運動」と「遊び」の両者をうまく取り込み、機能していたと思う。「スポーツ」が「運動」になった後も、「運動会」が「遊び」の要素を内包していたのが、昭和の「運動会」であったと思う。

「運動会」が「遊び」であったならば、天気がよい秋にするのが一番だとは思うが、「体育」という位置づけだけであるならば、別に秋にする必要もない。受験にそなえて「運動会」を春に前倒しするのも妥当な結果だと思う。学校の教科としての「体育」のカリキュラムの一貫であるならばの話だが・・。

だが、「運動会」は、団体で出来る最上の「遊び」だと思う。運動能力に長けた子達だけのお披露目発表会ではないと思う。足が速い子はリレーに出ればいいし、鈍足は玉入れに励む。

五穀豊穣の秋に、共同体のありがたさを再認識しながら、団体遊びとしての「運動会」に精を出すこと、これこそが、最高の情操教育であったはずだ。

クラス替えをして間もない5月頃に形式的に「運動会」が行われることを、今の子供たちはどう思っているのだろう。卒業文集に出てくるネタの定番が、「運動会」から「文化祭」に変化してきているように思う。

おやじの命日に何を考えているのだか・・・。ただ、ほんといい天気だった。

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