2008年10月10日金曜日

つぶやき

今日も眼科へ。期待は虚しく散り、18日の手術リストにきっちり名前が挙がっていた。
右目の眼圧は昨日の40超えから30に下がっていたものの、内服薬と点滴を経てのこの程度の下がり方が何を意味しているかはわかる。手術に承諾せざるを得ない。

明日(今日)の昼頃に再度点滴を受け、その後手術に対する詳細な説明があるという。

嫁は、「まな板の鯉のような気分で吹っ切られ!」という。だが、酢味噌で食す鯉は、俺の中では珍味の扱いだ。珍奇なものを欲してきた日々ではあったが、自分の体に対しては欲していない。まな板の鯉の心境は、手術1秒前まで俺の中では無理な気がする。

夕方頃、親友からメールがあり、出張で越中に来ているとの報を受ける。仕事を終えてからの22:30分頃から、お好み焼きつまみに久々の楽しい宴を催す。

お互いの家族の話、世の中の話、バンドの話、モッズとは何か? クレイジー・ホースの偉大さ等々、とにかく楽しい宴だった。

小さな頃から、同じような日々を過ごしながら、異質なものを見てきた2人が、根本で通じるものを話すのだから、話が濃厚で愛しいものであるのは当たり前だ。強烈に密度の濃い、生きる上で最高の時間だったと思う。別格の時間だった。

親友を滞在先のホテルまで送る。

地方都市に流しのタクシーはいない。俺は拾うことをあきらめ、4キロぐらいの家までの道のりを、ゆっくり歩いた。

年々、散歩、歩くことが楽しくて仕方がない。車からの速度では見えないものにも目が行き、全く飽きさせない40分であった。

駅前の商店街を抜ける。地方都市の商店街にありがちな、寂れた雰囲気とはちょっと違う、厳粛とした息吹を感じさせる商店街をゆっくり歩く。アルミサッシの中に1件だけ木枠の扉があって興奮する。

空を見上げると、お馴染みの7つの星が存在感を増している。だが、かすんだ俺の目では真ん中3つの星は、見えたり見えなかったり・・・。夜の闇で、我が視力の衰えを感じるのはせつないが仕方ない。

寝静まった町の匂いにはいつも興奮する。思春期の、親の目を盗んで抜け出した深夜の、あの背徳感に満ちた匂いとも違う、もっと寛大でフリーダムな匂いだ。

だが、そこに哀愁の香りはする。視点が思春期とは変わっている。寝静まっている家並1つ1つを流し見しながら、毎日の再生へのリセットに落ちている人々の姿を想像したりする。

目のことなんかどうでもよくなってきた。吹っ切れたわけではない。まだまだ、煮え切らない日々を過ごすのだろうが、歩いている間は、生命の流れの中では無力な個人を割り切れたような気がした。錯覚だろう。心地よい酒宴の後の興奮がもたらした、意地悪な仮初の時間だろう。でも楽しかった。

最近の中では稀な、新聞を読まずに今日の動向に注視しなかった日であった。

寝よう。眠れるかはわからないが横になろう。

たかが、目の手術ぐらいで、人生にまで思いをはせて、色んな意味を考える俺は、ある意味すごいと思った。すごい日に親友と盃を交わせた俺は幸せものだ。つぶやきながら目を閉じよう。嫁は寝息を立てている。それでよい。

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