2008年1月21日月曜日

伝書鳩

バンドには、人間同士の想像を絶するぶつかり合いがある、人間関係の凝縮図のような集団だ。そこでの人間関係が深ければ深いほど、ぶつかりあった時の衝撃は多きい。逆に、人間関係の深さを持つまでに至らなくても、組んだ当初に(つまり、知り合って間もない頃に)、相手に対する何か違和感を感じたりしたならば、それが鬱積し、その関係を解除したいと思う衝動にかられるであろうことは、容易に想像できる。

好きな音楽と、バンドに込めた思いと、爆発力を秘めた者同士のエゴがぶつかり合う場、バンド内での人間関係は、その関わり方と、距離感が重要であり、夫婦関係以上にデリケートな場だ。

俺は、バンドに恵まれているが、多くのバンドが、内紛を起こして消滅していく場を、腐るほど見てきた。どう考えても、出会ったことが奇跡なのであるが、出会う時期がいけなかったのか、出会いの幸せを感じる間もなく、あっさりと消滅したバンド、または、メンバー間の壮絶なるバトルで、憎しみを抱えまくって分解したバンド、解散や消滅の経緯は様々だが、メンバー同士が、何の因果か1度集った以上、そこに意義を見出す俺には、実に悲しい現状だ。いや、悲しいというよりは、それがバンドという形態が抱えている性質なのかもしれない・・・。

俺は、幸いにして、以前にバンドを組んでいた人とも憎しみ関係を持たずに(俺からの一方的な感情かもしれないが)、今までのバンド変遷をしてきた。交流の濃度は違えど、どこかで会ったら、泣き出すかもしれないくらい、人間的にも音楽的にも尊敬できる人たちとの交流をもてたし、今のメンバーとも持てている。

昔、俺の親友が組んでいたバンドに、俺が好きなプレイヤーがいた。その方の演奏は、テクはないのだが尖っていて、芸術が転がりだす前の危うさと硬質さがあって、好きだった。俺の親友も、素晴らしいプレイヤーとのご縁があったことを喜んでいた。

しかし、そのバンドは長くつづかなかった。俺たちが一目置いていたそのプレイヤーが、一方的にメールで脱退を宣言したのだ。あっけない幕切れであった。感慨にふける間もないほどの出来事であった。

どんな理由があったにせよ、少なくとも、1度、音を交わした人間同士が、電波文書で終焉を迎える。その一方通行的な宣言を俺は残念に思っていた。バンドは難しい。かなり悲しい出来事であった。

こういう別れの場合、再びメンバーが再会するケースは、近隣に住んでいるとか、生活空間が近くであればありえるが、接点が日常にない場合、そのまま、お互いの人生に、何の正の働きも、もたらさずに、自己防衛的な忘却の刑に科されるのが普通だ。バンドで出会わなければ、人的交流が保てた人とも、別れた暁には、DVで別れた夫婦以上の、憎しみになるか、幸いにして、完全に忘却されるかのどちらかだ。

前置きが長くなった。

今日、俺の膨大な数の迷惑メールに混じって、「まえけんさんへ」というタイトルのメールがあった。間違えて消去される運命になる寸前で、俺は、そのメールに意識を止めた。

「私だよ!」とか、「RE:いかにも、私がパンツ皇帝である」(どんなキングじゃ!)といったタイトルは、多々見るが、俺の名前をタイトルにしたメールはない。しかし、宛名に心当たりはない。迷ったならば開くのが俺の帝王学だ。パンツの思うツボだ・・・・(笑うな!)

感動した。メールの相手は、俺の親友が組んでいたバンドの、上記のプレイヤーからだったのだ。その方は、俺の親友への連絡手段を無くしていたのだが、どうしても、一方的な脱退打診を、数年たった今、親友に謝罪したくなって、俺なら交流あるということを見越して、チープ板から辿ってきてくれたのだ。

何たる情熱の高さ! こんな清いことがあろうか? 自分が過去に抱いた感情の一部を自己消化し、それを記憶から風化させるのではなく、そこに落とし前をつけようとするその活力! なかなかできることではない。

「何であの時、あんなことを言ってしまったんだろう?」とか、「今から思えば、あの人は悪くなかった。むしろ自分にとって良い人だったな~。もったいないことをしたな~」といった、若気の至りにまつわる、酸っぱい思いでは、たくさんある。同性、異性関係なく、まして、バンド間の人間関係であれば、逃した魚への、恋慕は尽きない。

しかし、いつまでも過去を引きずるわけにはいかない。傷に対して、時には漆塗り、時にはペンキ塗り、思い入れの濃淡によって塗料を使い分け、嵩があまりに高まったなら、俺たちは、その記憶を裁断して、今を生きる。これが、成長という名で冠される俺たちのリセットの仕方だ。

そのプレイヤーからのメールには、今の俺の親友と交流をまた持ちたいという、打診もなかった。ただただ、俺の口からでいいから、謝罪の気持ちを伝えて欲しいと願う、清い動機だけが、言葉に変換され綴られていた。なんともいえない、清清しさに満ちたメールであった。感動した。

過去の種々の人たちとの出会いがあるが、1度決別した人から、こんな素晴らしい気持ちを抱かれ、そしてそれを行動力に写すだけの存在でありえた、俺の親友を誇りに思う。俺は喜んで伝書鳩になろう。
行間の情熱も含めて、俺はすぐに、親友に伝えた。彼も感動していた。

こんな伝書鳩の機会は、何度でも持たせて欲しい。俺はいつでも飛ぶ覚悟だ。こういう伝達を可能にするのであれば、電脳媒体も捨てたものではない。「パンツ皇帝」に見習わせたい。露出するなら、精神を!パンツの隙間に漂っていた、清いメールのタイトルを逃さなかったことが嬉しい。

思えば、俺は、親友の伝書鳩になったのは、これが初めてではない。俺は彼に伝えるために数回飛んだことが、中高時代にあった。その時は、今回のような清らかな伝書ではなく、俺にとって辛い辛い、伝達内容であった。俺は傷つき、俺の羽は涙で濡れた。乾いたあと、俺は干からびた。涙がもたらした塩分は、俺を乾き物にした。 俺の高校時代の渾名は「スルメ」だ。鳥も運ぶが、乾物も運ぶことがあるのだ。塩辛く、酸味があって、噛めば噛むほど・・・・・。 今こそ総括を!

明日の「伝書烏賊」の心まで~~~! 

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