2008年1月5日土曜日

学歴を、ふ~!

酔ってまふ。今日は、新年会に参加してたでふ。KO大学の通信教育課程で卒業した人たちが作っている会に参加したのでふ。電車で行って疲れたでふ。

俺がKO大学を通信過程で卒業して、5年弱、俺は、この手の卒業者対象の行事をひたすら避けてきた。以前のブログでも触れたが、飲みたい人としか飲まない権利を、30代後半になって得たと思っていたからだ。それに肩書きとしての大卒という肩書きそのものに対する価値観を、俺は矮小に考えていたので、OBからの訓示を拝聴するような場は、行ってたまるか!と思っていた。

数あるお誘いの葉書も無視していたが、今年は、在学中に面識のある方から、電話のお誘いを頂いて、気のいい俺は参加してしまったのだ。

参加した感想は、良かった!!!という好意的なものだ。24時代の帰宅という、品行方正な酒宴であるが、楽しい時間を過ごせたと思っている。

通信教育で大学卒業資格を取るという方法は、あまり馴染みがない方法かもしれない。簡単に入学から卒業にいたるシステムを概略して記す。

 ・入学試験は高校の内申書とレポート課題(複数)のみ。だから、暗記力競争のような難関選抜試験
 を受けなくてもKO大学に入れる。KOだけでなく、たくさんの大学が通信過程を設けている。

 ・一科目1単位から4単位のレポート課題(だいたい、2000字から4000字)のレポートを課題に沿
 って提出し、それに合格したら、科目試験(年4回)が受けられ、レポートと試験に合格すると、1~
 4単位が認定される。

 ・138(ぐらい)以上の単位を獲得し、卒業論文(40000字以上)の試験に合格すれば卒業!

といったシステムだ。このシステムは、入学するのは簡単だが、卒業が難しいという理想的なシステムだ。学費も年間8万円弱だ(スクーリング費用を除く)。卒業資格を満たした時には、一般受験で入った学生と同じ、卒業証書がもらえる。通信といった過程は明記されない(俺はしたほうがいいと思うのだが・・)。

多くの教授が、「通信過程の塾生の方が、一般塾生よりも、数倍学問レベルが高い」と公的な紙面でおっしゃっていたが、これは俺も同感である。実際に通学生よりも勉強は間違いなくしている。しかも通信の塾生は、社会に出た後の大人が多い分、思考レベルが、18~22歳平均の子達とは違う。

しかし、この通信は茨の道である。

入るハードルが低い分、KO大学では、卒業するのは、毎年数%だそうだ。しかも、12年ぐらいかけて卒業する方も多くいて、全卒業生の中では、4年で卒業するのは、0、コンマ%の世界だ。

自慢をする。聞いてほしい。俺は、このシステムを潜り抜け、4年で卒業した数少ないKOボーイなのである。無駄に字数の多い、アカデミックな論文が俺には向いていたのだ。S川急便やコンクリート工場での激務の合間であったが、坦々と卒業出来た。小さな自慢だ。

KO通信という、特殊な学業関係の中で、色んな人に出会った。かっこいい人との交流をたくさん得た。その一方で、卒業とは無縁の人に限って、ウンチクや、高尚なことを述べたがり、自分がさも有能な人間であるかをアピールする人が多いことにも気付いた。最初は、通信教育で学ぶ人たちを同志だと思っていたが、だんだんと、その薄っぺらさに気付いた。そして、その人達との交流を忌まわしく思った。

ある地方の議員さんは、新聞に載る最終学歴の欄に、「KO通信中退」と書いていた。

通信教育の大学は、先に述べたように、入るのは楽勝なのだ。だから、中退という定義は発生しない。挫折と言い換えるべきものである。挫折はかまわない。でも、通信教育を放棄した人が、それを経歴に残すのは、根本思想が狂っている。

通信教育は、卒業して初めて意味がある過程だ。途中で放棄するのは構わない。習字やそろばんをやめるのと同じ認識レベルであるが、アカデミックな空気を感じ、そこで、学習の方法論を体感した後に放棄することは素晴らしいと思う。しかし、それを学歴に冠する発送がキテレツだ。

俺はたくさんの素晴らしき人たちと、通信教育を通して出会った一方で、KOというブランドに酔いしれた、夢遊病者のような人たちにもたくさん出会った

俺は昔、大学を中退した時、「ロックンローラーにとって学歴がなんぼのもんじゃ! 冠するもので人を判断するな!」ということを、自分の意見として思っていた。

しかし、社会に出て、30代を目前にして、大学を卒業していないものが、上記のセリフを吐くことを恥ずかしく思った。プロ野球選手と同等にプレーできない者が、彼らプロの技術を評論するのと同じレベルのかっこ悪さを感じた。

だから、俺は、一応国内で名が知れている大学の卒業資格を取って、その後で、「本当に大事なものは学歴なんかじゃない!」ということを正々堂々と言いたいと思ったのだ。

KO通信で知り合ったなかで、俺が尊敬している方々との交流は、未だに持てている。幸せだ。その一方で、どうでもいい、KOレーベルに魅せられただけのウンチクたれの方が圧倒的に多かった通信生活を鑑み、俺は、卒業後、KOレーベルからのお誘いを頑なに無視してきた。卒業生が参加するOB回もことごとく無視してきた。

しかし、今日の飲み会は、俺が在学中にお世話になった方から、直々のお誘いであったため、「さくっと飲んで、暴れてやろう!」といいう趣旨で、冷かし半分に出かけた。

結果は正解である。来られていた方々の多くは、俺の生前に卒業された方である。今は、退職後の余暇を優雅に過ごし、登山をし、花や野草の名前に敏感な暮らしを送っておられる方々であった。
俺は、今まで、KO大学卒業生に対して抱いていた拒否感を、恥ずかしく思った。随分年配の方が多かったせいもあるが、10年以上かかって卒業された方々の昔の苦労話と、近況を聞くと、背筋を伸ばされる思いがした。人生の達人である。

学歴をもっとも忌み嫌う俺であったが、実は、学歴に対するコンプレックスを人一倍持っていた人間だったのではないかと、急に思った。実に俗物である。20歳で中退してからの俺は、学歴放棄の自分の落とし前をつける機会を、大義名分と共に欲していたのではないかと思ったのだ。

純粋な動機で、大学での学問を選ばれた方々の清さを目の当たりにし、俺は、意固地な学歴コンプレックスを、真の意味で払拭できた気がした。

本心から言える。「学歴なんてどうでもいい」と。しかし、こう言えるまでに要した俺の年数は、短くはなかった。

素晴らしき先達との飲み会を楽しく過ごせた。御大達と共に、今年の夏は登山に行く約束をした。登山ビギナーの俺であるが、彼らから、花の名前をたくさん教わり、彼らの崇高な眼差しから、何かを学びたいと思う。

楽しかったのでふ。酔ったのでふ。今年は山登るのでふ。ふ・ふ・ふ・・・・。ふっきれた。

1 件のコメント:

学歴の書き方 さんのコメント...

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。