2008年1月19日土曜日

外海の怖さ

今日のニュースを流し読み、「名古屋の老夫婦の奥さんが絞め殺され、夫は東尋坊周囲で死体で発見」というものがあった。何でも、妻が苦しいというから殺して、夫は勤務先のタクシーを東尋坊周辺で乗り捨て、投身自殺したらしい。

色んな人生を共有してきた夫婦の晩年としては、あまりに悲しい事件である。
無理心中という選択肢を選ぶ人たちの心の状態を、色々思ってみる。

俺は、生まれて今まで、自殺願望は皆無だ。まず、ありえないと思う。だからこそ、死を自ら選ぶ人たちの心理に対して、それを遊戯的で、俗物的なものとして軽蔑し、決して、詩的なものにはとらえることができない。

だが、東尋坊という文字が目に付いた時、俺は、そこを選ぶ人たちの心境が、何か分かる気がする。いや、分かってはいないのだが、引き込まれる何かがあることは感じるのだ。

この、東尋坊だが、俺は18歳の時に、初めて訪れた。それまでに、富士山周辺の樹海に次ぐ、自殺の名所で、「命の電話」なるものがあるとか、いった予備知識を入れられてからの初訪であった。

俺は、単純だ。北陸道を友人の運転する車で行き、三国あたりに来た時から、不謹慎な言い方だが、すごくわくわくした。最後の自発的死に場所に選ばれる所が持つ、不穏な空気を、頭でっかちに想像し、東尋坊の道路案内が国道沿いに見えるたびに、胸の中がばくついた。

実際について、断崖絶壁の様相を見た時は、怖くて、近くまで立ち寄れなかった。海と岩とが作り出す何か威圧感ある風景と、予備知識への悪戯な反応が、俺の足をすくませた。単にへたれなだけであるが・・・。「命の電話」があるかどうかを確認する気持ちもなく、お土産物屋で、ビールを飲んで、引き返した。

東尋坊を初訪後、俺は、詳しく見なかったことを後悔した。立派な観光地であり、見方によれば、自然の荘厳さを体感できる、素晴らしき場所なのだが、俺はその時には、足を止める変な圧力を感じて、とてもじゃないが、無邪気に岸壁に近寄ることが出来なかった。

何が1番怖かったのかを、色々考えてみたのだが、まず思い当たるのは、自殺名所という予備知識である。しかし、それだけならば、俺は好奇心が勝り、現場を目の前にして尻込みすることはなかったはずだ。では何か??

目を閉じて、恐怖の根源を辿ると、漠然とではあるが、俺は海に対する恐怖感が潜在的にあるのではないかと思った。

しかしその後、俺は東尋坊から東に2つある越中の国に移住することになるのだが、富山湾からの眺めは、俺の中に平安をもたらしてくれ、俺が今までで1番好きな景色も、富山湾にある。

単に、海というものが怖いのではない。東尋坊を訪れた時の恐怖感の源が何であるかを俺はわからずに、富山での生活を始めた。

富山に来て1年目、能登半島を一周する旅をした。そして、松本清張「ゼロの焦点」で有名な、巌門周辺に来た時に、東尋坊と同じ恐怖感を感じた。二の足が踏み出せないのである。好奇心をつぶすほどの恐怖感がそこにはあった。

上手く形容できないのだが、入り組んで、少し先に陸地が見える湾の景色と、日本海側の海原とでは、威圧感が全然違う。外海を背景にすると、そこに、引きずり込まれそうな恐怖を覚えるのだ。

細かく見れば、景観を保つための人工的な補修もなされているのであろうが、ほとんどが、自然の作り出したまんまのむき出しの岩肌が、外海をバックに映る時、俺は、自然に対する畏怖を覚えるのだと思う。何か、踏み込んではいけないような空気を感じる。

「日本昔ばなし」というアニメがあって(今もあるのかは知らない)、幼少時によく見ていたのだが、こっけいで、ほんわかした話しと、恐れ多くて、おねしょを誘発するような、2タイプの話しがあった。話しのタイトル表示時の音楽からして、明らかに2種が使われていた。

あの、怖い話(祟りもの)を見たときの恐怖のような感覚に、俺が外海に対する畏怖は近い。

日本民話自体に、興味があって、色々と書籍をあたったのだが、何か悪い意味で尾を引く物語は、外海に面した土地か、無茶苦茶山奥で孤立した秘境で生まれたものが多い。
何か、自然に対する畏怖が、様々な伝説や説話を生んだことは明らかだ。

話し手が、話しに込めたフィクション性、または、口承による話しが尾ひれをつけて大きくjなったものが、現在、我々が耳にする民話であろうが、その根底にある、原始レベルでの、自然への慄きが、俺にはあるのだ。

気のせいかもしれないが、日本海側の磯には、天気が良くても遮光されているような、薄暗さを感じる。
確かに、海を背景にした景観は見事であり、純粋に、大景観に対する感動を味わう何かがある。
しかし、俺は、景観が素晴らしければ素晴らしいほど、壊れそうな恐怖を感じてしまう。

何度か、こういった感想を人には話しているのだが、同じ感覚で認識する人とは、まだ出会っていない。理由がわからない上に、特殊な感受性なのかもしれないが、俺は外海を愛でることが出来ない。

大学時分に、友人と深夜の小浜(福井県)まで遠出し、浜辺に立って、入水自殺する人の気持ちをしばしの間、想像したことがあった。波音が時間の経過をさらい、無言の時間が流れた。

俺たちは、何事もなかったように、車に戻り、女の子のことや、バンドのことを話して帰路に着いた。明け方、下宿に帰り、眠りについたが、その時に、俺の夢には東尋坊での映像が、ストーリー性を持たずに出てきた。無風の静止画に波音だけが背中から聞こえる・・・。

外海、特に日本海側の外海に、俺は畏怖を感じると同時に、吸い込まれる何かも感じてしまう。魅力がないわけではない。むしろ、魅力がありすぎて、美しすぎて怖いのだ。俺の防御本能が、立ち寄ってはいけない場所として、俺を畏怖させるのかもしれない。

冒頭に戻る。長年寄り添いあった妻を殺し、自殺の場所に東尋坊を選んだ夫・・・。余韻が残る事件であったが、深入りは禁物だ。中途半端な興味は、自分をその心理に同調させてしまう。

ブログにしたため、以後、素通りすることにする。

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