2008年1月15日火曜日

冬を体感

今週は、本格的な寒波が到来ということをニュースで聞き、すごく期待していたのだが、今日も降らなかった。周囲は「さぶいさぶい」と言っているが、俺は半ズボンでもいいくらいに思える天気だった。とは言ったものの、冷気はあり、空気は澄みまくり! こうなると立山連峰が、素晴らしく綺麗に見える。国道を東に走っていると、目の前に雪化粧の連峰が、蜃気楼のように浮かび上がってくる。個人的には富士山よりも、連峰だけに横に尺があり、荘厳であると思う。

山はしっかり雪化粧し、熊も冬眠しているであろうに、平野部には依然として積雪なしである。不満だ。
雪に対する渇望が、俺の気持ちを情緒不安定にさせる。

最近は、夏の残暑が10月後半にもあったりして、なんか変である。異常気象、地球温暖化という言葉で片付けるには、あまりに来るべきものが遅すぎる。

俺は、5年ほど前からずっと、暦の設定と自然の循環の関係が、長い間かかって、1ヶ月ほどずれてきているのではないかと思ってきた。

ここ5年ほど、梅雨に入るのは7月初旬、クラゲが出だすのが9月初旬、12月になってやっと色付く、一部の紅葉、2月初旬のドカ雪・・・・。どれもこれも、1ヵ月のずれを加味すれば、納得がいく。

俺の予測では、今月は大雪にはならない。その代わり、今年は3月下旬になっても降雪が1回はあるような気がする。季節はずれという言葉は、土台が狂っているので、当てはまらなくなってくると思う。

もし、こんな俺の推理があたっているならば、季節感という認識自体を、根底から覆さなくてはならない。幼少の時に感じた、季節を感じる行事が、ずれてきているからだ。

昔の和歌に見られる季節は、1月から3月が春、4月から6月が夏、7月から9月が秋、10月から12月が冬だ。

今の時代を俳句で詠む時、季語は、3月からが春で、その後3ヶ月ごとに四季を当てはめる。

これも、変わっていかなければならない気がする。1月から3月までが冬で、4月から6月が春・・・という風に変化してみたらどうだろうかと思う。ちょうど、陰暦の季節と季節1つ分、ずれていることになる。

上記の基準に当てはめるならば、日本人の季節と行事の感覚もだいぶ変わってくる。

春休みは、今は3月末からだが、これを4月末からにする。ちょうど、GW明けが新学期のスタートにするのだ。同じように夏休みは、8月末から9月末まで・・・といった具合だ。

そうすると、ここ数年の季節感は、俺が幼少の時に感じた自然の変化と、ふさわしくリンクするような気がする。

地球温暖化に伴う異常気象といった言葉ばかりが、大量に出回ると、なんか気分が滅入ってくる。確かに、温暖化しているであろうし、極部の氷が解け始めているのも事実である。しかし、大気の温度が上がることを分かっていながら、先のビジョンを持たずに、開発欲、経済的目論見で、大量消費を奨励してきた挙句、こうも連日警鐘を鳴らされると、気分が滅入る。

地球や宇宙といった、この壮大なものが、馬鹿な人間共がしでかしたことぐらいで、機能が狂うほどヤワなものとは、俺は考えていない。氷が解け始めて、地表の水量が上がるなんてことは、宇宙のスケールからしたら、人間の毛が抜ける程度のものだと思う。

だから、何もしないでいいというのではない。個人レベルでの環境に対する労わりの気持ちは大切であろう。でも、今更、何をするというのかね? 火力発電所も水力発電所も、たくさんこさえて、それらが十分、電力をまかなえる母体があるにも関わらず、核武装するための準備段階として原子力発電の必要性を世論に流しやがる。今更止められるものではない気がする。

海水に沈む国があるならば、そいつらの住処を陸の奴らが提供してあげることを考えるほうが先決だ。武装速度と装備の内容を競うレベルの人間が、一方で、地球の環境に対する苦言を呈する。
なんなんだ、こいつらは・・・。

風邪をひいてから、初めて健康の素晴らしさをわかるのが俺だ。先への想像力を持たずに、日々を快適な方向にのみ進み、それがもたらす悪弊が、起きてから嘆くのが俺だ。

しかし、この俺の未熟なレベルは、国家レベル、世界レベルの舵取りをしている、偉い輩らの精神レベルと比べても、そんなに変わらないと思う。だから、今の地球が直面しているレベルに対する責任を、同じ地上人として、偉いさんに、あれこれ言う気はない。

「やってもうた~、地球あたたかくなってもうたやん! 暦狂ってるやん! どうするべ??? ちょっとやりすぎたな~。わてら、ちょっと燃料節約しいひんけ? でも、車捨てがたいしな~、とりあえず、海に沈む人たちが住める土地を、各国協力して、わけわけせえへんけ~? その後のことは、また、その時、考えようぜ!」
といった、レベルの対話を、難解な言葉で文書化して、議定するだけの会議が行われるのであるが、言葉が難解な分、悪戯に危機感だけを煽り、誰も個人レベルで、本当の危機感を煽られない。

小休止・・・・。

このての話題になると、自分の狭量な思想と含蓄を棚に上げ、毒づく俺も悪戯だ。ここで止める。

ただ、暦に関しては、俺は上記の説は、実感レベルとして真実な気がする。雪が降らないくらいで、目くじらたてて、いらいらするのは止めよう。だって、今はまだ、冬が始まったばかりだ。これから長い冬が来る。降るものは、時期が来たら、ちゃんと降ってくれるだろう。

来るべき時を待ちわびて、今のこの季節感を満喫したい。昨今の環境問題は、暗喩的な意味の冬の到来であるのかもしれない。でも今日の立山連峰は綺麗だった。冬の時代も捨てがたい。味わえる時に、その良さを体感したい。

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