2008年11月26日水曜日

景観の画一化と高さへの挑戦

今日、嫁を迎えに行った時に駅前の建設現場を通った。銀行跡地とはいえ決して広くはないスペースにホテルを建設中で、早くも高い囲い枠が張られていた。

新聞紙上で既に知っていたのだが、「ほんまに建てるんや?」と少々驚いた。人口たかだか20万人弱の地方都市であり、既に駅前には大手のテナント付きホテルが2件、ビジネスホテルが思いつくだけでも8件ある。また、駅から1キロちょっとのところにアパホテルもある。

数々の成功例に裏付けられた商圏調査がしっかりなされた上での新ホテル建設の着工だとは思うのだが、実感としてはそれほど需要があるように思えない。今日も駅前は人がまばらであり、典型的な賑わいを無くした地方都市の駅前の光景であった。

銅器、アルミの地場産業があるので、出張でのビジネス客はそれなりにいるのだと思うが、α1のようなビジネスホテルとして限定したホテルならいざしらず、シティーホテルが建つのは理解が出来ない。客室の稼働率が何割で利益が出るのか知らないが、損益分岐の数字を維持できるとは思えず、赤字経営で破綻したら、駅前に高いビルの廃墟が出来る。それを心配している。

県庁所在地の都市はもちろんのこと、ちょっとした市の駅前には、全国的に高いビルが建っている。電車に乗っていて、少し有名な都市に近づくと、高いビルが立ち並ぶ光景に車窓が変化するのがわかる。

おまけに全国規模の看板がネオンを形成し、その都市を他の都市と区別するだけの特異性がなくなっている。

きらびやかな高層ビルがある横で、廃墟寸前のような雑居ビルがある。サラ金の看板があり、英会話学校の看板があり、全国チェーンの居酒屋、飲食店の暖簾、看板が見える。全くもって日本全国の地方都市は画一化されてしまったと思う。

全国にたくさんいる市長の中で、1人くらい高層ビルを作るのではなく、せいぜい5階建ての団地レベルの高さで、規制を設け、高層ビルのない町並みを誇りに、人工的虚飾をせずに、地場産で町おこしをしようという人はいないのだろうか?

地方都市の駅前に、昔の宿場町のような粋な宿が軒を連ねる。地方の名産を取り入れた特色ある飲食店が町を彩る。そんな町が増えたなら、列車での旅はもっと楽しくなるだろうと思う。風土が生んだ景観によって作られた光景の際が見て取れると思う。

面積が少ないところに人が溢れたから、仕方無しに上に体積化してスペースを生み出した都会は仕方ないと思うが、日本全国こぞって高いビルを作ること、モダンなビルを作ることに躍起になる精神が、実に安っぽいような気がする。

人間は高さを競う習性があるのだろうか、横の市が100メートルのビルを作ったら、俺ところは120メートルのものを建てよう! といった具合に高さ競争をする傾向があると思う。

ジェットコースター、観覧車なんかの売り文句もそうだ。「日本一の落差、高さ」、そしてそれはすぐに更新されるのだが・・・。

少し前のニュースで、ドバイで強烈に高い(キロ級??)ビル建設計画があると聞いた。いくら桁違いの成金地区とはいえ、正気の沙汰とは思えない。

「バベルの塔」の話を小学生の時に興味深く、何度も読んだ。バベルの塔の高さは神への挑戦を意味していて、それに対して神様は、作業員の言葉を乱した。意思疎通を不可能にし、それがバベルの塔の崩壊に繋がったという。そしてその時から今のような多言語世界が出来たという話だ。

この話を小学生の時に知って以来、高層建設が目立つ都市開発を潜在的に忌諱するようになってきている気がする。高さが怖い。俺が高所恐怖症なのもこれが原因かもしれない。ジャングルジム級の高さでも、神の裁きを受けそうな気がする。ちがうか?

全国が画一化されていくこと、そういえば方言も昔ほど地方を映さなくなった。全国ネットで標準語と強い関西弁が垂れ流され、豊かな地場の方言もイントネーション、言葉に輝きを失いつつあると思う。

いっそのこと、神様の逆鱗にもう1度触れたほうがよいのかもしれない。そうすれば、地方が地方の言葉を取り戻し、地方の景観を適切に時代調和させるだけの心が戻ると思う。

たかが、新規ホテルの建設現場を見たくらいで、何を大げさな!と思うかもしれない。だが、景観の画一化、そしてその原因である高さへの挑戦がずっと気がかりだ。

0 件のコメント: