2008年11月19日水曜日

スリップしながら奇譚

今日は雨模様、夕方からミゾレ混じりの雨に変わり、帰宅する頃にはシャーベット上の道になっていた。冬はもうすぐ、かなり嬉しい。

出勤前に眼鏡屋に寄った。緑内障の手術後、医者は長時間でなければ良いとは言ってくれるものの、さすがにコンタクトをはめるのは気が進まない。眼球近辺を触れることがまだ恐怖を感じるので、先日のライブ以外は眼鏡をかけている。

極度の近視の俺は、眼鏡を長時間していると、どうも気持ち悪い。圧縮レンズとはいえ、かなり分厚いレンズは、長時間かけていると変な眼精疲労を感じる。おまけに俺の鼻筋が左右で歪んでいるのか、眼鏡のあの鼻で固定するブツの座りがどうも悪い。いつもそれに悩まされていた。

ちょうど、ネジが緩んでいたこともあり、修理がてら、新調眼鏡の下見と、鼻上固定具の調整が出来ないかを聞きに、購入店に行ってきた。

案の定というか、部品の磨耗を理由に、新調を強く勧められたのだが、「検討します。」と逃げながら、店員のネジ締め中に色々物色した。

装着感も大事だが、眼鏡はやはり自分に合ったものを選びたい。ただでさえ眼鏡が似合わない顔面骨格をしている俺だ、フレーム選びは慎重にしたい。だが、眼鏡を修理してもらっている間の俺は、完全なる裸眼であり、売り物のフレームを物色しようにも、10センチくらいまで目を近づけないと、フレームの全体像が見えない。

おまけに眼鏡をかけて、顔の全体像を鏡で見ようにも、10センチ以上離れると見えないので、至近距離での観察になる。鼻毛を抜く時の距離だ。全体像が見えるわけがない。みんなは、どうやって眼鏡フレームを選んでいるのかが不思議になった。

フレームを見ただけで、自分に似合うか似合わないか、客観的に判断できるだけのセンスを持ち合わせた人がほとんどなのだろうか?俺にそのセンスがないことだけは自信を持って言える。フレーム選びも大変だ。

修理を終え、眼鏡屋を出る。営業をしたそうだったが、「営業や~め~て~!」ビームを俺が出していたからだろうか、女性店員も営業はしてこなかった。代わりに、「またいつでもコーヒーでも飲みに、遊びに来てください。」と言ってきた。

ここは喫茶店か? ほんまに遊びにいったろか! との邪心がちょっと浮かぶ。

ネジはしっかり締まったものの、依然、座りが悪い。やっぱコンタクトがいいな~と思いつつ、ふと考える。

「眼鏡が発明されなかった時代の人は、どうしてたんやろ? 近視にならなかったのかな?」と思う。また、「眼鏡はいつ発明されたんやろ?」と疑問が浮かぶ。

気になったので調べてみた。

なんでも、イタリアで13世紀にはあったことが確認されているらしい。そして日本にはザビエル君が伝えたらしい。ザビエル君が伝えたといっても、眼鏡をかけた侍を見たことがないので、一般普及はかなり最近だろう。イタリアにおいても老眼矯正が主であり、近視矯正ではなかったらしい。

電球も発明される以前から、蛍の光、火の光で夜を過ごす奴らの中に、近視になる奴がいなかったとは考えにくい。そら、テレビもなければ書籍も広く普及していなかった時代、今ほど近視人口が多かったとも思えないが、確実に近視者も存在しただろう。

近視の旅人がいたとする。彼がさまよい歩いた先に、集落があったとする。集落の住民は、お茶の収穫期であり、体中に取れた葉っぱをまとい、頭にも刈り取り作業具を載せる皿みたいなものを置いて、帰路に着いていたとする。

それを見た近視の旅人は、体が緑で、頭に皿がある人間を見て恐くなった。そして、その土地を避けるようにして旅路を急ぎ、次に出た町で彼が見たことを話す。

稚拙な例だが、こういう風にして、河童伝説が生まれたのではないかと思った。大蛇や龍なんかも同じようにして生まれたのではないか? UFOなんかもそうではないか?

いつも、「朝起きて、何も矯正しなくても視界が開かれる人が羨ましい。」と思っていた。だが、世の中の伝説、異次元の世界は、近視者によって生み出されたのではないかと思い、少し嬉しくなった。

矯正危惧をたまにはとっぱらって、裸眼で世界を観察してみるのもいいだろう・・・、そう思い、裸眼で車を発進させて、シャーベット道でスリップした。

現代には矯正危惧がやはり必要だ。それに伴い、伝説を作り出す土壌もないのだと思った。

冬が来る。

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