2008年11月12日水曜日

言葉選び

今日は、「ほうるもん」ベースの御大と曲ネタ仕込みでスタジオにこもった。今までの自分の発想にはない音世界に、想像力を研ぎ澄まして集中した。まだまだ言葉が降りてこず、表現したい世界を掴み損ねている感じだが、何としても掴み取れるように、日々集中したい。

音世界から言葉を掴み取る時にいつも思うのだが、日本語は本当に掴みにくい。英詩の世界も数多く読んできたが、英語はどんな音世界に乗せても言葉は言葉で中立を保っていると思う。

上手い例が思いつかないのだが、例えば、「さざんか」という花を英語では、camellia という。日本語の音を優先して sasanqua と表記する場合もあるが、camelliaで考えてみる。

これは実際に曲で使用されているかどうかという事例はどうであれ、ブルースでも、ロックンロールでも、ファンクでも、ポップスでもどんなジャンルにでも使えると思う。
ストーリーや韻の世界に組み込まれれば、違和感はないと思う。

ところが、日本語で「さざんか」はどうだろう? 大川氏のヒット曲のイメージが強いだけかもしれないが、どうしても演歌チックに感じてしまう。いくら日本語ロックだといっても、「さざんか」という言葉を掴み取って、詩世界を俺は構築できない。

「すすき」って言葉は詩に取り込めると思えるが、これが「枯れすすき」ならば、昭和歌謡か演歌の響きをたちまち帯びてしまう。これも俺は詩に取り込めない。

綺麗な日本語を1つでも多く覚えて、詩世界に取り込みたいと思っている。俺が作った「うつせみ」という曲、この言葉は個人的にはすぐれた情感あふれる言葉だと思うのだが、これが「蝉しぐれ」なんかになると使い方が難しい。もちろん使い方次第だが、藤沢周平の名著の影響もあってか、大仰な和感が強調されすぎるきらいがあると思う。

「くれない」という言葉を漢字表記で使った、Xの言語感覚は俺にはない。「くれない」と聞くと、「命くれない」につながり、瀬川な世界になってしまい、俺の力量では音世界にはめられない。品詞は違うので比較するのはナンセンスなのだが、音感覚がどうも俺にはない。「くれない」は「あかい(紅い)」と表記して使うのは個人的に好きなのだが、「くれない」の音感がない。

「さざんか」、「枯れすすき」、「くれない」、他にも演歌に使われている言葉は、すぐれた日本語が多いのだが、どうもロッキンな世界には座りが悪い。もちろん、個人的な言葉との相性であり、これらを使いこなせるだけのキャパが俺にないだけなのだが・・。

詩を後付けする作業を「ほうるもん」で初めてするようになって、音世界から言葉が乗るまでの過程に一喜一憂して取り組んでいる。使いこなせる言葉のキャパを増やす一方で、従来から個人的に相性の良い言葉を、適材適所、いかに配置して味わい深いものにするか、永遠のテーマだ。

メロを何度もつぶやきながら、そこに降りてくる言葉を待っているのだが、不調な時はろくな言葉が下りてこない。

今日は、五音で、綺麗な単語を掴み取りたいと思いながら歌っていたのだが、降りてきた言葉といえば、「仕事人」、「裏稼業」、「斬首刑」、「ポンとロン」、「リー即ツモ」、「口直し」、「こっぺぱん」、「たこわさび」・・・しか出てこない。最悪だ・・。

どうやって詩世界を作れというのか??? 何が歌いたいねん!!!  今の俺の頭が病んでいるのか、雀鬼化しているのか、空腹なのかはわからないが、前途多難だ。

よく人から、「よくもまあ、それだけ詩を次々作れるね~。」とお褒めか呆れかわからない言葉をかけていただく。たしかに、アマチュアで音楽を生業としていない割には、作った詩の量は多いと思う。どこに閃きの種があって、どこから舞い降りたかわからないうちに最終的には詩が出来ている。

だが、そこにいたるまでには、数々の残骸が存在し、無残にしか言葉が出てこない日々の苦悩が多くある。ずっと考えていて頭が痛くなるまで向き合っているから降りてくるのであって、決してすらすら出てきているわけではない。言葉に敏感に反応し、それをずっと記憶に置いておき、いつかそれが形になる必然性を持った時を待っている。

いつからこうなったかわからないが、ずっと曲作りのことばかり考えている気がする。日々の出来事、思ったこと、それら全てを曲に出来ないか?という尺度で反芻している。
最後に言葉が降りてくるまで考え続けながら待ち続けるのは、非常に苦難といえば苦難なのだが、これを心地よく思える習性になったのだから、これからも苦難は楽しく続くのだろう。

言葉選びは難しい。だからこそ夢中になれる。今日は不調だったが、明日降りてくる言葉に期待したい。

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