2008年12月5日金曜日

派遣切り問題

今日のニュース。

「派遣労働者を契約期間中に雇い止めとする「派遣切り」が社会問題化する中、東京・日比谷野外音楽堂で4日、作家や弁護士、労働組合などが呼びかけた「派遣法の抜本改正をめざす12・4日比谷集会」が開かれた。約2000人が参加した集会では派遣労働者が「派遣切り」の厳しい現状を報告し、労働者派遣法の抜本改正を求めた。」

これについては派遣労働者側への批判と、経営者側への批判の両方ある。

俺も派遣労働にはお世話になった。バイト時代ではなく、結婚した後にも派遣労働として働いていたことがある。その当時も、一般的には雇用水準は低く、職安前には人があふれていた時代であったから、決して俺がたまたま良い時代に派遣を経験したのではないことを最初に断っておく。

「派遣労働者側への批判」

率直に言って、現在の、そしてこれからも派遣労働で働き先を探すのは、困難なこととは思えない。求人誌を見れば、あふれんばかりの即決採用、即労働の求人が載せられている。

各自にそれぞれの希望職種や労働条件があるから、誰しもが完璧に条件の合う会社に派遣されることは不可能だが、選ばなければ100%と言っていいほど、仕事にはありつけると思う。

ここでいう仕事とは、生活をしていけるだけの賃金をいただける仕事という意味だ。つまり、誰でも飢えずに金を稼ぐことは可能だ。

仕事の条件や待遇を求め出したらきりがない。妥協しろと言っているのではないが、正規雇用の人でも、それなりになんらかの妥協をしながら一定の職種に携わっていることが殆どだ。だから、世の中の情勢で希望職種がないならば、あるまで別の所で働けばよい。そして定期的に希望職種へのリクルートをすればよいだけだと思う。

冒頭の集会は、契約期間内の「雇い止め」に対する反対集会であり、確かに契約を交わしてその期間がある限りは、雇うべきだと思うが、それに抗議して労働者派遣法の改正にまでアピールするエネルギーと時間があるならば、別の仕事を探すことにそれを向けるほうが賢いと思う。

なぜなら、正規雇用の人は、会社が倒産したら次の日から失業者となる。終身雇用の契約は交わしていないが、彼らにとっての「雇い止め」となる。派遣労働者もそう考えて、次を探すべきだと思う。

どうせ(この言い方は御幣があるかもしれないが)、命かけてしていた仕事ではないだろうし、その派遣先じゃなきゃいけない切実な思いがあるとは思えない。何人かの作家もこの集会を後押ししたようだが、シュプレヒコールは虚しく思える。

恐らく、派遣とはいえ賃金対価としての労働に、プロ意識を持って、誠実にこなしてこられた心ある派遣労働者は、このデモには参加していないと思う。「雇い止め」をイデオロギー的な攻撃題材とする奴らか、権利を主張して義務を人間的、物理的両面で果たさない奴が100%ではないかとさえ思う。偏っていたら申し訳ないが、自己の派遣労働経験に基づいて、暫定的に断言する。

今は不景気というプロパガンダ?はあるが、まだまだ飢えるにも努力を必要とする時代だ。こういう集会が、根拠のない自己弁護・他者攻撃に基づいたやつらの人間性を擁護するきっかけにならなければよいと思っている。職はある。種々吟味して掴めばよい。

「経営者側への批判」

天下のトヨタが派遣労働者のカットをするということで大きなニュースになっているが、
あのトヨタの経営陣といえどもこの程度かとまず思った。

不景気になって、リストラをすることで急場をしのぐならば誰でも出来る。

経営陣の罪は、今雇用を減らしたことではなく、今減らさなければならないほどの余剰人員を過去に創出したことであると思う。

ある商品が売れた。だから生産が追いつかない。新たに人を雇おう! という流れは自然である。だが、まともな人間は、現況の忙しさが、一体何に基づいたものであり、いつ頃まで続く忙しさなのかを十分に吟味し、生産拡大のパイを広げる。

永続的な好況、右肩上がりはあり得ない。だから、ほとんどの中小・零細の経営者は、バブルを生み出さずに、泡を作らずに、受注をどこかで制限して己のスタンスを保つ。

それに引き換え、忙しくなったらいっぱい人を取り、暇になったら人を切るというのは、あまりにお粗末といわざるをえない。

だが、この経営者批判であるが、派遣労働という形態を考えた場合、「やむをえず不景気になった場合のことを考えて、正規雇用は増やせない。だから派遣労働に一時的な割高賃金を払って、現在の好況をしのぐ。」という経営判断が大きいと思う。

つまり、目先のバブルを信じていないからこそ、派遣労働を増やしたのであり、正規雇用社員のリストラと違い、本来、派遣労働はこういう自体に備えて用意された労働形態であると思う。

結局、今回の抗議集会に関しての、俺の経営者批判も、突き詰めていくと経営者擁護に繋がる気がする。

時勢が変われば契約も紙くずになるのが、悲しいかな派遣労働の現実だ。だからといって派遣労働を軽く見る気はない。業種によれば、正規雇用の人よりもスキルを多く持った派遣労働の人がたくさんいる。

どのような労働形態を選ぶかは、全て自由だ。

仮に、選ぼうにも選択肢が用意されていないような人がいたとする。その場合は、残酷に思えるかもしれないが、自ら持ったソフトの問題であることを、冷酷に啓蒙すべきだと思う。

身体に障害のある方で、物理的に職につけないかたへの配慮は今記のブログではなされていない。そういう人たちへの配慮は社会システムとして構築されるべきだと思う。だが、その場合も障害者という前提が人格に勝るものではないことは明らかだ。

雇用関係というのは、本来、各自の内面も含めた重い契りが交わされるべきだと思うのだ。それが表面的な条件で人夫を創出する派遣雇用というシステム自体がある。
重い契りを選ぶか、軽い契約を選ぶか、この本質を吟味した上での労働者派遣法の改正に繋がる契機であったなら、今回の集会も無駄ではないと思う。

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匿名 さんのコメント...
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