2008年12月23日火曜日

歴史を学ぶ

小・中・高と長きにわたって「歴史」なる教科を学んできたが、大人になった今、教わった当時のことで覚えていることはかなり少ない。覚えていることの多くは雑談であり、身近な話題だけである。過去の「金時」ネタブログでふれた、社会の先生の話は断片的には覚えているのだが、基本的には記憶がない。

俗に言う、「入試頻出用語」なる歴史言葉は、人並みには覚えているが、山ときたら川と反応するような、条件反射的な覚え方であり、歴史の流れの中の1つの事件や人物や文化としては理解できていない。恥ずかしい話である。

歴史の授業で、先生方は色々工夫しながら、なぜそのような事件が起きたか、そして、誰々の行動は歴史的にどのような影響を与えたかを、一生懸命かみくだいて説明してくださっていたと思う。だが、俺には深い印象を残さず、耳を素通りしていっただけのように思う。
残ったものは、単独で孤立した歴史用語の残骸だけだった。

この原因は、俺の学習意欲と知的好奇心が低かった問題もあるかと思うが、基本的に、社会という教科の学習指導目標と、テスト内容がリンクしていないことがにあると思う。

授業では一生懸命歴史の流れを説く。だが、テストになるとその流れを理解しているかが問われることはほとんどなく、単に歴史用語の暗記量を試す問題が大半を占めている。流れを問うにしても、表層的に問うだけだ。

そうすると、先生の話と波長が合わない子供が、「別に話を聞かなくても、テスト範囲の用語暗記をしたらいいだけだ。」とかわいくない考えを抱くようになっても不思議ではない。

授業で、「大塩平八郎の乱」について講義するとする。俺は歴史に対する造詣も深くなく、歴史認識も違っているかもしれないが、一般的な講義では、こんな展開になるのだと思う。

「この大塩というおじさんは、大阪町奉行所の役人だった。つまり、今でいう公務員みたいなもんだったのですな。ところが公務員の大塩さんが、お弟子さんを引き連れて、幕府に反乱を起こしたもんだから、幕府はびびったわけですな。庶民にとってみれば、生活苦の救済に向けて行動してくれた、正義の味方だったわけですが、お上にしたらたまったもんではない。わが手駒の役人が反乱を起こすのですから、けしからん奴なわけですよ。でも、この乱は、幕府の無策に対する庶民の怒りを表すことになり、庶民の生活なんて対岸の火事くらいにしか思っていなかったお上を、怖がらせ、何かしなければという気にはさせたと思うわけですな。そしてこれが、後の天保の改革にも繋がっていくのですな。」

ところが、この講義を聞いて、「なるほど」と思って興味を持っても、テストでの出題はだいたい下記のようなものだ。

「1837年に乱が起き、・・・」という部分に線が引いてあって、「この乱を起こした人物の名前を書け。」 それだけ??

この手の出題が大半を占める状況では、テストのことを考えたら、語句暗記が優先であり、歴史認識を深く抱くかどうかは、その生徒の個人的興味にまかせるより他はなくなる。
この語句が伝えたくて、社会の先生は講義しているのではなく、この語句で表される事件が、歴史の中でどのような位置づけがあったかを、専門家として伝えたいはずだ。
ならば、

「1837年に大塩平八郎という人が乱を起こした。これがもたらした影響について書きなさい。」といった形式の問題にすべきだと思う。

飢饉がある。庶民の生活苦がある。それに対するお上の政策がある。そしてそれらに対応する事件が起きる。起きた事件に対して、何がいけなかったのか、どうすれば起きなかったか、自分ならどうしたらいいと思うか、そして、この事件の教訓は今起きているどの問題と関連付けられるか・・・。これらを思考させる機会として社会の時間を捉えれば、社会の学習時間は、非常に意味深いものになると思う。

言葉の知識を増やすための、国語や英語でさせられる詰め込み暗記は大切だと思う。部品がなくては製品が作れないからだ。部品である単語知識を増やしながら、文章の中での言葉の生かし方を体得していくために、暗記事項を反復練習させることは大切だ。

だが、国語、英語で言語知識を詰め込む一方で、社会(歴史)でも詰め込む必要があるだろうか? 歴史用語なんかは、本を見ればわかる。暗記する必要もない。それに歴史認識の中で事件や人物を捉える習慣がついていけば、暗記するなと言われても暗記してしまう。そして忘れにくい長期記憶になるだろう。

小・中・高の社会では、歴史の中の大きな事件に関する認識を深めることに時間を割けばよいと思う。枝となる事件や文化や人物に関しては、各自の興味にまかせて自学もしくは、大学などで専門的に学べばよい。1番大切なことは、歴史用語をいくつ知っているかではなくて、歴史の大きな流れを理解して、その中で個人個人の歴史観、歴史認識を抱くきっかけを作ってあげることだと思う。

上記のようなことを目的とした講義とテストのリンクが整備されるならば、結果的に今の教科書に載っているくらいの歴史用語ならば、自然と身につくと思う。最初に理解あり、その付随物として知識がついてくるはずだと思う。

なぜ、このようなことを思うかといえば、歴史に対する興味が浅薄で知識が薄い俺でも、歴史の流れをちら見しただけで、「よくもまあ、人間とは同じことを繰り返すもんだ。学習能力がなさすぎる。」と思うからだ。

だから、今からの子供たちに、小さな時から、同じ流れで失敗が垂れ流されてき歴史的経緯を理解してもらって、めいめいが解決策を持って世に出てくれればと思うのだ。

過去の歴史から学んだことを、今後の政策に生かす賢い思考力を持ち、それを実施できるだけの人間は、少なくとも今の社会教育で育った人間には少ないと思う。

現状の打開策は、実は単純なことなのだろうと思うが、ぶれない思想が必要だ。深い歴史知識、歴史認識、歴史哲学を持った、優れた為政者が現れてくれるためには、歴史教育の根底からの変革が必要だと思う。

そうなれば、人間のサガとしての「諸行無常」「盛者必衰」のことわりは受け入れるとしても、もう少しましな政治がわが国でも行われるようになると思う。

大げさに書いたが、今から俺も歴史を学び、認識を深め、次の世代に名君が出ることに一役買えたらと思う。

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