2008年12月15日月曜日

金時の思い出

いつから加賀野菜の一種として有名になったのかは知らないが、少なくとも俺は最近このブランドを知った。「五郎島金時」というサツマイモだ。

味覚に長けた人間ではないが、「五郎島金時」は本気で美味い。甘過ぎず、食感も抜群で、他のサツマイモと比べると格段に美味い。変に黄色くならず、薄味だが味わい深い。わが家では箱買いして、毎日食卓に並んでいる。晩酌のお供にもして、毎日食している。

「金時」という言葉は多義だ。色んな意味がある。

金太郎が大きくなった時の名前、小豆を煮たもの、餡入りのかき氷、そしてサツマイモだ。
また、「金時の火事見舞い」ということわざでの「金時」は、「顔が赤いことのたとえ」として用いられていて、非常に用例が広い言葉だ。

「サツマイモ」と聞くと、「屁」を連想する。だから俺の中での金太郎さんは、とにかく屁こきのイメージがある。金太郎のモデルとなった坂田金時さんもいい迷惑だろう。

確かに、むかしよく、ふかしいもを家族で食べた後には、色んなところで発射音が聞こえたものだ。誰かが体を斜めに傾けて、尻を浮かせると発射の合図だ。だが、そんなに不快なにおいではなかった気がする。おやじだけは特殊な臭いを発していたが、別の要因だろう。サツマイモに罪はない気がする。

焼き肉後の臭いが腐臭で、鼻が取れそうなのに対して、サツマイモ爆弾は、どこか香ばしい。臭くなりきる前の靴下のにおいというか、どこか愛嬌があった気がする。

とにかく屁と結びつくサツマイモであるが、「五郎島金時」を毎日食しているにも関わらず、不思議とそれが原因と思われる屁が出ない。慢性屁こき症候群の俺にとっては、むしろ回数が減ったような気すらする。匂いもマイルドだ。

昔に、サツマイモは皮ごと食べれば、屁に直結しないと聞いたことがある。「五郎島金時」は皮ごと食べる。皮がまた美味い。そのおかげだろうか、とにかく俺だけではなく、家族一同、屁の副作用は出ていないようだ。

サツマイモに関しては、昔、社会の先生が雑談で話しておられたのを覚えている。その先生は、とにかく好物がサツマイモであった。屁臭はしなかったが、ぼちぼちマイルドな芋臭がした先生だった。俺はこの先生が好きだった。

「サツマイモ」は「薩摩芋」だ。だが、もともとは琉球に伝わったものだったらしい。それが、薩摩藩の琉球攻撃の結果、薩摩地方で広まり、やがて青木昆陽君が、関東地方に広めて、現在の素地を作ったとされている。それが「サツマイモ」の歴史だ! そして、昆陽君は手柄を歴史的に横取りしただけで、本当は島津君の攻撃が全国普及の端緒だったのだよ!と やけに熱くサツマイモ談義をしておられた記憶がある。

不謹慎だが、その先生は十二指腸かなんかの患いで逝去されたと後に聞いた。サツマイモと縁があったようななかったような、ご冥福を祈りながらも、そのサツマイモ談義時の熱さを思い出すと、何だか心の中に芳しい臭いがする。サツマイモと聞くとすぐに思い出す、俺にとっての名物先生だ。一緒に芋ほりや、牧場にも行った思いでがあり、「五郎島金時」を食べながら、じ~んときた。

「サツマイモ」が「金時」と呼ばれるようになった由来は何なのだろうか? それらしきキーワードでネットを今からあたってみたいと思う。

今風にいえば、サツマイモに「はまっている」のだが、昨日は弁当箱を開けたら、「五郎島金時」の固まりが、どかんと鎮座していた。おかずの入れ物に鎮座するふた切れの金時が、弁当箱の7割を占めていた。オムレツが金時で潰されて、卵焼きみたいになっていた。

大好きな金時であるが、あまり大きな存在感は欲していない。さりげなく、おやつとして、芳しき香りを出す食物繊維の固まりとして、そして恩師の思い出として存在してくれたらよい。

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