飯島愛さんが亡くなられた。個人的にファンだったわけでもなければ、彼女の活躍をよく知っているわけでもない。ただ、名前と顔が一致する芸能人の一人という存在にすぎなかったのだが、なぜだかわからないが、すごい衝撃を受けている。
芸能界を引退するというニュースを聞いた時から、不謹慎ではあるが、何となく昨日のことへの予感があった気がする。それにしてもあまりに哀しすぎる死だ。
人の死に対してワイドショーみたいに詮索してあれこれ言うのは憚れるので、多くは書かないが、なにか根源的な悲しみを彼女には感じてしまう。その正体がなんであるかがわからず、ただ衝撃を受けている。彼女はロッキンだと思う。ロッキンな体現者であったと思うが、ロックに殉教する世代ではない。ただただご冥福をお祈りするだけだ。
チープハンズライブがいよいよ日曜日に迫った。土曜日の4時間リハで仕上げて臨むわけだが、演奏自体に関してはたいして心配にならない。きっちりできるだろうと思う。
ただ、心的な面でどこまで感覚を取り戻せるかが心配である。
久々の再会、久々のCHAINSとの対バン、行事としては非常にめでたいわけだが、これが単なる同窓会的なライブになるのか、それとも昔と変わらず熱い感情を伴って臨めるかが1番肝心なところだ。色んなバンド感があってよいと思うが、個人的には、ゴルフをするような気分でバンドを続ける気はない。緊張感を持ってガチンコで集中していきたいと思う。
明日の仕事終了後、大阪の実家に向けて旅立つ。そして土曜日に練習し、日曜日にライブし、月曜日に戻ってきて昼から仕事だ。そして30日には「ほうるもん」音源製作、31日には「年忘れ家庭教師」が控えている。なかなか充実した年末である。
大阪から富山に移住して14年目になったが、大阪への帰省は全てバンド活動とリンクしている。ギターを積まずに帰省したことは1度もない。
帰省時の道中全てが、音楽的な思いに満ちたものであり、景色も全て音楽的な思い出と重なって存在する。それはライブ前の思案であったり、ライブ後の余韻や反省であったり、その時聴いていた音楽であったりする。
毎月1回ペースで帰省していた時期が数年間あったが、その時は、以前の思い出を感じながら走ることもなかった。だが、段々ライブ頻度が下がり、帰省間隔が長くなるにつれ、帰省する時の車中で俺の胸はキューンキューンいいまくりだ。
道中に聴いていた音楽は、びっくりするくらい覚えている。大まかな傾向がある。
富山を出て金沢から福井あたりまでは、旅立ちのわくわく感でぎんぎらアッパー系である。
メタリカ、メガデス、ブランキー・ジェットシティーなんかを好む傾向がある。
福井から敦賀あたりは、実に鄙びた寂しげな道であることもあり、少しチャカつき気分も治まる。それにつれて早くもホーム・シックにもなる。ニール・ヤングを聴く傾向にある。
敦賀を抜けて名神に入りだすまでは、再び聖地京都に近づくわくわく感から、アッパーおやじモードに入る。この区間は、アマチュア音源を聴く事が多い。
京都が近づくにつれて、カーステをラジオに切り替えて、FMを聴く。関西弁が心地よい。
不思議と聴きたいな~と思っている曲がかかることが多い。1度、強烈な濃霧の時があったが、その時にかかっていた「ストーミー・マンデイ」は思い出深い。
旅立ち前夜に、早くも「キュンキュン警報」が発令している。天気は明日から大荒れになるらしい。雪道運転は別に苦にならないので、ゆっくり旅立ちたい。
荒れた天気で思い出した。1998年だったと思うが、1人宅録で8曲作ったことがあった。その中に、「ラブ・ミー・サンダー」というヘビー・メタルな曲があったのだが、それを道中聴いていたら、天気が大荒れになりだして、雷が近くで鳴り出したことがあった。稲光が凄くて、俺はハルマゲドンかと思った。雷に愛されるのが怖くなって、俺は宅録カセットを切った。
京都には京都の、大阪には大阪の匂いがある。その匂いを思う存分嗅いで、思う存分ロッキンして年末の貴重なひと時を過ごしたいと思う。旅立ち前夜に興奮を隠せない。
次回は29日にパソコンを開く予定だ。皆々様、パソを捨て、ライブに行こう! 拾得で待っています。
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