2008年12月6日土曜日

生の賛美

昨日の拙ブログに、コメントが1件あり見てみたら、それはそれは、エロ用語の連発だ。

以前にも1度卑猥コメントがあったので、一時期はコメントする時に、ナンバー入力をしないといけないようにしていたのだが、その後ずっとなかったので、ナンバー入力をオフにしたところ、久々にきた。

しかもコメントがグロテスクで人間業とは思えない語群だったものだから、腹が立つのを通り越して、あきれるのもさらに通り越して、憐れみを感じた。

迷惑メールにしてもそうだが、利益があるからなのかもしれないが、こういうことを実際に個別に書いたり、スパムとして仕込んだりする人にとって、この世に生まれてきた意味って何なのだろう?と思うと、ほんとかわいそうになった。

壊れていて、とてもじゃないが思考する生き物には思えない。輪廻転生があるのならば、間違いなく不幸な生まれ変わりとして人間界に落ちた奴らであるが、かわいそう以外の言葉が見つからない。

蛆虫やゴキブリに生まれていたら、変なエネルギーを使わなくてよかったものを、いや、蛆虫、ゴキブリにも失礼か? とにかく人間に生まれてしまいながら、人間をすでにやめた奴が物理的に生きているのだから、これは究極の悲哀だ。

こんな奴らでも人間から生まれたのだろうから、生まれた時には人並みに、オギャーとも言うだろうし、生まれて数年の間に一生分の親孝行もしたのだろうが、それ自体が信じられないくらいの壊れ方である。

どうしたら、コメントに卑猥なことを書き込んだりすることが出来るのだろう? 性格とか嗜好とか趣味とか、あらゆる理由をつけてみても、それらにあてはめるには拡大解釈が必要になる。

彼らにとって、この世は拷問なのかな?とも思う。

まあ、彼らも一応生きているから、こういう行動をとって彼らがそこに生を感じるならば、拙ブログでよければ、居場所を一時でも与えてあげようかとは思う。すぐに削除はするが、そんな手間は、人間にとってみれば何てことはない。

今日は、個人的にすごく嬉しい日だった。そしてここんところずっと嬉しい日々が続いている。

生きる気概というか、日常に起こる全ての事を肯定していけるだけのエナジーを与えられたというか、とにかく人間的に太くたくましくなれるきっかけとなる日々であるように思う。

具体的なことは今書かないが、この先にどんなことが待ち構えているかはわからないし、それが時には絶望的に思えることであるかもしれないが、今は全て運命を受け入れられるような気がする。

日常には、些細なことから大きなことまで、色んな出来事が起こる。山と谷、良いこともあれば悪いこともある。だが、それら全てを生の彩りと思えるだけの大らかさというか、潔さというか、とにかく自信に満ち溢れている。

決して悟ったわけではない。それに人生バラ色でもない。

だが、心振るわせる琴線が高らかに鳴っているのが、今はいつになく聞き取れるのだ。ムフフな日々も、トホホな日々も、感性のパイプが太くなって、少し俺は成長した気がする。

抽象的なことばかり書いているが、とにかく今はムフフなのだ。

ムフフが一時的に高まった時に見た、冒頭のエロコメント・・・、従来の俺なら、タイミングの悪さを呪って、一直線にトホホ街道に落ちていただろうが、哀れむだけの余裕があるということが嬉しいのだ。

生の意味をいつになく理解し、生について覚悟を決めた俺には、性の雑魚は素通りする雑踏の埃ぐらいの存在しかない。

上から目線で哀れみを感じ、俺は生を謳歌する。そんな日なのだ今日は・・。

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