ネット環境やブログと疎遠になる日々が増えている。
パソコンを開くのは、我ながら笑えるのだが、「サンシャイン牧場」というmixi内の
アプリでの、作物の手入れをするためだけであることが多い。
他人に無関心なわけではない。懇意にさせて頂いている方々の近況は、相変わらず気になるし、一言申したい!という欲求が減ったわけでもない。
だが最近は、ネット徘徊をすることや、主張をブログですることが減った。なぜかはわからない。
最近、口数も減ってきたような気がする。元来、人よりおしゃべりな俺は、何でも気持ちを具現化した言葉に諮詢するかのように垂れ流すことが多かったタイプである。
今でも、一般的な「無口」な人とは対極にあるのであるが、自己基準で明らかに「無口」になってきている。
口数が減ることが、思考する時間が減ったからではないと思う。頭の中でずっと思考することを放棄していないし、いつも何かを考えている。
仕事やプライベートにおいて、言うことはしっかり言う。むしろ、その頑強さは増していると思う。
だが、物理的に言葉を発する時間は、間違いなく減っている。言葉の精度が上がって、的確に放出すべきことを、言葉で放出できているならばいいのだが・・・。
近況はすこぶる充実している。
「ほうるもん」は先日4月29日に、おやじバンドだらけのイベントに出させていただき、それなりに意志ベクトルの濃いライブを出来たと思っている。曲もアルバム2枚を作れるくらい増え、どれもこれもまたいい曲だ。
私生活では、子供がつかまり歩きをし出したり、歯がしっかり生えてきたり、具現化した言葉の萌芽をむにゃむにゃ発するので、毎日感動を運んできてくれる。
今日は、清志郎さんの命日だ。
「多摩蘭坂」の歌詞に、「無口になった僕は ふさわしく暮らしている」というのがある。
ずっと好きでいて、ずっと実感がなかった歌詞なのだが、最近はこの心境が、もちろん清志郎さんとはまた違った感慨なのだろうが、自分にしっくりくる日々を過ごしている。
歌詞は続く、「言い忘れたことあるけれど」
夜に腰掛けながら、たくさんの故人を偲んでいる。たまらん・・・。
2 件のコメント:
いや 久しぶりに訪問したら
なにやら 言葉の精度が増しているので
驚いている次第です。
私もがんばろ
>モッサさん
コメント発見遅れた上に、ありがたい言葉、ありがとうございます。
色々と思案しながら、やってます。
日々、生活環境は変わりますが、共々かっこよく生きましょう!
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