2009年12月6日日曜日

雪隠

3週連続土曜日「ほうるもん」ライブを昨夜終えた。なかなか贅沢な週末を3週続けることができて、幸せの極みである。来場頂いた方々に感謝である。

次にどこに向かうかはわからないが、然るべき時に然るべき音が現れて流れていくだろうと楽観している。

師走である。月日の経過が年々早くなるのは、今になって驚くことでもないが、それにしても早い。充実した日々がもたらしてくれる時間のマジックであると前向きに捉えている。

いつもトイレに入りながら、色々と考えごとをするのだが、最近はトイレの別称、呼称について考えている時間が多かった。多いと言っても、俺の場合、入って出るまでに2分くらいであるから、物理的時間が多いわけではないが・・・。

トイレの呼称はいっぱいある。「トイレ」、「お手洗い」、「化粧室」、「WC」、「LAVATORY」・・・。

俺の好きな呼称は、「厠」、「手水」、「雪隠」である。「はばかり」という呼称も好い。

中でも「雪隠(せっちん)」という言葉は、知った時以来、実に粋でお気に入りである。俺は小学生の時、将棋の本を読んでいて「雪隠詰め」という言葉に出会ったことからこの言葉を知った記憶がある。

小学生の時に、俺は九州のおばあちゃんところに行き、雪景色の中、近くの温泉場に行ったことがあった。ぽかぽかになって帰る道すがら、俺は強烈な便意を催して、帰りきるまで耐えられることが不可能であることを瞬時に悟った。

大分県の糞田舎の道すがらである。辺り一面雪景色であり、見渡しは抜群であるが、人通りもなく、車も今ほどなかった時代である。俺はすぐに木の陰で野糞した。

湯気を立てながら俺の雲古がダウントゥーアース。熱で周囲の雪が削り取られていくのが面白かった。

すきっとして湯冷めを恐れぬ無邪気な俺は、降りしきる雪の中、雪だるまを作ったりして遊んでいた。

そんなに時間は経っていなかったと思うのだが、俺が雲古をした場所はすぐに雪が覆いかぶさっていて、完璧な野糞証拠隠滅が完成した。

「雪隠」という言葉の語源は、上記のような野糞体験をした俺としては、文字通り、「雲古を雪が隠してくれる」のであり、冬における野糞場としての野原を、「トイレ」に見立てたものであると思っていた。地球のフィールド全体をトイレに見立てたスケール感を抱いて、すごく好きな言葉であった。

ところが、後に「雪隠」の語源が、ある僧侶か誰か有名人に由来したものであると、何かで知って、興ざめしたことがある。

閑話休題

息子が便秘になっていた。4日間出ておらず、腹をすりすり、綿棒ツンツンしているのだが、いきむ様子も見られない。心配になっていたが、無事にぶりっと投下してくれた。おむつからはみ出さんばかりの量で、1度出て道がついたのか、短時間に数回投下してくれた。

赤子の雲古を受け止めるおむつであるが、あれは白と決まっている。豹柄やセクシーランジェリーみたいなおむつは見たことがない。

白は雪のイメージだ。雪が赤子の雲古を隠してくれる・・・・。何て素敵なメタファー!!!。
俺は「雪隠」はおむつから来た語源ではないか?? いや、そうに違いない!と思った。

気になって「雪隠」の語源をネットで改めて調べてみた。http://www.ymorimoto.com/haisetsu/settin.html

諸説あるようだが、「雪隠寺の和尚さんがトイレで悟りをひらいたことから・・。」という由来が、なかなか素敵だと思った。

師匠さんも走りまわるという師走である。俺も雪隠寺の和尚さんのように、残り少ない本年を走り回りながらも、色々悟りたいものである。

雪隠にて言葉を巡る楽しい時間を過ごしていた師走である。
拙朕を見つめながら・・。洩沈

0 件のコメント: