2010年1月11日月曜日

め組の俺

3連休が終わる。連休と言ったものの、土曜日は消防団の出初め式とその打ち上げで終わり、翌日は左義長の防火待機があり、今日もボランティアで友人の雑務手伝いをした。

昨年秋に、取引先の社長(消防団団長)から誘われて入った消防団であったが、最初は無駄な拘束に思えて仕方がなかった。

定期的に当番制で夜回りがあたる。カランコロンと音を鳴らしながら、消防車に乗って街を巡回する。ある程度巡回したら、屯所(消防団の各地域ごとの詰所)に待機して、だらだら時間を過ごす。夜回りは啓蒙活動であるが、基本的に形式的なものである。

消防団という組織に対しては、幼少時からまったく馴染みがなく、全て消防署管轄の人たちという認識でしか見てなかった。

「自分たちの街は自分たちで守る」という、高い意識に根ざした理念が前提にはあるのだろうが、日中に仕事を持っている人たちばかりである。疲れきった仕事後の、緊張感のない啓蒙活動に、気持ちが入るわけはない。

自治集団という性質上、地域に根ざした地元の集団である。昔からその土地で生まれ育ち、「児童クラブ」、「町内会」、「獅子舞などの祭り」といった組織にも入っている人が多く、同世代であれば幼馴染である人がほとんどである。

まして、裏日本の田舎町ことである。町内の住人のことなら、お互いに家族構成から職業まで、ツーツー・カーカーの集落である。小さい頃から何かしらお世話になってきた子供たちが、大きくなって、地域に貢献する舞台としての活躍の場が消防団であるといってもいいと思う。

地縁の強い、そんな組織に、よそ者である俺が入ったのであるが、予想通り、探りを入れるかのような状態がしばらく続いた。1つの消防車に乗って夜回りしながら、俺以外の人たちが、俺が入り込めることのない会話を延々繰り広げる。異邦人と化した俺は、ただただ孤独な時間を過ごしていた。嫌ではなかったが・・・。

だが、それでも毎回1番に集合場所に行き、しっかり挨拶をしていたからだろうか、徐々に俺にちょっかいをかけたりしながら、俺をいじろうとする人が増えてきた。話しかけてくれる人も多く、俺が名前を知らない人が、俺の名前を呼んでくれる。

正直に言うと、最初は、あまり付き合いたくない人の集団だと思った。会話は下ネタ、パチンコ、車、芸能人ネタがほとんどであり、たまに政治に関しての話があっても、実にしょぼい話である。

ところが、関わっていくうちに、地元の小さな世界から1歩も出たことない人たちが、その中でささやかに幸せを感じているのが、この地元集団達との交流であり、関わりであるのだと思うと、なんだか幸せの1つの形に思えてきた。

隣人すら知らない、とかく人と人との交流の希薄さが嘆かれる今、片田舎でこうして残っている地域の交流というのは、ささやかで謙虚で素晴らしいものだと思った。

消防団に関しては、実際の消火活動とはかけ離れた、その形骸化した行事への批判や疑問はある。例えば、ほぼボランティアに近い人たちを、雪が降りしきる屋外で、防寒衣も着せずに、ずっと隊列を組ませる儀式がある。

市町村の長が消防車に乗って通り過ぎるまで、じっと待っている我慢比べみたいな検閲の儀式がある。

「気をつけ!」、「直れ!」等の怒号が飛び交い、それに反応して団員が姿勢を正したり、休めたりする様は、戦時中を思わせるものがある。

形式ばっていて、実務に役立たないことがとかく嫌いな俺ではあったが、火消し集団としての粗野でいて、ここぞという時の縦社会的隊列がなされる様は、江戸の火消し集団としての気風を、今に宿したものであり、何だか粋にも思えてきた。

鳶職中心の江戸の火消し集団は、いろはにほへとで、それぞれ「~組」と名づけられ、それぞれに組織としての優劣を競う気風があり、元来の気性の荒さから、組同士の抗争もよくあったらしい。中でも「め組の人」の喧嘩は有名である。

月に数回、応援出動も含めて、メールに火災の報が入る。「~地内で火災発生!」といったメールがくると、駆けつけることが可能な人たちが、現場に駆けつけ、消火活動、鎮火後の現場保持に協力する。

明け方の火災で出動してから、通常の仕事に行く機会が今後出てくるだろうと思う。

入った以上、防火、鎮火に一躍買えるように、操縦方法の技量習得に努めていきたいと思う。昨日は消火水槽へのホースの繋ぎ方、放水の仕方を少し教わった。

考えてみれば、消防団というのは、よく出来たシステムだと思う。形骸化していて、ほぼ義務的な組織である一面はあると思うが、それは火災が頻繁に起こることのない性質に伴うものである。

普段は、夜警などの緊張感のない行事がほとんどであるが、実際に町内で火災が発生した際に、消防団の存在が大事になってくる。

滅多に起こらない火災に備えて、仮に消防団員を全て常勤の公務員にしていたら、消防隊員の数は今の何十倍、何百倍にもなり、それこそ国家予算を圧迫する規模になるだろう。

消防隊員という常勤公務員が各市町村に配備され、その補充として、ボランティアの消防団員を配するこのシステムは、江戸中期にその創成期があるらしいが、よく出来たシステムであると思う。

もちろん問題は多いと思う。負担が大きく、形骸化した無駄な風習が多いのは事実である。だが、出初め式なんかも、江戸から続く雅な祭りの一種だと思えば風流であり、形骸化した定期的な消防団の集いも、地域のコミュニケーションとしての集い場だと思えば、悪いものでもないと思う。

富山に来て15年近く経つが、やっと真の在の人間になれた気がしている。在一色に染まりきらないような自分のスタンスは保ちつつも、村八分にされないように、地域貢献に我が身を呈していきたいと思った。

余談だが、出初め式の帰り道、俺は車の中で、自らの煙草灰で股間を焼く怪我を負った。冷えまくってかじかんだ手先が、煙草を落とす事態を招き、鎮火が遅れたためのぼや騒ぎだった。貸与された作業服はには、しっかりラッツ&スターの焼け跡があった。

地縁の雰囲気に馴染めずにランナウェイしたい日もあった。ランナウェイしたい火も今後あるだろう。

だが、心にいつも江戸の心意気、「め組」の気風を持って、真面目に関わっていけたなら、俺にも恵みが訪れるだろうと思う。

2 件のコメント:

ウミヒコ さんのコメント...

おー「め組」ですか、是非奮闘して下され。要するに地域の関心の度合いが、良い街なのだと思いますわ。私も以前は「うっとうしい」の一言で拒絶してましたが…。

め組は浜松町辺りが管轄区で、芝大神宮に「め組」の狛犬が残っています。一度見物に行ったけど、粋だったなあ。いずれ浜松町界隈で一杯やりやしょう。

↓見えるかな。
http://www.ne.jp/asahi/tokyo/jikan/minato/daimon/jingu2.htm

管理猿まえけん さんのコメント...

>ウミヒコ氏

さすがお江戸在住、リアル侍!

あかさたな順の地域割り、今の人口では考えられない広域ですな。

火災現場への到着の早さを競ったという江戸の火消しの人たち、車もない時代に奴らの脚力は全員飛脚並みですな。

なんかね~、新たな発見が消防団にはあって、そこから興味が派生して、江戸の風俗、文化に少しずつ興味が行きつつあります。

お江戸で俯瞰図便りに散策して、盃合わしたいですな。