賀正で謹賀で迎春でおめでたいのである。明けました。
「頌春(しょうしゅん)」、この漢字が長年読めないでいたのに、気になりつつも無視していた。形式ばっていって、嫌いな雰囲気を字面から感じていて嫌いだったが、今年初めて読み方を知った。
浅薄な己には慣れた俺であるが、知識を得るのは嬉しいものである。
息子と迎える初正月、溺愛、甘やかし軍団の爺婆と嫁とは違い、俺はワイルドに子育てをしている。
息子を風呂に入れる時、爺が入れる時は、しっかりかけ湯をして体温をお湯に慣らさせてから入れるのであるが、俺は、いきなりジャブっと湯浴みに処す。
湯船の中で俺の太ももから珍子を蹴りまくり、ささやかな抵抗を見せる息子ではあるが、風呂場では俺に涙を見せず、風呂上りに嫁と爺婆が待っている居間で泣きじゃくるのが常であった。
俺の前では、平気なふりをする息子であったが、俺に似て風呂は嫌いであるのは俺も知っていた。特に熱いお湯が嫌いである。
息子を風呂に入れる時、いつも俺が先に身体を洗って、湯船に入り、ぞうさんの温度計で40度弱になった時に嫁を呼び、裸にされた息子が運ばれてくる。そして後はなされるがままの息子がいて、ささやかな抵抗は示すが、それは屁のつっぱり以下のものであり、10分以内に全身をくまなく洗われ、いっちょ上がりの状態で居間に運ばれていくのが常であった。
ところが、今日の息子には男を感じた。
いつも通り、「いいよ~~」の俺の掛け声で、嫁がストリップした息子の脇を抱え、風呂場に連れてくる。
俺が息子の脇を持ち直し、吊るし上げた状態で湯船に足だけ入れようとする。いつもの流れだ。
今日の息子は違った。俺が抱き抱えた瞬間から、マンガみたいに足をバタバタさせる。アニメなら何コマ描かなければならないのであろうか、ものすごい高速である。
湯船につける前に、彼は明らかな抵抗を示しているのである。裸にされて、俺に吊るし上げられた動作が何を意味するか、短いながらの彼の体験で学んだのであろう。
笑えるくらいすごい速さでバタバタするので、俺はあっけにとられながら、微笑みながらも、彼の足をじゃぶんと湯に浸けた。
固まった息子は俺と目を合わさない。その割には抵抗しない。3分ほど湯に浸かって上がりしなに俺の珍子を思いっきり蹴ったのが彼の唯一の抵抗だった。
風呂上り、息子は今までで1番でかい声で泣いた。泣きまくっておっぱい飲んですぐ寝た、
酒量がマックスの俺は、酒臭い息で、彼の耳元で、「ね~んね~んころ~ろ~よ~」と、古典的な歌を野太い声で歌った。
息子はグーの拳をさらに握り締めた。俺はパーで包んだ。
小さくてさささやかで、何気ない正月である。頌春である。
何気ない正月はバタバタと過ぎていく。なかなか良いものだ。
今年もよろしく。笑春
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