2010年11月21日日曜日

飛行機ノスタルジア

研修を終えて帰ってきた。

行きも帰りも飛行機の窓側を予約、どちらも好天に恵まれたおかげで、道中やたらと楽しめた。

飛行機に乗るのは14回目(※うち12回が富山~羽田)だが、毎回変わらぬ興奮を運んできてくれる。窓側が取れない時はふてくされて寝ているが、14回中9回はしっかり確保出来ている。

飛ぶ前からわくわくである。飛行機がエンジンをかけ、滑走路に移動するまでの間から、興味は尽きない。富山空港は滑走路がはっきりわかっているからいいのだが、羽田になると、「今日はどこから飛び出すのかな??」と興味津々である。

隣接する窓はもちろん、逆側の窓も見ながら、前の映像も見ながら、飛行場内の方位を示す数字も見ながら、実にせわしなく目と頭をフル回転させる。

シートベルト着用サインの時に鳴る、あの「ぴ~ん」という警告音も刺激的だ。生理的に好きだ。非日常を一瞬にして運んできてくれる。事故後の検証報道なんかでフライトレコーダーの録音を流すことがあるが、それにも必ず入っている音で、手に汗握る緊張感も運んで来てくれる(飛行機事故のご遺族にとっては忌諱する音であろうし、不謹慎な感想で申し訳ない。)

エンジン音が一瞬にして轟き始め、えげつない加速度で走り出す。そして、股間がむずがゆくなるような浮遊を感じると、ものすごいスピードで高度を上げていく。

あっと言う間に雲上に運ばれる。

雲を窓から下や横に見ていると、なぜだかわからないが、いつも「ジャックと豆の木」を思い出す。

よく見ていたら、絶対にどっかにジャックと巨人と、豆の木のツルがあるのではないかと、真剣に探してしまう。「俺も金の卵を産む鶏やハープが欲しいな~。」と夢想に耽っていると、雲間から下界が見えて我に返る。

雲が少なく、空気が澄んでいる時は夢想せずに、ひたすら機窓からの景色を楽しむ。

富山⇒羽田の時は、飛び立つとすぐに能登半島から新潟向いて飛び、佐渡島が左に見える辺りから右に旋回し、おそらく那須の上から茨城、千葉に入って飛ぶ。海が見えたらすぐに羽田である。

この景色も悪くないが、帰りの羽田⇒富山はもっと好きだ。行きと違って目的地に向いてほぼ直線的な航路を行く。

海に向いて飛び出した飛行機は、すぐに旋回して富山に向いて直線的に進む。進路向いて左側の窓が確保できた時は、ひたすら富士山を探すが、まだ1回しか見ることが出来ていない。

俺が好きなのは諏訪湖が見えて、松本に入った辺りからだ。浅間山だろうか、噴火口から煙が出ている。それを過ぎるとすぐに槍ヶ岳、穂高と連峰が見えてくる。

富山に近づくと立山連峰と黒部ダムが見える。たまらなく贅沢な景色を過ぎると飛行機は海に向かっていく。富山上空を素通りし、能登半島に向いて飛ぶ。

左側に和倉温泉の町並みや能登島が見える辺りまで来て急旋回。また富山空港目がけて高度を下げ、海側から滑走路に入るのである。

この直前に、先ほどまで下に見下ろしていた立山連峰を左窓から水平に見ることが出来る。高度が下がってきたことを実感させる。興奮マックスである。

富山空港は神通川河川敷にある。滑走路も羽田と比べると短い気がする。

その為であろうか、富山空港に着陸してからの急ブレーキは興奮する。バナナの皮があったら滑って事故るんちゃうか?と思わせるほどの不安定な急ブレーキである。

いつも着陸した瞬間に、たまらなく悲しくなる。「次のフライトはいつになることやら・・・。」と思うと、大げさではなく郷愁に似た念を抱く。

俺の飛行機体験の至福な時間は、吐き気が終止符を打つ。

窓から常にガン見しているからであろうか、確実に乗り物酔いをしている。

息子に自分の夢を託すなんてことは嫌いだが、パイロットになって欲しいという気持ちはひそかにある。俺の緑内障が遺伝していないことだけを願っている。

それにしても、飛行機の航路は不思議である。なぜあんなにいつも遠回りするかである。

空中での衝突を避けるための高度調整を基にした指定航路があるから、また国際線の場合は、地図で見たら遠回りでも、地球儀で見るとなるほど、直線であったりはしている。

だが、本当にそれだけかな?ともいつも思う。

燃費の兼ね合い? 観光サービス? 急に高度下げるのが難しい? 色々稚拙な感想は持てども、それを真剣に調べたいというよりは、航路ミステリーとして永遠に種明かしをしないで欲しい気持ちも強い。

また楽しみが終わって、飛行機にノスタルジアを感じている。

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