2009年9月8日火曜日

追突される

センターラインオーバーの車による正面衝突事故を食らってから、早2年半。

今日は、仕事中に営業車に乗っていて後続車に追突された。

交差点の信号待ちをしていたら、後ろからドスンと追突。

「うっそ~~~ん」と思って後ろを見ると、営業車に乗ったおばちゃんである。
すぐに飛んできて平謝りのおばちゃん。

俺もそんなに痛くなかったので、冷静にポリスを呼んで一連の処理を行った。交通事故も何度も経験しているので慣れたものである。

一応医者に行くと、骨には異常がなく、一安心。背中の筋肉が腫れているので、3日後くらいに痛みがピークになるだろうとのこと。内服薬3種1週間分と湿布をもらった。

まあ、筋肉の腫れくらいの痛みなら筋肉痛の親戚みたいなもんだから大丈夫だろう。後遺症がありそうかどうかは、衝撃度合いからわかる気もする。

事故を軽くもみなさないが、薬飲んで、痛みや異常に応じて、適宜処置をしていきたいと思っている。

明日あたりに保険屋さんから連絡があるのだろうが、賢く処したいと思う。

幸いにして軽症であるが、今日は塾とかけもちの日であったのが、振り替えになり予定が狂うのが腹立たしい。

病院での診察を終えてから、加害者のおばちゃんが菓子折りを持って会いにきたのだが、
向こうも営業車で仕事中の事故であり、誠意ある人だったので、罵詈雑言は見舞わずに、ビジネスライクに処理した。全くもって迷惑なのだが、まあ悪気はないのだし、許してやるか!と仏心で接していた。あまりにもしつこく謝ってくるので、早く切り上げることばかり考えていた。

事務的な会話をして去り際に、俺も営業職が染み付き出したのだろうか、いつものくせで、「またよろしくお願いします。」と言ってしまった。

もう遭いたくも会いたくもない。こんな縁は生涯いらない。何だか背中がドリルであけられるかのようにキリリと痛んだ。

家に帰って、生後1ヶ月半の息子にちょっかいを出して遊んでもらう。

遊んでくれずに爆睡しているので、すねてビールを2缶持って寝室へ行く。メールをチェックする。

相変わらず減らない迷惑メール。毎日恒例の件名チェックをして一人突っ込みを入れる。
猛スピードでスクロールしながら、目に入るものだけをチェックしている。

①送信者:mikapon0023   件名:「人と人の繋がりを大切に」

※今日はしたくない。加害者ともミカポンとも!

②送信者:宮原さゆり  件名:「あなたのお○○ぽドリルで遊ばせていただけませんか?」

※ もう、不愉快の極み。最初、無意識に、卑猥言葉とドリルの間に読点を入れて解釈して、俺のジュニアがドリルでいじいじされるのかと思って、激痛が走った。だが、冷静に読むと、男性の性器をドリルに見立てたコピーであることがわかる。 どんなジュニアやねん!ギザギザあるんかい! さゆりに追突してやりたい。

極めつけがあった。この拙ブログは「チープなガンボ部屋」という。

③送信者:古屋玲子  件名:「お前さんのチープなチ○ポに朗報!」

※ 紛らわしいやんけ! どんな朗報じゃ! それに初対面で「お前さん」と言われたのは、18歳の時以来で悔しい。玲子殴りたい。追突したい。

明後日はバンド練習。日曜日はゴルフ。

色んなハプニングがあるが、人生の彩りみたいなものだ。事故をくらいながらも無事で日々を楽しめている運命に感謝だ。


息子に再度遊んでもらおうと思って、寝起きにちょっかいをだしたら、手で顔をつねられ、左足で蹴られた。

寝起きに機嫌が悪いのは嫁の遺伝だ。オビャー、グッ、ウ~ンミャー と奇声を発し、糞を垂れる。おまけに薄目を開けて俺を見るなり、不敵な笑みを浮かべて、また眠りに入る。実に態度が悪い。

親子のちょっとした衝突だろうか? こんな衝突なら何度でもくらいたいものだ。
追突されるのも、衝突されるのも息子以外とはもういい。

2009年8月15日土曜日

料理をする

昔から料理人が好きである。

「文藝春秋」なんかを読んでいると、毎回カラーで一流料亭が紹介されているが、それらの板前さんの佇まい、店の風景、ネタの写真なんかを見ていると、痙攣しそうに魅了される。

中でも、和食料理人の包丁捌き、魚の捌き方、寿司職人の握り方なんかを見ていると、食べていなくてもエクスタシーを感じる。

きっと俺が女性に生まれていたら、寿司職人か日本料理の板前にしか恋をしないであろう。

これだけ魅了されるからといって、俺に料理の心得があるかといえば、全くない。

昔、お菓子を買い与えられない家庭環境に窮して、小麦粉だけでクッキーを作ったり、片栗粉だけでわらび餅もどきを作ったりしたこともあるが、非常食の乾パンにもなりゃしない、固形物を物理的に体内に取り込むだけの、非常に粗悪なブツしかできなかった。

料理とは無縁の人生である。

1人暮らし時代に数回料理したが、材料費に毎回3000円くらいかけて、まずい料理しか出来なかったので、外食方向に早期修正したことがある。

そんな俺が今日料理した。

今日は家族で墓参り。息子も初の外出である。

嫁は連日の息子への対応で疲れている様子。義父母は本家にお呼ばれで出かける状況。

最初ピザを取ろうかという話にもなったのだが、母乳が良く出るために、スープがいいらしく、スープを作ろう!という話になった。

グロッキー気味の嫁がいる。あり得ないくらい元気な俺がいる。役割分担は決まった。

冷蔵庫を見る。玉ねぎ、ニンジン、プチトマトがある。

俺はすぐにレシピを思いついた。「トマトスープ」だ! これは以前に作ったことがある。カレーを作ろうと思っていたら、飲んでいたトマトジュースをこぼして、結果的に美味くなった記憶がある。

といっても人生で年齢以下の包丁体験、料理体験・・・・。

玉ねぎを切った。きっちり大泣きした。

ニンジンの皮を包丁で剥いた。きっちり左親指を殺めた。ニンジンを傾けて、スロープ上部から包丁を下ろしました。→下に左の親指ありました。→ 包丁きっちりめり込みました。→ 血が滲みました・・・。

縫製しなくてはならないであろう、外科的損傷すれすれの深い傷、スープに鉄分を根性入れした。

玉ねぎを狐色になるまで炒めるのは鉄則である。

狐色を通りこしてドクロ色・・・・。焦げた。「焦げない!」が謳い文句の高級鍋を5分でドクロに染めた。

ぐつぐつ煮込むスープ。ガンボに魅せられた俺は、コンソメはもちろん、酒やらみりんやら、トマトジュースやら、塩コショウやら、ニンニクやら、色々手当たり次第にぶち込み。邪悪なアクを取り、味見した。

よく料理人が、味見をさらっとこなす場面があるが、あれが好きである。

俺もさらっとこなした。

グビっと入った。

舌はただれ、咽ちんこは重傷。内臓全部が猛火にさらされたかのような激熱!

味見は不可能となった。得意の嗅覚で補うものの、実際の味はどうかしらない。俺は家族が食べる瞬間を待たずに、2階に駆け込み、このブログを書している。

お盆という、実に和の清い伝統ある日。俺自身、数ヶ月ぶりに、家でまったり時間を過ごせる日でもあった。

料理をする気になったのも我ながら新鮮である。形容しがたくまずい俺のスープは、俺が2階でぐれている間に、嫁が微調整して食卓に並べてくれるであろう。

なんだかんだ平和な日である。

森達也「東京番外地」を読んだ・・・・この人の視点は大好き。客観的な記述も好き。でも自己アピールがもっともさりげなく重厚にされている筆致が嫌い。でも楽しんだ。

中島らも「君はフィクション」、 小川未明「小川未明童話集」、「24 Ⅶ 全2巻」を購入し、今晩読む予定。

ウィルコの新譜を継続して聴いている。むちゃくちゃ素晴らしい。長年ヘビローキングであったニール翁を凌ぐ聴き具合である。

じっくりことこと、スープは煮込まれ、俺の日々も熟成している気がする。

まずくなるかどうかはこれからの匙加減次第。

「日々を料理する」 なかなかいかした、ダサいキャッチコピーだ。

だがそんな心境である。食材に迷ったり、傷口作ったり、堪能したり、煮込みを待つ間に他のことに興味をそそられたり・・・・。

煮え具合、美味さは1日では判断できない。翌朝美味になっていることもある。

奥ゆかしきお盆の日、俺はじっくり煮込んだスープに対峙し、思いを馳せて、逃げて、翌朝また体内に取り込む。

素敵な料理人の俺がいた。

2009年8月8日土曜日

色々と・・・

まずは「ほうるもん」ライブ告知

2009年8月23日(日) 富山市「サマーナイト」にて、出演順は未定。
※出たいと思っていたハコのイベントにお誘い頂き初登場。当日は愛する「さむでい」にてのブッキングがあったのだが、お誘いの旨を話し、ご理解頂いてブッキング変更。「さむでい」店主、ご理解ありがとうございます。

2009年8月29日(土) 黒部市「コラーレ」にて、22時10分頃登場
※「24時間ぶっ通しライブ」というイベントへの参加。チャリティイベントで入場は無料。うちらはぶっ通す体力はないので、出たら帰る予定。

2009年9月27日(日) 富山市「アーチスト」にて、出番は2番目予定
※ 2回目の登場。前回初ライブは非常にいい印象。マスターもいい人で、ハコの魅力も十
分!

今のところ本決まりは上記3本也。詳細は随時アップ予定。

その「ほうるもん」だが、新曲量産体制から一息つき、曲の煮詰め、アレンジに精力的に取り組んでいる。ほんと細かい部分でも、こだわってマイナーチェンジの日々である。

骨太ロックバンドを標榜してもいい音圧になってきている気がする。

是非観て欲しいと思っている。

直近ニュースでの話題といえば、酒井さんと押尾君のしゃぶしゃぶ事件だが、どちらも世間の話題になるほどの衝撃は受けなかった。

というか、押尾君で誰?という感じである。テレビで垂れ流されている情報だとミュージシャンらしいが、どの角度から見ても、彼に音が宿されているようには思えない。世に出して評価される玉ではないだろう。同室の女性が亡くなられたそうだが、押尾君、マネージャーに介護任せて逃げ出したというから、ポコチンロックにもなりゃしねえ。

酒井さんも、清純派だっただけに衝撃が大きいようだが、清純はメディアが作った虚構であり、実際どうかは知らない。しゃぶしゃぶに魅了される人もいるだろう。身内と関係ある人だけが気にかけて対処したらいいと思う。しゃぶしゃぶ族を全て覚醒剤使用容疑でテレビ中継することはないだろう。芸能人がしたところでどうだというのだ。粛々と逮捕、後は近親者が更正させたいなら手を差し伸べればよい。センセーショナルに報道尺を用意する話題ではない。

芸能ネタで選挙への感心がかすむのを危惧している先生方も多いだろう。選挙だ。政権与党が交代か?という歴史的選挙だ。

ただ、政権変わっても、国民レベルで本当に何か期待感をもてるかといえば・・・・。

自民と民主、その他おまけ政党、鼻息荒くマニフェストやらいうものを掲げているが、中・長期目標だらけで、その間に政権つぶれたらどうなるのかわかったものではない。

だいたい、内閣にしても、こうしょっちゅう変わるなら、何一つ一貫した政策が出来るわけがない。

政権を得た人に、建設的な議論を経た介添えとオンブズの役目が野党にはあるはずだと思うのだが、建設的な野党を見たことがない。そのくせして、主張は籠盛りで並べられたら差がないような一長一短ぶり。

自民と民主と社民と公明と国民新党とか全員をシャッフルして入れ替えても、大して骨組みは変わらない気がする。もちろん優秀なシナリオライターが、論文レベルの主張は変えるだろうが、実現性がないこともふまえ、幼稚な域を出ない。

共産党だけは唯一の野党といえる主張を持っているが、未だに赤色張られているようでは躍進はないだろう。

結局、好きな人に入れるだけだが、地元の候補者ならわかるが、全国レベルでみたら、酒井さんや押尾君みたいに、よく知らない人だ。比例で政党を選ぶというよりは、地元で評判がいい人がたまたま多かったのがどの政党か?というレベルで議席を争ったらいいと思う。

これだけ野党の性質が幼稚だと、彼らが仮に与党になっても、果たして本当の意味での政権を持って、それを行使できるかといえば微妙だ。とにかくとろい。与党と野党の看板が変わっても、稚拙集団の屋号が変わっただけで、政権能力という点では同じだと思う。

反対することが存在意義の野党なら、真の意味で下野してほしい。

政治話題は終わり、我が身に起こったしょぼく、悲しくなる話。

先日、7年ぶりにポリスに交通違反で捕まった。シートベルト違反だ。俺の車に同乗したことがある人ならわかると思うが、俺はシートベルトを、例え10メートルの移動でもする男だ。シートベルト違反で捕まることは生涯ないと思っていた。ところが先日捕まった。

運転中にシャツの後ろがズボンからはみ出してきて、妙に腰の座りが悪くなった。信号で止まった時に、ギアをPにして、ベルトを外し、シャツを入れてベルトを締めた。

締め終わり横を見ると、ポリスがいた。目が合った。俺は、「すごいタイミングや。お前見てたよな?俺の一部始終を! ご苦労さん。」と会釈して、信号が変わると同時に走り出した。

10メートル先に赤旗持ったポリスがいて俺を誘導した。「僕違反???????」

得意げに「シートベルト違反、免許証見せて~」というガキポリスに、俺は笑顔で答えた。

「自分、ギャグやろ? 俺のベルト脱着を一部始終見ていたお前の仲間の、何かの間違いや。確認してみて!」

ガキポリスは確認もせず、杓子定規な対応。営業車に乗る営業マンの仏仕様の俺であったが、ガキポリスが記入している間中、ブツブツ不満を懇々と述べた。

「お前ら、自分の頭で考えることできんのか? 脱着見てるんやで? 目の前でシャツ直してる奴を一瞬ベルト外しただけで捕まえるくらい、応用きかんならそれでいい。じゃあ、おい!(ちょうど暴走族仕様の車が爆音立てて走り去る) 今目の前走った車、改造車やんけ! 応用利かせず、走って間引いて来い! どあほ! だいたい、これ営業車やで。他にも捕まってるの営業車ばかりやんけ! 全然悪質ちゃうやんけ? お前ら頭病んでるな~。早く人間になって! おいコラ! わしの名前の漢字間違っとるやんけ! 雰囲気で漢字を書くな! 何や、「会社名は?」だ~~~? 自分で調べろボケ! お前に何で教えなあかんねん。電話番号も104かけて聞け!」

まあ、こんな感じだ。他にも逮捕ぎりぎりまで文句を言った。

考えてみれば、俺を捕まえた本人は悪くない。単なるババ部署に辞令交付されただけのナイスガイかもしれない。それに、俺が一時的にせよ、シートベルトを外したことは事実だ。交通法で決められた条文を違反したのは俺で、文句を垂れる俺の品格がないのかもしれない。

ただ、職務に忠実とか、そういったレベルではない、人間なら誰でもわかる、条文化不可能な例外は、確かに存在していて、それを共通認識として共有できるところに、「常識」が生まれる。

警察など公務員全般の方々が杓子定規になる傾向があるのは認める。だが、その一方で杓子定規どころか、分度器か?と思わせるくらいRのある社会保険庁、年金問題などの犯罪処理もある。しかし、そいつらには個別の違反切符は切られない。

こいつらの基準って何よ?

こういうことを繰り返していくと、結局、何言っても無駄。自分の家族、友人、プライベートだけを大切にしよう!という気持ちになっていく。よくないとは思うが、この傾向が増していくと、選挙への感心は薄れ、ワイドショーの題材になる話題が話ネタとして跋扈する。

そうすると家族や友との会話も、実に薄っぺらいものになり、やがてはワイドショーが、人間同士の関係温度を下げる媚薬になる。媚薬で覚醒した錯覚ができる世の中・・・・。

「酒井さん、押尾君事件」、「選挙」、「俺の交通違反」

一見、関連のない話題の列挙だが、共通するのは、無垢でもなければ、年輪を経て思考力も育たない人たちの絵巻が繰り広げられる世の中であるということだ。

まあ、こんなものだろう、世の中は・・・。あきらめでも賛美でもなく、肯定でも否定でもない。大切なのは、ゴキゲンな世の中でご機嫌よく処するスタミナである。

俺は年を重ねながら、このスタミナを養ってこれた気がする。

上から目線でも下から目線でもなく、矛盾に噛み付きながらもしらけずに、腐らずに、周囲の恵まれた人的交流と娯楽を楽しんでいくだけの素地が出来たと思う。

明日は社長家族とプライベートゴルフ。

ライブは冒頭の告知通り。実に良い日々だ。

最後になったが、息子の誕生に際し、多くの方のご好意を頂いた。息子に代わってお礼する。生後5日目には首向きを自由に変え、フリーダムに寝ている。元気にすごいペースで育っている。うんこはまだまだ草食系の香り。早く肉食系にもなって欲しい。

2009年7月15日水曜日

7月14日







1789年、パリ市民がバスティーユ牢獄を襲撃した日
1853年、ペリーが浦賀に上陸した日
1977年、日本初の気象衛星「ひまわり」が打ち上げられた日

そんな歴史のある7月14日である。

昨日2009年7月14日、俺たち夫婦の子供、幹太(かんた)が生まれた。
予定日は7月25日であったが、約10日早い誕生だった。

臨月になっても何の気配も無く、「まったく産まれてくる気がしないな~。」と話していた夜から数時間後の早朝、嫁が軽い陣痛と共に破水した。

病院に行き、すぐに本格的な陣痛が始まった。昼休みに病院に様子を見に行った時は、初めて味わう種類の痛みに悶絶する嫁の姿があった。

仕事を早く切り替え、病院に17時半に着く。産婆さんの見立てでは、もう1、2時間くらいだろうという感じだったが、いきんでもいきんでも出てきてくれない。嫁の体力も尽きるのではないかと思った22時前、大きな頭が子宮口から見えた。羊水まみれの我が子の誕生である。

38年間生きてきて、初めて味わうタイプの涙が、前触れ無く溢れた。嫁は子供みたいな声で泣いていた。

「よくやった。」結婚してからというもの、兄弟みたいな夫婦であった。俺は嫁を褒めたこともなければ、世間一般の夫像でもなかった。だが、胎児をお腹に宿してからの嫁は立派であり、完全にママであった。俺はこっそり敬意を表していた。

毎日お腹に向かって話しかけ、見えない息子に向かって読み聞かせていた嫁の姿を見ると、なんとも微笑ましくあると同時に、泣けてきた。

結婚して14年目、なかなか子宝に恵まれないでいた。だからこそ、夫婦で色んな所に行けた。楽しいこともたくさんあった。俺は子供を教える塾稼業について、色んな幸せも味わった。

だが、いつも嫁の心情を慮ると、何ともいえない気分になった。

産婦人科は、喜びとため息が交錯する複雑な場所である。嫁にしてみれば、産婦人科は、ため息の連続であった。産科にはなりえない、婦人科としての役目しかなかった。期待をしては失望の繰り返しであった。

妊娠が発覚してからも、嫁は産婦人科に行くたびに血圧が異常値を示した。良い結果が出なかった過去の経験がもたらす緊張感からであろう。

結婚して数年間は、生理が来るたびに、ほんと悲しそうにしくしくしていたが、徐々に気持ちの切り替えが上手く、早くなり、よくもまあたくましくなったものだと感心していた。それでも、産婦人科は嫁にとって依然、圧のかかる場所であったのだと思う。

初めて昨日、嫁にとって産婦人科は産科となった。弱い腹筋で、下手くそな腹式呼吸でいきんでいる嫁の姿を見ると、産まれてくる息子を嫁のために授からせてあげたいと思った。

昨年秋の待ちに待った妊娠判明時からずっと、溺愛必至の親バカ予備軍の俺がいた。

だが、臨月に入った今月から、俺は子供に対しての感情が思考を超え、なんだか失語に近い感覚になった。

色んな親御さんが、わが子を思う気持ちをいろいろな言葉に載せて語る場面、俺も多く経験した。そして、微笑ましく思った。かわいかった。親子共にまぶしく、清く、癒された。

だが、それと同時に、自分が入れない結界みたいなものも感じ、一抹の寂しさがあり、それは憧憬として消化されるには美しくない感情になったこともあった。

今、不思議と冷静に我が子の誕生を受け止めている。これから病気をすれば心配になるだろうし、毎日ハプニングを運んでくれるだろう。だが、息子の持って生まれた運命に対しては、親といえども無力だ。親の無力さを超えた1人の人間に、毎日傍で接することが出来ることへの感謝があるだけだ。

見る度に泣けるほどかわいい。愛しい。だが、1人の人間としての敬意がわが子にしっかりあり、愛情に溺れるには素面すぎる自覚と自我の目覚めが生まれ、それが俺に安らぎと、感謝の念を強く起こさせる。

嫁と息子、ありがとう。しっかり身体張って、守りたいと思う。

その決意は、パパとしての俺だけにあるのではなく、嫁と息子に負けずに、しっかり人生を太く生きてやる! という、鋼みたいな湧き出る意思、意志に至った。

我が子の名前は、幹太(かんた)と言う。

親の価値観を押し付けることはしない。当然、親として人生の先達としての教育は全力でするが、1人の幹を持った人間から、こちらも学び、共に成長していきたい。

嫁と俺の今日まで抱いた希望と、今までの嫁の味わった苦労は、息子の誕生で全て喜びに昇華された。

親都合の期待はするまい! 1番身近な人間としての期待はする。それはただ、太い幹になって、大地に根ざして、思う存分生きて欲しいという期待だけだ。産まれてくれただけで、十分に孝行はしてもらった。後はしっかり自分のために生きて、根幹を形作っていってほしい。

嫁と息子が退院する19日(日) 俺は初のハコでライブする。1人の人間として、俺もしっかり幹を作り、年輪を形成するのだ。息子に、「パパの生き様を見ろ!」と魂を送るつもりだ。

ほうるもん新曲「年輪」を披露する。

幹太の写真、本人に許可なく、アップする。パパ主導のアップは最初で最後のつもりだ。許せ!

2009年、7月14日、レベルアップ完了。次のステージへ進む。






2009年6月7日日曜日

充実の日々

めっきりとブログを書く習慣が、生活から滑落しているが、その間も充実した日々を過ごしている。

営業と塾の掛け持ち勤務にも慣れ、余裕が出てきたところで、色んなお誘いが連続した。

まずは野球。約10年前にS川急便で働いていたが、その時の上司から、草野球チームを作るので参加して欲しい旨を伝えられていたのだが、それが本格的に動き出した。

本日は初めての練習参加。キャデラックに乗ったチンピラ風味のセールスドライバーから、ジェントルなパパドライバーまで、多様な人がいたが、どいつも(ほとんど年下)かなり面白い。いかしている。

チンピラ君、野球は初めてみたいなのだが、天性の動物的な感覚で、かっこは悪いが、打つ、守る、投げるの一連の動作をこなす。動体視力が並外れてよい。きっとステゴロ訓練の賜物であろう。

彼はエンターテイナーでもあった。外野の守備練習をしていて、前よりのフライに猛ダッシュして、ボールを左目で受けてしまった。昔の中日宇野選手ばりの、いや、それよりかなり痛い(文字通り)のプレーであった。どうやったらグラブを外して目に当てることが出来るのか不思議である。彼の並外れた動態視力は、ランニングしながらでは発揮できないみたいだ。

彼の目は、死傷者が出そうな喧嘩をした後くらいには腫れていた。心配する周囲をよそに見て、彼は平然としていた。おまけに、その後、キャッチャーをしたいという。彼にとっては顔面の腫れくらいは、渡世のスタンダードなのであろう。

俺自身は、体が覚えているので、何となく無難にこなしたが、やはり動態視力が極端に衰えている。サードなのだが、ゴロを捌くのは感覚的に何とかなったが、全くもってボールが見えていない。バッティングでもそうだ。

ただ、20代中心の人たちの中で野球をして、俺の脚力と体力は、セールスドライバーの猛者と比較しても遜色ない、いや、むしろ俺の方があるのでは?と思った。この点は、若者から驚愕の目で見られた。

幼少時からの鍛え方が違うのだよ! あっ、はっ、は! 心で優越感に浸っていたら、ラライナーを弁慶の泣き所で受けた。 鍛えられる場所ではないのだよ! とっ、ほっ、ほ!

再来週とその次の週の日曜日、連続して練習試合がある。月2回、日曜日の午前中は野球をすることになるだろう。

次はゴルフ。営業職復帰後、ゴルフの付き合いが多々ある。4月からもう3回ラウンドしたが、パッティングが堅気になり、強弱を覚え出したら、アイアンが不調になりだした。来週日曜日にもラウンドする。こちらは、そろそろ100~110あたりでいけそうな気がする。

次は、商工会青年部の、とある実行委員会に組み込まれることとなった。こういう団体に中指立てることはあっても、握手することはなかった俺だが、どんな環境、心境の変化だろうか、明日、初めて会合に出席する。中指は一応ロックしておく。

野球、ゴルフ、商工会・・と、かなり非ロッキンな日々を過ごしているかと思いきや、音楽きっちり、ロッキン衝動は炸裂中である。

チープは明君の音信不通があり、進展がないのだが、「ほうるもん」は週一練習を継続中だ。新曲も次々に取り掛かり、7月19日には、初のハコで、県庁所在地にカチコミをかけることになっている。告知を参照してほしい。

ニール・ヤングのBOXセットに大枚はたいたり、「24」の科学論文を書いてみたり(未発表)、ハーモニカを再開したり、絵本を集めてみたり、物理的にも精神的にもロッキン衝動の温度は上がっている気がする。

その絵本であるが、ヤフオクで、昔話、福音館の書籍を中心に、我が家にはもう100冊以上ある。生まれ来る子供への読み聞かせ用として買ったつもりが、俺がはまっている。絵本は良い。と言いながら、絵はほとんど見ていないのであるが、絵本の言葉には音を感じる。ポエトリー・リーディングを楽しんでいる。

ゴルフの前夜にはなぜかマアジャンをする。この前は、役満を2回振り込んだが、万点棒で支払ってやった。成金から貧民に1局で変化したが、実に清清しい賭博時間であった。博徒としての自分も再認識。

競馬のG1は絶好調。万馬券を2週連続してとって、中2週挟んで、今日は3連復を5点買いで仕留めた。最近、馬、中でも牝馬の気持ちがよくわかるようになってきた気がする。乙女馬心がわかるというか、感覚的なものなのだが、今の牝馬がどんなきもちで、ヒヒ~ンと嘶いているか、調教を見てわかるようになった気がする。牡馬心は、まだわからないが・・。

まだ1年半もあるのだが、不惑を前にして、かなりの充実度。胎児も順調。頭が少しでかめ!しゃっくりしているのがかわいそうなのだが、横隔膜の特訓だと思って放置している。胎内にいる時から、特訓されときなさい!

噛み付きたいニュースも山ほどある。悲嘆に暮れるニュースも山ほどある。だが、気持ちを文章にする作業に対する衝動が低下している。その分、違う方向にエナジーフロー。生きている間には色んな時期があって、今の失語期に思いを蓄積することが、後の言葉の降臨に繋がるものだと思っている。出てこなければ紡げばよい。

今から、松谷みよ子の絵本を読んで、夕寝する。次はいつ書くことやら。

2009年5月18日月曜日

マスク狂騒

豚の狂騒でマスクが凄い動きをしている。俺の仕事でもマスクを扱っているが、普段はほんの微々たる売上、鼻くそ以下の売上にしかならないマスクが、ここにきての騒動で、あほみたいに動いている。

今日の時点で取引あるメーカーのマスク在庫は全滅であり、少しがめっていた在庫を食いつぶすだけなのだが、明日にもなくなるであろう。

とにかく市場にマスクがないのでは?という状況らしい。

「本当かよ?」と思ってネットで検索すると、マスク販売専門の会社ページに行く。そこでも、本当に全滅であった。

ヤフオクに「マスク」と入れてみる。

びっくりびっくり! 普段は@15円くらいのレベルのマスクでもアホみたいに値段が上がって、入札件数もありえない活況だ。

本当に市場からマスクが消えるかもしれない。

「24」ネタであるが、架空の政権とはいえ、あまりにリアルで理想的に映るパーマー大統領は、有事に際していつも、民衆のパニックを1番危惧していた。

「24」でも病原菌の散布テロによる有事が展開されていたが、民衆の動きは、個々は良識ある人であるが、マスメディアの報道のされ方とその展開によっては、雪崩のような稚拙でヒステリックな反応を起こすものだと、改めて思う。

マスクに関しては、「たかじんの~~」の番組で聞いた話だが、医学的な効力は完全に証明されていないらしい。10分ごとのうがいを励行することが対処両方らしいが、国民全員が10分ごとにうがいをしていたら、それまた水不足になるは、経済は停滞するは、病的な絵巻が繰り広げられるであろう。

確かに、用心をするべきだ。獣の持つ病原菌をなめてはいけないと思う。だが、今回の騒動に関して、市場からマスクが一斉に消える状況を体感していて、別の怖さも感じた。

これがもしプロパガンダだったらどうだろう?いや、実際に医学的な根拠はないがプロパガンダが流布される素地は出来ていると思う。

報道が適正であるかどうかはわからないが、事実を述べるだけにしても、かくも豚インフル一色で垂れ流されると、そこに意図はなくとも、報道が結果的に、ある偏狭なプロパガンダ的側面を帯びてくることはあると思う。

適切な処置の呼びかけよりも、恐怖が最初に報道の受け手に伝わると、事態は急加速で、予期せぬベクトルに向く。

個人的には、念願のわが子が嫁の体内で育っている時に、今回の騒動・・・。すっかり豚嫌いになりそうな心境だが、不必要に慌てないように自分を鼓舞している。不用心とも違う、適切な処置と徒な恐怖心との違いをしっかり見極めて処したいだけだ。

ブログを書くのは久しぶりである。その間、色々なことがもちろんあった。

本もたくさん読んだ。音楽もたくさん聴いた。ライブもした。仕事に邁進した。個人的に大きな喜びを味わう一方で、消化できない喪失感も味わった。

だが、全てを俺の呼気全体で、精神全体で吸っては吐いてきた日々が、いつもと変わらずあって、そこにはマスクはなかった。狂騒もなかった。全てが現実で、殺到する市井とは無縁の、個人的な佇まいがちょこんとあった。

ウイルスによる被害の拡大を軽く見るつもりはない。ただ、それに狂騒してマスクに殺到する人間ではありたくないと思う。

物理的にマスクを装着する、しないの話ではない。マスクを主体的にはめたいだけで、煽られて買い占めて、押し付けられてまでして自分の処世を施したくないだけだ。

俺は我が子に「幹太」と名づけるつもりだ。どんな世界、方面で生きてもよい、太い幹になって、晒されたむき出しの状態でしっかり根を生やして欲しい、根幹のしっかりした人になって欲しいと思っている。それだけでよい。

飛沫に怯えてマスクを恐怖心から装着することは、現実的には理性ある正しい判断の側面もあるが、比喩的には避けていきたいと思う。嫁にはマスクを義務付けているが、徒な恐怖心から、心にマスクをかけることは避けたいと思っている。

2009年4月30日木曜日

健康診断を受ける

健康診断に行ってきた。サラリーマン塾講師を辞めて数年経っていたので、会社の金での健康診断は久しぶりである。

一般的な身長、体重、視力、聴力、検尿、採血の後、心電図やら胃カメラやらレントゲンをした。

持参物として便検査のキットを2日分持参した。

便検査のキットであるが、歯間ブラシみたいなブツを、マイ便にツンツンして取るやつである。2日にわたって、便器に専用紙をひいて、ツンツンした。

汚い話で恐縮であるが、1日目のツンツンは、ツンツンし過ぎて、ブラシの上部まで茶色に染めた。きっと検査技師の中で、苛立ちの対象になる被験者であろうと思う。

ただでさえ快便の身、バリウム飲むと、即リーチがかかるので、胃カメラにした。カメラ挿入に際し、口と鼻の選択肢があったのだが、迷わず鼻にした。理由は経験がないからだ。痛そうだが初体験に興味をそそられて即決!

鼻に麻酔薬を注入され、医者にカメラを突っ込まれた。激痛が一瞬あって、すぐに咽に到達。「ごっくんして!」と言われてごっくんしたら、シュルシュルとカメラが内臓に入っていき、目の前に俺のホルモン映像が映る。

実に綺麗で、「上ホルモン」を焼肉屋で注文しても、ここまで美味そうなホルモンはないと思えるくらいの綺麗なホルモン・・。我が内臓ながら惚れ惚れした。先生にも「綺麗だね」と褒めてもらって、何だか変な照れを感じた。

今日行った、会社の指定病院であるが、便検査の結果以外は即日で出る。採血分析のスタッフが院内に常駐しているのだろう。その分待ち時間は少し長めだが、待っている間に、肩凝り、腰痛対策のストレッチ指導をしてくれたり、なかなか配慮のある病院だと思った。

昨日はゴルフ帰りに打ち上げで、焼き肉を食いまくり、ビールを浴びるほど飲んだ。今朝もタバコを吸い吸い、砂糖たっぷりのコーヒーを飲んだ。

健康診断受診に際しての行動ではないが、常々、「ありのままを見てもらわなければ健診にならない!」というのが俺の持論だ。

種々の検査を終えて、診察室に入った。先生は、「何の問題もありません。健康です。」と一言もらして、次の人のカルテを手にしだした。

俺の働いている会社の、35歳以上のやつらは、「死期が近い」やら、「もう最終警告です。」やら、強烈な言葉をかけられている。手厳しい診察で有名な病院が、上記の診察をなさるものだから、西洋医学的には俺は健康なのだろう。

なんだか拍子抜けした。40歳手前にもなれば、何かひっかかるくらいが、勲章みたいに感じていたのだが、実に健康。

おまけに、昨日のゴルフの筋肉痛もしっかり翌日に出ている。

別に、今日の診察結果を聞いて、慢心するとか油断する気は無いが、酒飲み、不規則、タバコ吸いの俺がどうして問題ないのかが不思議で仕方がない。

健康体の割には緑内障の手術はするは、交通事故には遭うは、それなりに生命、器官のピンチにはさらされているので、健康というものにも、小学生並みには配慮している(ほとんど配慮にならないのだろうが・・・)。

問題は、便結果だ。以前、便に血が混じっていて、5段階のワースト結果数値を食らったことがある俺だ。こればかりは、結果が届く日まで油断できない。

前回は「要再検査」で肛門からカメラを入れられて診てもらったが、異常はなく、単なる「痔の疑い」で終わったのだが、今回はどう出ることやら・・・?

だいたい、昨日にユッケを2人前食った俺だ。潜血ないほうがおかしい気がするのだが、こればかりは、健診結果でひっかかりそうな気がする。また尻からカメラを入れるのも人生経験上、悪くはないと思っているが、ぎょう虫だけは勘弁して欲しい。

昔に、セロファンみたいなブツを尻に貼るものが便検査のスタンダードであった時代、俺は犬糞で出して、ギャグにもならないお叱りを受けたことがある。その祟りは今でもある気がする。

たかが検査キットごときの結果で判断する数値が、健康の正常な尺度ではないと思う。だが、西洋医学の結果で白であったことは喜ぶべきだろう。慢心せず、油断せず、安心もせず、今まで通りの新陳代謝をくり返して、生の喜びを享受していきたいと思う。

余談だが、今日の健康診断を受けた病院の更衣室にパンツを忘れてきた。ノーパンで気が付かず、家に帰って気が付いた。そういえば、下半身がフリーダムな気分であった気もする。

脳診断を受けてみたほうがいいのかもしれない。Oh,No!

2009年4月29日水曜日

ゴルフ

今日は接待ゴルフの日。

10年ぶりのゴルフ、おまけに人生4回目のゴルフであり、付け焼刃で前日に打ちっぱなしで250球を打ち込み今日に臨んだ。

昨日の打ちっぱなしからそうだったのだが、基本的にボールを捕らえる技術は素人レベルでは、ちゃんとできる。

ドライバー、7番アイアン、P、S と4本のクラブしか使わないように薦められたので、それだけで打ちっぱなしもコースも出たのだが、普通にボールを捕らえられる。

ブランクも関係ない!と楽観してコースに出た。

1~3ホールまでは、ボギー、パー、ボギーの、素人とは思えない滑り出し。社長も、「あんた、こっそりレッスン通っていたんちゃう?」と言うくらい、普通に真っ直ぐボールが適正距離を飛んで、ゴルフになっていた。

パー4なら2オン、パー5なら3オン、パー3なら、1オンを軽くする。

「100切るんちゃう?」と俺も思っていた。

だが、そんなに甘いスポーツではない。

第4ホール、パー5のコースで、ちゃんと3オンした。だが、その後なんと7パッティング!

フック、スライスなんかを読むレベルではない。強弱のレベルが、人並み外れて欠如しているのがわかる。どうやったら7つ叩けるねん!と我ながら思う。

第4ホールの大叩きだけではない。18ホール中、OBが2回あったくらいで、それ以外は、多少のラフに行こうともしっかりゴルフが出来ている。バンカーショットが4回あったが、4回とも1発で出せている。

だが、グリーンに乗るとだめ。結局、パターで平均4.5回叩き、終わってみればスコア130・・・。不完全燃焼であった。

細部を見れば、パターだけではなく、アプローチ全般が実に弱い。真っ直ぐ飛ぶからいいようなものの、距離感は全くない。キャディーさんの言うとおりにしているつもりだが、無駄なショートがいくつかあった。

ゴルフを通して思ったのだが、俺は根本的に精密な力の調整能力に欠けているのではないかと思う。

思いっきりオンか思いっきりオフ、間の微妙な調整が出来ない。

これはギターなんかでも言える。歌でも言える。

思いっきり弾く。思いっきり歌う・・・ということは得意なのだが、つま弾く感覚や、ウィスパーボイスは俺にはない。

気持ちの面でもオンとオフが両極端だ。だましだまし、中位で持続することが出来ない。

別に自分の性質を卑下する気はないのでいいのだが、もし、細部の調整が出来る人間になった上で、オン・オフ極端な性質を個性として出せていけたらいいのでは?とも思った。

そういう意味で、ゴルフを通して微調整の感覚を身につけるのは良いと思った。6日にもコースに出るので、次回は強弱に注意して、アプローチに進歩したい。

明日は健康診断。

例年、変な数字は出ないことが多いのだが、4段階の評価があるとしたら、ずっと1か4だ。つまり、極めて健康か、即再検査の状態だ。ここでも中位が欠けている。

交通事故に会えば、正面衝突という、思いっきりオンの事故だし、緑内障という病気に30代でかかるのも病魔オンだ。

最近の営業と塾の2足の草鞋を、「生き急いでいる。」という方もいるが、確かに中位のない極みのような生活習慣の変化が、俺の20代以降を占めている。

ここらで、中位のものをしっかり理解、体現できた上で、オンの電圧を上げたいと思った祝日だった。

2009年4月26日日曜日

沐浴

まずは「ほうるもん」ライブ告知から。再来週の土曜日、GW明けの土曜日、画面右上にあるように、ライブを入れた。新曲を盛り込みながら、1時間以上のセットメニューでのぞむので、都合が合えば是非是非ご来場を!

次は「チープハンズ」のメンバーへの業務連絡だ。8月29日、東京でのライブオファーを頂いたので、早急に都合連絡されたし! もちろん、お江戸の盟友たちの企画ライブへのありがたいお誘いなので、万障繰り合わせた上で連絡を乞う!

今週も慌しい日々であったが、楽しくエナジーに満ち溢れた週間であった。GWもバンド練習やらゴルフやら飲み会やらBBQやら、種々の予定が入っていて嬉しい限りである。

パソコンを開く機会は減った。色々な方々の主張や動向に注視出来ないのは物足りない気もするが、毎日動向を追っていては、久々に会った時に「積もる話」が意味をなさなくなっている気がしていた。久々の感覚に恥じらいが欠けているような気もしていた。

久々に会った時に、空白の時間を、積年の間を瞬時に埋めることが出来る人たちとだけ付き合えたら幸せである。幸いにして俺の交友関係は恵まれているので、ネット環境に触れない日々も快適に過ごしている。

今日は市の主催の「お父さん講座」に行ってきた。赤ちゃんのお風呂の入れ方、抱っこの仕方を学ぶ講座だ。精神科医からのスキンシップの重要性などの講演も聴けた。

25組くらいの夫婦が参加していて、一通り講演を聴いた後、4つの班に分かれて実技講習がある。俺たちの班には予定日が同じくらいの夫婦が6組いて、それぞれ自己紹介をしあったあと、先生の模範実技がなされる。注意深く聴いた後、実際に新米パパが、赤ちゃんの風呂入れ実技をしていく運びとなる。

たまたま、実技の初っ端に俺がなってしまい、マネキンを使って沐浴の実技をした。事前に先生の模範実技を見ているにも関わらず、マネキンを見てもぴんとこない。

タオルの上に寝かされているマネキン赤ちゃんの背中から手を入れて首を支え、持ち上げないといけないのを、俺は、足を持って持ち上げようとしたものだから、いきなり強烈にダメ出しされた。「足、抜ける~~。」赤ちゃんはすぐに脱臼するらしい。

たしかに烏賊の天日干しでもあるまいし、足から持ち上げるのはあまりに乱暴である。

上向きにして体を洗い、次に背中を洗うために、赤ちゃんをひっくり返す作業がある。その過程でもダメ出しされたのだが、とどめは、ひっくり返した後だ。

ひっくり返されて背中が上になった赤ちゃん、当然、顔は沐浴桶の水面側にある。俺は、ひっくり返して背中を洗うことに意識を集中するあまり、赤ちゃんの顔面が水面に沈んでいることに意識がいかなかった。

俺の腕に支えられた赤ちゃんマネキンは、ドザエモン状態になっていた。またまた強烈なダメ出し。「し、沈んでいる。」他の夫婦から失笑がもれる。

おまけに、尻のへっこんだところに、うんちがたまりやすいみたいだが、俺はそこも洗わずにダメ出し! 「もっとちゃんと洗ってあげ!」

服を着せるのも難しい。洋服ではなく手を引っ張ろうとするので、すぐにダメ出しが入る。
「手が抜ける・・・。」

もし、今日の俺の実技を生身の体で実践していたら、足は脱臼、複雑骨折、頭はぼこぼこ。水に溺れて窒息、手は抜け、指は折れ、おまけにうんちは綺麗に洗浄されない・・・という悲惨な沐浴になる。

事前に参加してよかったと思った。

先生方もわかりやすくて、親切だった。ダメ出しされまくりだったが、「沐浴に失敗して怪我した赤ちゃんや亡くなった赤ちゃんは聞いたことがない。だから大丈夫!」とか、優しいフォローもあり、見習いパパとしては頼もしい限りであった。

そらそうだ。俺が今日触れたのはマネキンだ。顔面が水面に浸かっても何も言わない。でも実際の赤ちゃんなら、すぐに意思表示するだろう。多少手荒な失敗はあっても、たくましく育ってくれるだろう。脱臼だけは避けてあげたいが・・・。

赤ちゃんの入浴には、「沐浴」という言葉を使う。俺はあまりこの言葉が好きではなかった。だから、「ゆあみ」という言葉のほうを意識的に使っていた。宗教的な儀礼のイメージが強くて敬遠していたのだ。

だが、今日の講習を終えて、「沐浴」という言葉に、すごくアロマな響きを感じた。

マネキンの赤ちゃんは、俺に沐浴されてボコボコにされたが、俺は癒された。お父さん講座満喫の日曜日。今から沐浴して寝る。

2009年4月19日日曜日

近況

営業サラリーマン復帰で20日が過ぎた。仕事の感覚は戻っていて、塾との掛け持ち体制にも慣れてきた。改めて今のペースというか忙しさがちょうど心地よい。

4月に入って、ここまでのところで、種々の飲み会ラッシュである。20日間で8日間が飲み会である。その他の日にはほぼ塾があるので、朝早くから帰りは日付変更時間という日々が多い。だが、昼間にきっちり手を抜くところは抜いているので、疲労感はない。

先週から「ほうるもん」が再開しだした。今後の練習予定も入っていて、ライブも時間の問題だろう。新曲も順調に仕掛けられており、かっこいい曲を作るスタンスはぶれていない。楽しみだ。

ブルース・ハープを練習してみることにした。曲を作っていく中で、どうしても音色が欲しい時が多々あって、重い腰を上げて挑戦してみる。

「チープハンズ」のほうは、ベースの明君から再び音信が途絶えているが、こちらも時間の問題。しっかり体制が整えば、またバンドモードになってくれると思う。

営業職に復帰してから、案の定というか、ゴルフをすることになった。今月29日にいきなりコースに出ることを打診されているが、10年ぶりのゴルフ、まして10年前までは年に1回くらいのコースとその直前の練習のみだったので、実質トーシローである。

今週ぐらいからは、仕事後、塾のない日に打ちっぱなしに行くことになると思う。これが実に楽しみであったりする。

マイベイビーは嫁の腹の中で順調だ。定期健診が1ヵ月ごとだったのが、2週間ごとになり、心強い。嫁の腹で毎日動き回っているのがわかるので、嫁共々安心している。腹に向かって語りかけを欠かさず、日々の1番の原動力に変えている。今度の日曜日は市の主催の「お父さん講座」に参加して、風呂の入れ方なんかを学んでくる。

音楽は、FLAMING LIPSの“The Soft Bulletin”が最近好きで聴いている。WILLEY WISELY TRIO の音源も好きだ。あと、Mott The Hoople のグラム時期、デヴィッドおじさんがかんでいるあたりのアルバムが好きだ。メロがせつなくて好き。

書籍では、内田百聞さんに目覚め、『第一阿房列車』から順番に読んでいる。だいぶ昔に読もうとしたが、旧仮名遣いを敬遠していたのだが、今は新字仮名遣いで復刊されているので、読みやすい。ニュアンスは若干変わるかもしれないが、毎日楽しみにしている。

それ以外では、『ギリシャ神話』串田孫一(ちくま文庫)、『アジア新聞屋台村』高野秀行(集英社文庫)、『イチローの流儀』小西慶三(新潮文庫)などを読んだ。どれも好き。

珍しく漫画にも触れた。生徒が薦めてくれたので、『ギャグマンガ日和』増田こうすけ(集英社)を3巻まで読んだ。

結構セリフが後からくる面白さがある。このウィット感、毒感は、子供にはあまりふれてほしくない気がするが、大人が読む分には面白い。ジャンプに連載されていることには???だが、マンガも捨てたものではないと思った。

「24」リデンプションも見たし、シーズン7、臨戦態勢に入っている。box見直しは、シーズンⅡが終わり、Ⅲに突入だ。

ただの箇条書きの近況雑文だが、日々は楽しい。38年間生きてきてよかったと思える充実感を味わっている。思わずにんまりしたくなるくらい楽しい日々だ。

むふふな日々は続くのである。