昨日の「ほうるもん」ライブにお越しくださった方々、ほんまありがとうございます。
個人的には今まで出1番集中できたライブで、曲世界への没頭がすごいライブだったと思う。
お客さん、対バンの方々(米やん、感謝)からも色々声をかけて頂いて、幸せに満ちた時間であった。早速明日から次のステップに向けてスタジオ入り。今後ますますレベルアップしていきたいと思う。
夢のような世界を終えて、今日は現実の試練をこなす。
転職することをまだ同居の両親に話していなかったのだ。一昨日、昨日と機会を窺っていて、あるにはあったのだが、元来気弱な僕・・・、びびってちびってエスケープ。
実は昨日の俺がライブに行っている間に、嫁から両親に話しておいてもらうようにお願いするという姑息な手段に出たのだが、たまたま祖父の病状変化といった緊急事態があり、嫁も言い出せなかったようだ。
昼間に家に帰り、母親にびびってちびって言う。「あの~、僕、転職します。」
沈黙の後に母が一言、「またけ?? 」
数年ごとに転職する俺の性質が心配で、孫に遺伝しないかを心配している雰囲気。
数年前の俺ならば、ここで、「どあほ、俺の生き様じゃい! がたがた抜かすなボケ! あ、抜かしてないな・・・、 あん、文句あるんやったら言ったらんかい! 牛でももっと自己主張するど! も~~! あ、なんや、無視の刑かい! あん、その懲罰嫌いなんじゃい! 口あけんかい! あんみゃ~~~ な~まくさんだ~~~!」と心でつぶやき、顔ですねたであろう。
ところが加齢に伴う社会の一般的感覚を、嫌でも荒波で身につけさせられた俺は、母親の思いも仕方ない、当然だと思うようになった。
そして、転職理由や経緯も一切言わず、「心配かけてすみません。息子のためにしっかりやります。」とだけ言った。いや、それしか言えなかった。
嫁という1人娘しか育てていないし、父親はプロレタリアーッティックなガテン作業一筋の男である。転職は我が家の辞書にない。転職するくらいなら、倒産やリストラの憂き目に遭った被害者のほうをよしとする家庭的風潮がある。
養子として契りを結んだ俺の経歴、趣味、行動、すべてにおいてカルチャーショックを超えた、黒船レベルの衝撃を食らい続けてきた母である。まして実母でないだけに、50前にして浦賀に立つようなものである。
うん、よくわかる。君の気持ちよ~くわかるよ僕・・・。
転職を初めとする俺の経歴全てにおいて、その時々の意志や目的を話して、自己アピールすることは簡単である。だが、今の俺にその発言権はない気がした。
この「発言権」というものをここ数年意識するようになった。
自分の哲学を伴った思いを言葉にして主張をするのは、俺は得意な方だ。だが、主張するにはそこに発言できるだけの環境が配備されてなくてはならない。
その環境は、やはり積年の自らの行動と、相手の哲学との相関性にしかないと思う。
連日ワイドショーで公共電波の浪費対象となっているあの、お薬すけべのO塩君、彼がどんな語録を残そうとも、どんな弁明をしようとも、やはり素面な人々には響かない。
響くどころか、塩蒔きの対象となる。
まあ、O塩君と俺を比べるのは俺と俺の先祖に失礼だが、やはり発言できるかどうかは、経緯はどうであれ、客観的事実の履歴に支配される側面があるのは、シャバで生きる限り仕方がないと思う。
ぐっとこらえて、今後の自分に期待して、ぐだぐだのテンションを高めるためにMDMAやらよくわからん錠剤を使わずに自己覚醒させて、誰に話すわけでもなく、誰を恨むわけでもなく、全て自分の内面に放射しては被爆して、回復しては自分でまた諌めて、あふれんばかりの煩悩を頭でシャッフルしては取り出して、出てきたハズレを踏みつけて、身代わりを要求するわけでもなく、ダサい歌を歌ってブランドを自己完結状態で構築するわけでもなく、髪を整え、身体を綺麗に保ち、安物でも清潔なシャツを着て、何とか自己矜持を保っている。
発言権は今の俺にはない。ぐっとこらえる我慢強さも自信ない。だが、発言をぐっとこらえる。
どうなるかわからないが、テンパイしているわけでもない。鬱々とした気分を沸々としたマグマで持ち上げ、コアからマントルから中心部からの炸裂を待っては休火山。
それでもいいのだ、燃え尽きもしないし錆も出さない。平成のロッキンおやじ、しぶとく渡世を心に決めた。いや、今まで決めていたことを再度肝に銘じた。
意味不明だ・・・・。発言権はないが、書する権利はあるのだ
と思う。
『プラネタリウムのふたご』いしいしんじ(講談社文庫)を読んだ。大好きないしい氏の中で唯一読んでいなかった本。
もう泣きまくった後に乾燥機にぶちこまれたような衝撃を受けた。個人的に今世紀で1番感動した。救済された。
『星の王子様』の匂いを感じた。多分俺だけであろう、この感慨は・・・。
夜にお父さんに話した。
「お父さんすみません。俺また転職します。」
お父さんは、「ほ~~ん。そうなん。」とだけ言って、孫をあやしにいった。
つれないのではあるが、発言権的欲求に意識がいくまでもなく救済された気がした。
今はただ、そっとしておいてほしいの僕・・・。
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