2010年9月27日月曜日

晩夏の夢

「しとしと降り注ぐ雨音の調べは 赤子をすやすや眠らせる」

まだ赤子を授かるどころか、伴侶もいない22歳の時に書いた詞であるが、ほんまに赤子は雨が降るとよく眠る。

「少し湿って冷たい布団が気持ちいいのだろう」

ほんまに気持ち良さそうに、顔をすりすりしては沈没しなさる。

息子を授かって1年3ヶ月目、毎日感動を運んできてくれる。

閑話休題

俺は自分の血液型を知らない。両親の血液型は共にAと知っている。

今まで血液型を書いたり、聞かれたりする機会があった時は、その時の気分でAやらOやら書いていた。

「生物」の授業でか、A型同士の親からは、AかOしか産まれないと習った記憶があったので、2分の1で合っているのだろう。

最近、たまたま書類に血液型を書く機会があって、いつもなら適当に書くのだが、何だか虚位記載を嫌う俺がいて、おかんに聞いた。

おかんは答えた。

「あんな~、あんたら3人共(俺と兄と弟)、知らへんねん。あんたら産んだ時、特に調べることもなかったし、その後機会なかったからわからへんねん。」

との回答。

血液型にこだわらない俺は、おかんの回答ももっともな気がした。

だが、昔「金八先生」でだと思うが、Rh-の奴が輸血するのに苦労する話を思い出し、たしか、知っておかねばと思った夜に、息子が事故で輸血を必要とする夢を見た。

看護婦に「RH+ですか? RH-ですか?」と聞かれ、

「多分、AかOです。」と答えて、ビンタされたところで夢は終わる。

不慮の事態になってから、血液型を調べていてはロスが大きいので、息子の血液型は知っておきたいと思い、嫁に聞くと、

「わからん。」と言う。

まだ調べる機会がなかったという。

そこで疑問だ。

みんないつ、どのような機会で血液型を認知したのだろう???

献血すればわかるらしいし、採血の時に申し出たら、それなりにめんどうな手続きも経ずに調べられるのだという知識はあるが、「知りたい!!!」という欲求があまりに少ないために、いつも健康診断の時には依頼を忘れてしまう。

俺の血液型が気になって、俺が捨て子でなければ、遺伝学的に該当するであろうAかOの性質を調べた。

どちらもあてはまり、どちらも笑えた。ただ、AとOのどちらも内包している性格の気がした。

血液型ごときによって、人の性質が区分されることには否定的な俺であったが、それなりに理を持っているというか、的確な分析がなされていたもので、やはり、「血は争そえぬ」のであろうか? 

我が遺伝子を継承した息子のために、分析と対策が必要かとも思いながら、レバーをたらふく食べて、獣の血を我が身に宿し、血便で消化痕を残すのか疑問のまま、悶々と血液分析考をネットでサーフィンし、注射されることの恐怖を天秤にかけながら、何とか採血無しに判別する方法がないかと思案した。

そんな時、我が腕に、蚊があの発砲スチロールをすかこすりしたような音を立てて止まった。

生類哀れまない俺、また、ゴキブリサイズ以下の生き物にはめっぽう強い俺、すぐにぴしゃりと殺めた。

腕に残るは大量の血・血・血。

俺が捕獲した蚊奴は、窓とドアを締め切った部屋に潜んでいた蓄虫であり、紛れもないドミナント・モスキートである。

つまり、奴の体内から吐き出された血は、100%が、俺の体内から採血されたものであろう。

俺は閃いた。

この手、この殺戮現場を現況維持のまま、お近くのドクターに実況見分してもらえば、俺の血液型というものがわかるのではないか????

俺は、右手を伸ばしたまま、指紋も付けずに、粛々と医者に向かって車を走らせた。
車の前ガラスに右手を伸ばしたまま、左手だけで、左利きヤンキーみたいな運転をして、開業医に向かった。

開業医の先生は、とてつもなく正義感の強い人で、俺の殺生を問い詰めた。生類憐れみまくり、綱吉レベルではなく、あらゆる生き物への憐れみを持ったパラノイアであった。

「採血してあげる・・・」と、むふふと笑う先生に、割りばしみたいな針を刺されそうになった瞬間に夢から覚めた。

転職目前の俺は、昼間からうたた寝しながら、生産性のないまどろみに時間を費やしていた。

湿った布団は気持ちよかった。すやすや眠って引っ掻いた俺の顔には、おできからこぼれた汁があった。

血液型を調べよう! なぜだか強く思いながら俺は、雨音を聞きながら、また布団に沈没した。

その後に夢は見なかった。

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