2010年3月22日月曜日

Gメンにアーメン

万引き・・・窃盗の一種であり、営業時間中の商店小売店デパートスーパーマーケットコンビニエンスストア書店)等において、販売目的として展示・陳列してある商品(商品見本を含む)および展示・陳列のための備品等を、店側の目を盗んで窃取するものを言う。(Wikipediaより抜粋)

許しがたい行為である。こんなことをする奴は、世の中から間引いてしまいたいくらいだ!

と偉そうに思う今の俺がいる。

だが、俺も万引き経験がある。今でも胸が痛み、慙愧に耐えない。

俺の万引きは、友達との万引き遊戯の一種のような悪質なものであった。本当に欲しいものがあって盗んだのではなく、「俺はこんなに盗んだぜ!」といった武勇伝気取りの万引きであった。

若気の至りでは済まされない、何とも心滅入る過去の悪行である。

中学の時に万引きをしていた級友の1人は、ずっとその悪癖が抜けきらず、10年前に死んだ。風の噂なのだが、黒社会の良くないモノに手を染めて、変死したという。

「賽銭箱にお詫びの手紙と3万円」というニュースがあった。何でも、過去に賽銭泥棒をして、その償いとして、10年後に利子を付けて賽銭箱に手紙と共に入れた人がいるというのだ。

この気持ちがすごくわかる。俺が盗んだ、クイーンのカセット、菊池桃子のカセット、寿司折、ハンバーガー、コーンビーフ、オイルサーディン・・・、償う店を訪ねたが、そこはもう跡形もなく消えていて、俺の償いは終わっていない。

コンビニバイト時代、セブンイレブンで働いていた時に盗んだ牛すじは、辞める時にオーナーに正直に言って給与から払った。だが、ファミマでバイトしていた時に盗んだものの償いは出来ていない。

時効かもしれないが、今後もずっと心に痛みを抱えていくだろう。とげは抜けることはない。

都合のよい解釈だが、万引き撲滅に向けた啓蒙活動をしていくことぐらいしか出来ない。

今の営業仕事のお客さんの1つに警備会社がある。システムコンサルタントと警備部門を併せ持つ会社である。県内だけでなく、県外にも盛んに進出している、儲かっている会社だ。

そこの専務さんから、先日俺に電話があった。

「うちが保安警備部門に参入するので、業務案内パンフの撮影に協力して欲しい。」という。

万引きのGメンとして、私服の張りこみ警備をする保安部門への商い参入に際して、そのイメージ写真を撮り、パンフ、サイト等でアピールされるみたいだ。

俺が働いている会社は、営業とは別に店舗を数個構える。その店舗で、万引き犯を見張る警備イメージ写真を撮りたいというのだ。

社長に断りを入れると、「任せた。」とのことで、先方に快諾した。

すると、俺にも立ち会って欲しいという。 まあ、それもそうだろう。いきなり来て、勝手に写真を撮ると、それ自体が限りなくGメンの捕獲対象となる。警備する側が警備会社に通報されちゃ、しゃれにならない。

俺は時間調整をして、店舗での撮影に立ち会った。少し、嫌な予感はしていた。

専務さんといかつい社員の方が来られた。いかにもGメンである。

どういうシチュエーションで撮影するのか知らなかったので、興味本位で、「どうぞ、どうぞ、ご自由に撮影ください。」と言ったのだが、来店開口1番、「あの~、万引き犯役やっていただけません?」と言われた。

めまぐるしく思考が頭で動きまくっていたのだが、時間にして1秒置かずに、俺は「はい喜んで!」と、威勢のいい料理人のような返答で、カゴを取りに行った。

「カット①」
店内の死角で商品に目をやっている俺、その後方の列にさりげなく潜むGメン。

「カット②」
ポケットに売り物を入れる俺、それを密かに目視するGメン。

「カット③」
店を後にして、駐車場内に足を踏み入れる俺、それを呼び止めるGメン。

万引きのホップ・ステップ・ジャンプを、静止画像で的確に捉えた写真が撮影された。

撮影が無事に終わり、深くお礼をされた俺であったが、「顔にモザイクかかりますか?」と聞いたら、「無しでもいいですか?」と質問返しされた。

気弱な俺は、「はい喜んで」と、またまた威勢の良い店員になってしまった。

保安警備だから、私服警備が必要とされる機関の数だけ需要はある。スーパーや大型店などに幅広く拡販ツールとして出されるのだろう。

高校の学園祭で、デビルにやられる神様役をやって以来の配役であるが、なかなか素敵である。死体役の次に素敵である。

だが、パパとなり、堅気街道まっしぐらの俺としては、素敵な主観に、複雑な客観が混ざる。

会社に戻って、社長に報告すると、「ぴったりの人選や!」と笑われた。

しばらく、社長は無視の刑に処してやるつもりだ。

なんだか不思議な経験をしたものだが、因果応報といった処罰ではなく、過去の悪事に対する償いの機会を与えてもらえたのだと、自己都合で解釈している。

Gメンにアーメン

2010年2月27日土曜日

NPO団体、喫煙描写に噛み付く(笑)

この前の日曜日、実家のおかんを招待して、息子と一緒に飯を食べたり、温泉に行ったりした。生後7ヶ月のかわいい孫を、ばあちゃんに見せてあげたい、見てもらいたいという、俺たち夫婦の企画だ。 

産まれてすぐに対面して以来の孫との対面、俺のおかんも喜んでくれていて、俺もおかんの息子として親孝行出来、息子に対してもばあちゃんに会わすことが出来て、父親としての満足感を抱いた。

1泊2日でばあちゃんが帰った夜、息子は早くに眠った。しかし、すぐにうなされ、暴れ泣きした。きっと彼なりに気を遣っていたのだと思う。その疲れが出たのだろう。嫁の添い乳ですやすやと寝た。

息子を改めていじらしく、愛しく思った。

いつも思う。息子には綺麗な景色や、心ある人との交流、とにかく、すばらしい環境を与えてあげたいと思う。

料亭や温泉や中華料理屋や、行く先々で知らない人から、「あら~なんて可愛らしい!」と声をかけて頂いて、抱っこをせがまれたりした。親としては単純に嬉しい。

中には、柄の悪いように思えるアッパーおやじもいて、煙草を吸いまくった後に抱っこしようとしてくるので、辟易した場面もあったが、そういった人との交流も大切である。もちろん、喫煙中は息子を少し遠ざけたが・・・。

俺は喫煙家だが、煙草の煙による間接喫煙を息子にはさせたくない気持ちがある。当然、息子の前では吸わないし、煙草を吸う大人の前を避けたくなる。

医学的に煙草の害が明らかになってきている今、俺自身も禁煙に懲りずに取り組もうとする意思はある。自分が吸っているのに、息子に間接喫煙させたくないこの心境、自己矛盾である。

未熟な親ではあるが、息子の情操をしっかり育んであげたいと思う。俺自身の価値観だけを押し付けて、偏りがあるのは良くない。幅広い価値観と色んな自然、人間に対面させてあげ、そこから息子なりのアイデンティティを形成する機会を作ってあげたい。

教育における持論は、親の数だけあると思うが、色んな人の色んな価値観があって、
それぞれに持論を持って子供に接するのだと思う。そこに優劣はないであろう。

俺自身ももちろん持論があるが、そこに偏りや怠慢がないか、いつも自己吟味して、マイナーチェンジをくり返している。

最近よく悩むのが、子供が晒される環境に対して、尺度をどこに引いて、どこまで大らかでいられるか?ということである。

例えば、インフルエンザが猛威を奮っている時に、当然のようにうがいをしてから息子に近づく。だが、「菌」というものを恐れて憎むあまりに、平時において、過度なクリーンルームを息子に提供し過ぎていないだろうか?という自己葛藤がある。

すぐに指をしゃぶるのが幼児である。免疫のない彼らが、汚いものを触った手で指しゃぶりをしたら、それなりに生理的な波乱があるのだとは思う。だから大人は、できる限り無菌状態を提供する。だが、それが彼らの免疫力を高める機会を奪うことになっていないか?という葛藤がある。

あえて、菌を提供する必要はないが、昨今の子育て指南の無菌指向は、単なる清潔とは違う潔癖感を抱いてしまう。

子供を思うがあまり、子供をクリーンルームに入れておきたいかのような思考になってしまうと、それは子供が持っている生命力に対しての敬意を欠いているようにも思える。子供は大人が思うより強いと思う。

少し前のニュースで、とあるNPO団体が、福音館の書籍に、煙草好きのお爺さんが孫に話す場面があるのがよろしくないと、発売差し止めを要求し、福音館自身もそれに応じたという、実に悲しいニュースを見た。

つまり、「子供の読む絵本に、煙草を吸うお爺さんが、孫の前で煙を吐いている姿があるのは、教育上よくない。」というのである。

このNPO団体、子供に間接喫煙をさせたくないという主旨で、利益を生み出さなくてよい団体認可を得ているのだが、その主旨はわかる。間接喫煙の弊害は医学的に言われているからだ、

だが、何で絵本の煙草煙場面にまで噛み付くの???? 申し訳ないが、色んな価値観を超えて、こんな大人は間接喫煙の害以上に害であると思う。

物理的な間接禁煙に、絵本内の煙草の煙の絵が関係すると、こいつら本気で思っているのだろうか???? あ? ほ? 

子供に有害なものを避けさせてあげたいという気持ちは尊い。だが、この団体の主旨はちゃうやろ??? この団体は、暇で仕方がなくて、社会に貢献する大義名分が必要で、ついついいちびってしまったのであろうか?

そうとでも思わないと、理解しがたい壊れ方である。価値観とか信条の問題ではないと思う。

多分、この哀れな団体への意見は、ネットに蔓延っているだろうから、俺ごときがどうこうと、多くを言わないが、こんな団体の大人もいる世の中である。

子供に対して、発育に応じた適切な防御はしてあげた上で、色んな免疫を付ける環境をヒステリックに、盲目に排除しないでおこうと思う。子供が免疫をつける過程が心配になるのは、大人の心情である。子供を心配しているつもりが、自分の心配になる心情を心配するということにはなりたくないと思っている。

綺麗で荘厳で残酷で・・・、息子には、色んな自然に触れ、思考力を育み、色んな人との交流を経て、自分を形成していって欲しいが、上記のNPO団体の人のような、偏狭で無思考でヒステリックなのに緊張感のない人にはならないでほしいと思っている。

2010年1月25日月曜日

おまわりさんに感謝

昨日実家のおかんから電話があった。

「ま~ぼ(うちの弟)と連絡が取れない。胸騒ぎがする。」と言う。

よくよく聞いてみると、昨年11月末から、何度連絡して留守電に入れてもかかってこない。少し心配になったおかんは、中国にいる兄貴に連絡して、メールをしてもらったらしい。今までなら、兄貴のメールにはすぐ返信があったのに、今回はないと言う。

弟の音信不通ぶりは今までにも何度もあって、今回が初めてではない。

アメリカがイラクにミサイルを撃ち込んでいる時に、アフガニスタン周辺にいて帰れなかったり、シベリア鉄道の旅に出て、ロシアのどっかで金を盗まれて大使館からおかんに電話があったり、俺が言うのもなんだが、むちゃくちゃである。

デリケートな俺と違ってワイルドな弟は、家族に何も言わずに旅に出る。心配性のおかんはその都度振り回されていたのだが、それでも最近は、おかんからの着信や、兄貴からのメールがあれば、ちゃんと返事をよこしていた。

ところが今回は違った。とにかく連絡がとれないという。俺も、「そういえば????」という嫌な予感があった。おかんは胸騒ぎがして寝られないという。

昨年9月に、2年ぶりに俺に電話があり、俺の息子の祝いを持って富山に弟が来た。久々に2人で魚に舌鼓を打ち、よそよそしくはあるが、兄貴として会話をした。

その時に、「なんか俺、長生きは出来ない気がする。よく心臓苦しくなるし・・・。生きている間に世界の色んなところを見たい。」と言う。

弟の仕事はパソコン関係の俺にはよくわからない仕事であり、が~~~っと働いて、ふらっと旅に出る生活をこれからもしたいようなことを言う。

人それぞれの人生であり、「ふ~~ん」と聞いていたのだが、おかんの今回の捜索依頼の電話を受けて、心なしか、弟のその時の会話が、何だか寂しげに感じた。

アパートで孤独死????  電話はau留守電、アパートは口座残高があれば引き落としされる。冬の気温では、死後2ヶ月くらいまでは、近隣で腐臭もしないだろう??

俺とおかんは、シャーロックな推理を電話で繰り広げ、お互いに「胸騒ぎがする。」と確認した。

俺は弟のアパートの連帯保証人なのだが、どこに住んでいるか知らない。必要書類を捨てていた。

前置きが長くなった。ここからが本旨である。

おかんが東京にいる弟の住所を知っていたので、俺はネットで所轄警察所を調べて、事情を話して交番に取り次いでもらった。正式な捜査願いでもない、個人的な心配事を警察が聞いてくれるとは思っていなかったのだが、胸騒ぎがしたから仕方ない。俺は所轄警察署に電話して交番に繋いでもらった。

交番の警察官の方、名前を聞きそびれたのだが、この方が、実に素晴らしき方であった。

「お忙しいところすみません。こんなことを相談していいものかわからないのですが、実は・・・・。」と遠方に住んでいる俺とおかんの事情を話し、弟のアパート名を言い、近隣で不吉な事件がないか?など、丁寧に説明しながら聞いた。

電話で対応していただいたおまわりさんは、俺の無謀な相談に、実に温かい口調で、「あ~、それは心配ですね。弟さんのお名前は?」と聞いた。俺は告げた。

「弟さんの生年月日は?」と聞かれて、俺は固まった。「お、覚えてないです。昭和49年の6月のような気が??? いや、10月やったかな???」

実に胡散臭い電話である。おまけに俺と弟の苗字も違う。夜更けのプチテロみたいな電話であったのだが、そのおまわりさん、「わかりました。詳細はいいとして、私、今から見てきます。夜分なので、大家さんの立会いをすると近隣の方に目立ちますが、どの程度までをご希望ですか?」とおっしゃってくださる。

俺はすでに、温かいおまわりさんの親身な電話対応に感動していて、「ほんとすみません。ただ、郵便ポストの状況などを見て来ていただけるだけでかまいません。うちの母もその状況見て、明日にでも上京すると言っていますし・・・。ほんとありがとうございます。」
と、涙声で言った。

おまわりさんは、「わかりました。すぐに言って状況を連絡します。」とおっしゃって、俺の連絡先を確認して電話を切られた。

待つこと8分。俺の携帯が鳴った。画面にはアドレス登録した弟の文字があった。

「あにき~?? びっくりしたやんけ! ドア開けたら警察官いるから、なんかと思ったわ。」と言う。

俺はブチ切れて言った。

「ぶぁっかも~~~~~ん! おどれが電話よこさんからやんけ! 何?? 仕事忙しかっただぁ?????? ねぶたいこと言わんと、おまわりさんに謝れ!」と言って電話を切った。

二つ返事で見に行ってくださったおまわりさん。杓子定規ではなくて、実際に会話した者しか再現しようがないくらい、人間性が滲み出た親身な対応であり、お名前を聞かず、ただただお礼を申し上げたくて、再度電話した。生憎まだ、そのおまわりさんは交番に戻ってきておられなかった。

電話に出られた当直の別のおまわりさんにいきさつを話し、「ほんとお手数かけました。親身な対応にただただ感謝です。弟にはよく言って聞かせておきます。ただただ感謝伝えたくて電話しました。」と伝えた。

すると、そのおまわりさんも、「弟さん、無事でよかったです。僕も安心しました。見に行った者ももうすぐ戻ってくると思いますから、わざわざお礼の電話いただいた旨を伝えておきます。遠方にお住まいですから、心配だと思います。安心してお休みください。」とまで言ってくださる。

あまりに感動して、俺は涙が出た。

感謝を言葉で伝えたくて、お礼の手紙を書くつもりだ。

「警察」という単語、カテゴライズされたジャンルに生理的に「高圧さ、傲慢さ、権力」を嗅ぎ取ってしまい、ついつい嫌悪する偏った俺であった。そして、実際に報道されるような、公務としての権限を、個人的な権力と履き違えてしまう人がいるのも事実だと思う。

でも、「警察」を総まとめで見ていた自分を反省した。「こんな心あるおまわりさんがいてくださるならば、俺は少しでも多く税金を払いたい。」と思った。

具体的に出していいのかわからないのだが、東京都板橋区中台交番には、心あるおまわりさんがいた。こんな素晴らしい方がおられる、地域の番人、交番というシステムに感謝した。日本も捨てたものではない! 本気で感動している。

単なる地方の心配性の若輩からの電話に、親身で対応してくださるおまわりさん、こんな方が、世の中を明るくしてくれるのだと思う。

~億円の使い道に言い分考える人や、~億円の小遣いもらう人の報道を垂れ流すより、心ある町のおまわりさんにスポットあてたなら、世の中は明るく、景気もよくなり、悪代官が失業する時代が来ると思う。

このおまわりさんのような方が、国会でビジョンを語って頂けたら、世の中のほとんどの問題は解決するような気がした。

名前も知らない、中台交番のおまわりさん、本当にありがとうございました。おまわりさんがいてくださることに、幸せを感じた俺であった。

心配性の俺とおかんの胸騒ぎも止まった。

「ま~ぼ(うちの弟)」の「魔」を「おまわり」さんのお力で省いて「おわり」

2010年1月11日月曜日

め組の俺

3連休が終わる。連休と言ったものの、土曜日は消防団の出初め式とその打ち上げで終わり、翌日は左義長の防火待機があり、今日もボランティアで友人の雑務手伝いをした。

昨年秋に、取引先の社長(消防団団長)から誘われて入った消防団であったが、最初は無駄な拘束に思えて仕方がなかった。

定期的に当番制で夜回りがあたる。カランコロンと音を鳴らしながら、消防車に乗って街を巡回する。ある程度巡回したら、屯所(消防団の各地域ごとの詰所)に待機して、だらだら時間を過ごす。夜回りは啓蒙活動であるが、基本的に形式的なものである。

消防団という組織に対しては、幼少時からまったく馴染みがなく、全て消防署管轄の人たちという認識でしか見てなかった。

「自分たちの街は自分たちで守る」という、高い意識に根ざした理念が前提にはあるのだろうが、日中に仕事を持っている人たちばかりである。疲れきった仕事後の、緊張感のない啓蒙活動に、気持ちが入るわけはない。

自治集団という性質上、地域に根ざした地元の集団である。昔からその土地で生まれ育ち、「児童クラブ」、「町内会」、「獅子舞などの祭り」といった組織にも入っている人が多く、同世代であれば幼馴染である人がほとんどである。

まして、裏日本の田舎町ことである。町内の住人のことなら、お互いに家族構成から職業まで、ツーツー・カーカーの集落である。小さい頃から何かしらお世話になってきた子供たちが、大きくなって、地域に貢献する舞台としての活躍の場が消防団であるといってもいいと思う。

地縁の強い、そんな組織に、よそ者である俺が入ったのであるが、予想通り、探りを入れるかのような状態がしばらく続いた。1つの消防車に乗って夜回りしながら、俺以外の人たちが、俺が入り込めることのない会話を延々繰り広げる。異邦人と化した俺は、ただただ孤独な時間を過ごしていた。嫌ではなかったが・・・。

だが、それでも毎回1番に集合場所に行き、しっかり挨拶をしていたからだろうか、徐々に俺にちょっかいをかけたりしながら、俺をいじろうとする人が増えてきた。話しかけてくれる人も多く、俺が名前を知らない人が、俺の名前を呼んでくれる。

正直に言うと、最初は、あまり付き合いたくない人の集団だと思った。会話は下ネタ、パチンコ、車、芸能人ネタがほとんどであり、たまに政治に関しての話があっても、実にしょぼい話である。

ところが、関わっていくうちに、地元の小さな世界から1歩も出たことない人たちが、その中でささやかに幸せを感じているのが、この地元集団達との交流であり、関わりであるのだと思うと、なんだか幸せの1つの形に思えてきた。

隣人すら知らない、とかく人と人との交流の希薄さが嘆かれる今、片田舎でこうして残っている地域の交流というのは、ささやかで謙虚で素晴らしいものだと思った。

消防団に関しては、実際の消火活動とはかけ離れた、その形骸化した行事への批判や疑問はある。例えば、ほぼボランティアに近い人たちを、雪が降りしきる屋外で、防寒衣も着せずに、ずっと隊列を組ませる儀式がある。

市町村の長が消防車に乗って通り過ぎるまで、じっと待っている我慢比べみたいな検閲の儀式がある。

「気をつけ!」、「直れ!」等の怒号が飛び交い、それに反応して団員が姿勢を正したり、休めたりする様は、戦時中を思わせるものがある。

形式ばっていて、実務に役立たないことがとかく嫌いな俺ではあったが、火消し集団としての粗野でいて、ここぞという時の縦社会的隊列がなされる様は、江戸の火消し集団としての気風を、今に宿したものであり、何だか粋にも思えてきた。

鳶職中心の江戸の火消し集団は、いろはにほへとで、それぞれ「~組」と名づけられ、それぞれに組織としての優劣を競う気風があり、元来の気性の荒さから、組同士の抗争もよくあったらしい。中でも「め組の人」の喧嘩は有名である。

月に数回、応援出動も含めて、メールに火災の報が入る。「~地内で火災発生!」といったメールがくると、駆けつけることが可能な人たちが、現場に駆けつけ、消火活動、鎮火後の現場保持に協力する。

明け方の火災で出動してから、通常の仕事に行く機会が今後出てくるだろうと思う。

入った以上、防火、鎮火に一躍買えるように、操縦方法の技量習得に努めていきたいと思う。昨日は消火水槽へのホースの繋ぎ方、放水の仕方を少し教わった。

考えてみれば、消防団というのは、よく出来たシステムだと思う。形骸化していて、ほぼ義務的な組織である一面はあると思うが、それは火災が頻繁に起こることのない性質に伴うものである。

普段は、夜警などの緊張感のない行事がほとんどであるが、実際に町内で火災が発生した際に、消防団の存在が大事になってくる。

滅多に起こらない火災に備えて、仮に消防団員を全て常勤の公務員にしていたら、消防隊員の数は今の何十倍、何百倍にもなり、それこそ国家予算を圧迫する規模になるだろう。

消防隊員という常勤公務員が各市町村に配備され、その補充として、ボランティアの消防団員を配するこのシステムは、江戸中期にその創成期があるらしいが、よく出来たシステムであると思う。

もちろん問題は多いと思う。負担が大きく、形骸化した無駄な風習が多いのは事実である。だが、出初め式なんかも、江戸から続く雅な祭りの一種だと思えば風流であり、形骸化した定期的な消防団の集いも、地域のコミュニケーションとしての集い場だと思えば、悪いものでもないと思う。

富山に来て15年近く経つが、やっと真の在の人間になれた気がしている。在一色に染まりきらないような自分のスタンスは保ちつつも、村八分にされないように、地域貢献に我が身を呈していきたいと思った。

余談だが、出初め式の帰り道、俺は車の中で、自らの煙草灰で股間を焼く怪我を負った。冷えまくってかじかんだ手先が、煙草を落とす事態を招き、鎮火が遅れたためのぼや騒ぎだった。貸与された作業服はには、しっかりラッツ&スターの焼け跡があった。

地縁の雰囲気に馴染めずにランナウェイしたい日もあった。ランナウェイしたい火も今後あるだろう。

だが、心にいつも江戸の心意気、「め組」の気風を持って、真面目に関わっていけたなら、俺にも恵みが訪れるだろうと思う。

2010年1月8日金曜日

イッツ・ロック

まずは、ライブ告知から。

1月16日(土) 高岡市「navi」にて、「ほうるもん」ライブ!!! 
20時開場、20時10分開演。 チケット1000円(ワンドリンク付き)

※間に休憩(10分)を挟み、2部構成のライブ。100分以上やります。

自身初の長時間ライブであり、相当気合が入っている。結成3年目、今回のライブで得るものは大きいと思う。都合合えば是非!

「雨垂れ石を穿つ」という言葉があるが、音楽に関しては、この言葉通り、着々と出来てきていると思う。自己基準だが、確実に進歩していると思う。

ところが、仕事に関しては、ここまでの俺の人生、「穿つ」までの持久力がない。仕事に価値観を見出していないわけではないし、すんごく真剣にやってはいるのだが、簡単に言えば、すぐ飽きる、厭きるのである。転職経験はかなり多いほうだと思う。

出戻り職場での営業生活も慣れたもので、成績も良いし、人間関係も快適だし、特別にハードなわけではない。給料もそれなりにもらっている。

基本的にルーティーンな日々に飽きてしまうのだと、自己分析している。お客さんで「うちに来ないか」と誘ってくださる方が何人かいて、ついつい、未体験の場に目移りしてしまう。隣の芝は好奇心を刺激する。

今までの経験上、どこに移っても、そこである程度の成果を上げたら飽きてしまう。

1つのことをじっくり続ける人を尊敬する。羨ましく思う。今の職場で、俺が以前辞めた時に、俺の仕事を引き継いだ人が、今はポスト上、営業トップにいるのだが、社長が彼の不満を俺によく言う。

俺は諌める。「彼は、キャパはあんまりないかもしれんけど、会社に長年尽くしてきた功労者やから、そんなこと言わずに、楽させてあげてもいいんとちゃいまっか?」と。

やっぱ、1つのことを続ける人は偉いのだ。

よく、管理職の人を部下が悪くいう場面がある。「うちの部長、仕事もできんのに偉そうに言う。」とか、「部長なんか、おってもおらんでも会社回るのに。むしろマイナスやわ。」とかだ。

外部からの招へいで、現場経験がない奴、天下りの奴とかに対しては、的確な意見だと思う時がある反面で、たたき上げの人に対しては、仮に仕事が出来なくても、温かく、敬意を持って接してあげるべきだと、最近思う。

長年1つのことを続けた結果としての彼がいるわけで、勤続年数が少ないものが、今の有態だけで簡単に評価出来ることではないと思うからだ。

長年、会社に忠誠を尽くす過程では、それなりに嫌なこともあったのだろうと思う。単なるイエスマンの奴であったとしても、単なる時流に乗っただけの奴であっても、とりあえず会社の礎にそれなりに人柱として尽くしてきた年数、その貢献度合いは、評価してあげるべきであり、それだからゆえ、楽させてあげたいと思うのだ。

やっぱ、「雨垂れでも石を穿つ」人は、それなりに素晴らしい部分があるのだと思う。

俺はまったくない。とにかく飽きる。どこでもポスト的な出世は、最短で登れてきているのだが、根本的に何か欠落している。

困ったものだと言いながら、あまり困っていない。ただ、大人があまり環境変わるのは、地方都市では面倒くさいな~と思うだけだ。

だから、今の仕事を当面はしてみようと思う。ただ、社長には、「いつまた病気出て、どっか行くかわからん。」とは伝えている。

俺が今までの人生で、「穿つ」ってきたことはない。ただ、いつもそれなりの「雨垂れ」は滴り落ちさせてきてはいると思う。

「穿つ」こと、その能力と勤勉さに憧れを抱く。その一方で、「猛烈に垂らす」だけの俺の日々も、それなりに自己評価したいとも思っている。

パパになっても、根本的な生き方に変化がない俺がいる。

団塊の世代の先人は俺の精神状況を見て嘆くだろう。

でも仕方ない。飽きるものは飽きる。金を稼いで、家族を養えればいいだろうと、とりあえず納得している。

息子が1階で寝ているので、起こさないように、トイレに行くときは忍び足をしている。でも流す時に音がする。

そんなこともあって、最近は2階の窓枠に中腰で座って放尿することが多い。かなりアクロバティックな姿勢だ。もちろん家族には内緒である。

連日しているからだろうか、今日見たら、俺の放尿場となる瓦が、少し変色していることに気がついた。
窯物も連日のアンモニ~な責め苦に悲鳴を上げて老けこんだのだろう。今にも溶けそうな按配である。

ははは~~~。穿っている・・。

なんだか自信を持てた今宵の放尿であった。俺も穿つこともあるのだ。通報されるまで雨垂れを落とし続けてみようと思った。

イッツ、ロック! 

2010年1月2日土曜日

頌春

賀正で謹賀で迎春でおめでたいのである。明けました。

「頌春(しょうしゅん)」、この漢字が長年読めないでいたのに、気になりつつも無視していた。形式ばっていって、嫌いな雰囲気を字面から感じていて嫌いだったが、今年初めて読み方を知った。

浅薄な己には慣れた俺であるが、知識を得るのは嬉しいものである。

息子と迎える初正月、溺愛、甘やかし軍団の爺婆と嫁とは違い、俺はワイルドに子育てをしている。

息子を風呂に入れる時、爺が入れる時は、しっかりかけ湯をして体温をお湯に慣らさせてから入れるのであるが、俺は、いきなりジャブっと湯浴みに処す。

湯船の中で俺の太ももから珍子を蹴りまくり、ささやかな抵抗を見せる息子ではあるが、風呂場では俺に涙を見せず、風呂上りに嫁と爺婆が待っている居間で泣きじゃくるのが常であった。

俺の前では、平気なふりをする息子であったが、俺に似て風呂は嫌いであるのは俺も知っていた。特に熱いお湯が嫌いである。

息子を風呂に入れる時、いつも俺が先に身体を洗って、湯船に入り、ぞうさんの温度計で40度弱になった時に嫁を呼び、裸にされた息子が運ばれてくる。そして後はなされるがままの息子がいて、ささやかな抵抗は示すが、それは屁のつっぱり以下のものであり、10分以内に全身をくまなく洗われ、いっちょ上がりの状態で居間に運ばれていくのが常であった。

ところが、今日の息子には男を感じた。

いつも通り、「いいよ~~」の俺の掛け声で、嫁がストリップした息子の脇を抱え、風呂場に連れてくる。

俺が息子の脇を持ち直し、吊るし上げた状態で湯船に足だけ入れようとする。いつもの流れだ。

今日の息子は違った。俺が抱き抱えた瞬間から、マンガみたいに足をバタバタさせる。アニメなら何コマ描かなければならないのであろうか、ものすごい高速である。

湯船につける前に、彼は明らかな抵抗を示しているのである。裸にされて、俺に吊るし上げられた動作が何を意味するか、短いながらの彼の体験で学んだのであろう。

笑えるくらいすごい速さでバタバタするので、俺はあっけにとられながら、微笑みながらも、彼の足をじゃぶんと湯に浸けた。

固まった息子は俺と目を合わさない。その割には抵抗しない。3分ほど湯に浸かって上がりしなに俺の珍子を思いっきり蹴ったのが彼の唯一の抵抗だった。

風呂上り、息子は今までで1番でかい声で泣いた。泣きまくっておっぱい飲んですぐ寝た、

酒量がマックスの俺は、酒臭い息で、彼の耳元で、「ね~んね~んころ~ろ~よ~」と、古典的な歌を野太い声で歌った。

息子はグーの拳をさらに握り締めた。俺はパーで包んだ。

小さくてさささやかで、何気ない正月である。頌春である。

何気ない正月はバタバタと過ぎていく。なかなか良いものだ。

今年もよろしく。笑春

2009年12月31日木曜日

今年もありがとうございました

2009年が終わる。

人それぞれ区切りをつける契機や尺度はあるのだろうが、最もわかりやすくてスリコミの域にまであるであろう、区切りの大晦日である。

今年もたくさんの人にお世話になった。

お世話になった方というのは、今年1年多く関わったかどうかだけでなく、今年1年1回も関わらなかった方々も含まれている。

対面の関わりであれ、ネット上での関わりであれ、1度も両者での関わりが今年はなかったとしても、俺の心にずっとあって、ずっと支えになってくれている方々の集合体の上に、レベルアップした俺の大晦日がある。

「謝」は「言(ごんべん)」があるので、本来、言葉にしなくてはいけないのだろうが、「謝」を的確に完全に言葉に出来る言語能力がある人は存在しないと思う。だから、月並みな言葉(「ありがとうございます」)が暫定的に重宝される。

もちろん、思いを細分化して、1つずつ言語に置き換えていったら、少しは具現化出来ることがあるのかもしれないが、最も核心の思いは行間に横たわるだけである。

言葉の限界を感じて、失語に陥って、それでも何とか形にしようとして出来なくて、考え抜いた挙句、言霊に救いを見出して、言霊が宿るように思いに自己対峙して、洞ヶ峠で日和見して単語に逃げて・・・。

言葉に向き合えば向き合うほど・・・・ 深く向き合うだけの素地が自分にないことに気づいて、嘆いて、開き直って、しかしその時々で零れ落ちる言葉に出会って、舞い上がって、有頂天になってはまた滑り落ちて、言葉の限界を感じて・・・・・・。

そんな時、息子の喃語(「なんご」:赤ちゃんが話す「ア~ア~」とかいう言葉)を聞いて、救われた。

喃語は音としては、大人が認知している単語にはならず、擬音語に過ぎないのであるが、その音の清さと同時に的確さを感じた。

単語の素晴らしさ、字面から感じる素晴らしさというものはある。例えば、「爽快」という言葉なんかは、単語全体がクーリッシュである。

言語的な知識は後天的に身につけて、それを味わう素地は備わったのだけれども、息子が発する言葉の音・・・、かなわないと思った。

それは紛れもなく言語であるのだが、誰もが新生児の時に発して以来、いつのまにか不可逆的に失われていった言語のむき出しの音であった。言霊はいた。

言葉を音として味わうことに、少し敏感になった今年であった。

来年は音として純度の高い言葉を1つでも多く宿していきたいと思った。そのために精神レベルの純度を今一度取り戻したいと思っている。

先ほどから猛烈な勢いで雪が降り積もっている。元日の朝は雪かきから始まることになるだろう。たまらなく美しい年の瀬である。

今年も良い年だった。来年も良い年だろう。

みなさま今年も、ア~ルィ~~~グァ~~~トォゥ~~~~~ギョ~ジャ~ィ~マ~スイ~トゥァ~~~~~~!

何だか美しくないが、ありがとうございました。

2009年12月6日日曜日

雪隠

3週連続土曜日「ほうるもん」ライブを昨夜終えた。なかなか贅沢な週末を3週続けることができて、幸せの極みである。来場頂いた方々に感謝である。

次にどこに向かうかはわからないが、然るべき時に然るべき音が現れて流れていくだろうと楽観している。

師走である。月日の経過が年々早くなるのは、今になって驚くことでもないが、それにしても早い。充実した日々がもたらしてくれる時間のマジックであると前向きに捉えている。

いつもトイレに入りながら、色々と考えごとをするのだが、最近はトイレの別称、呼称について考えている時間が多かった。多いと言っても、俺の場合、入って出るまでに2分くらいであるから、物理的時間が多いわけではないが・・・。

トイレの呼称はいっぱいある。「トイレ」、「お手洗い」、「化粧室」、「WC」、「LAVATORY」・・・。

俺の好きな呼称は、「厠」、「手水」、「雪隠」である。「はばかり」という呼称も好い。

中でも「雪隠(せっちん)」という言葉は、知った時以来、実に粋でお気に入りである。俺は小学生の時、将棋の本を読んでいて「雪隠詰め」という言葉に出会ったことからこの言葉を知った記憶がある。

小学生の時に、俺は九州のおばあちゃんところに行き、雪景色の中、近くの温泉場に行ったことがあった。ぽかぽかになって帰る道すがら、俺は強烈な便意を催して、帰りきるまで耐えられることが不可能であることを瞬時に悟った。

大分県の糞田舎の道すがらである。辺り一面雪景色であり、見渡しは抜群であるが、人通りもなく、車も今ほどなかった時代である。俺はすぐに木の陰で野糞した。

湯気を立てながら俺の雲古がダウントゥーアース。熱で周囲の雪が削り取られていくのが面白かった。

すきっとして湯冷めを恐れぬ無邪気な俺は、降りしきる雪の中、雪だるまを作ったりして遊んでいた。

そんなに時間は経っていなかったと思うのだが、俺が雲古をした場所はすぐに雪が覆いかぶさっていて、完璧な野糞証拠隠滅が完成した。

「雪隠」という言葉の語源は、上記のような野糞体験をした俺としては、文字通り、「雲古を雪が隠してくれる」のであり、冬における野糞場としての野原を、「トイレ」に見立てたものであると思っていた。地球のフィールド全体をトイレに見立てたスケール感を抱いて、すごく好きな言葉であった。

ところが、後に「雪隠」の語源が、ある僧侶か誰か有名人に由来したものであると、何かで知って、興ざめしたことがある。

閑話休題

息子が便秘になっていた。4日間出ておらず、腹をすりすり、綿棒ツンツンしているのだが、いきむ様子も見られない。心配になっていたが、無事にぶりっと投下してくれた。おむつからはみ出さんばかりの量で、1度出て道がついたのか、短時間に数回投下してくれた。

赤子の雲古を受け止めるおむつであるが、あれは白と決まっている。豹柄やセクシーランジェリーみたいなおむつは見たことがない。

白は雪のイメージだ。雪が赤子の雲古を隠してくれる・・・・。何て素敵なメタファー!!!。
俺は「雪隠」はおむつから来た語源ではないか?? いや、そうに違いない!と思った。

気になって「雪隠」の語源をネットで改めて調べてみた。http://www.ymorimoto.com/haisetsu/settin.html

諸説あるようだが、「雪隠寺の和尚さんがトイレで悟りをひらいたことから・・。」という由来が、なかなか素敵だと思った。

師匠さんも走りまわるという師走である。俺も雪隠寺の和尚さんのように、残り少ない本年を走り回りながらも、色々悟りたいものである。

雪隠にて言葉を巡る楽しい時間を過ごしていた師走である。
拙朕を見つめながら・・。洩沈

2009年11月19日木曜日

live

「ほうるもん」ライブ告知。

11月21日(土) 高岡市 「NAVI」にて 19:40開場 20:00時開演。
少し押して20:10頃登場予定。 チケット1000円 自販機あり。
※ 初ハコはいつも楽しい。

11月28日(土) 南砺市福野町 「さむでい」にて 18時開場 19:30頃?開演。20:00頃登場予定。チャージ500円。
※ スタート地点がこのハコ。大好きなハコ。襟を正されるハコ。

12月5日(土) 富山市 「Artist‘s」にて 18時開演  19:40頃登場予定(5バンド中3番目) チケット1000円(ワンドリンク付き)
※ 3回目のハコ。ファンキーマスターといかがわしくランデブーなハコ。

上記のように3週連続ライブだ。恵まれていて嬉しい。

我が子に捧げた曲と青春を総括した曲、2曲の新曲をライブを通して発酵させるつもりでいる。

閑話休題

営業職に復帰して半年ちょい。このご時世にも関わらず、会社全体は悪くとも俺だけは昨年対比増で順調に推移している。感覚も戻り、誰よりも早く、誰よりも正確に、誰よりも誠実に仕事が出来ている気はする。

嫌味な自己評価だが、事実は嫌味ではない。数字としての実績裏づけもあるので客観的でもあると思う。

10年前の営業時代と同じ会社だから余計に比較しやすいのだが、自分の中で着実に成長してきていると思える部分と、変わらない部分を巨視的に見ることができている気がする。

成長した部分、それは、キャパアップだ。昔ならバタバタになってあたふたしていた事例と同じようなケースでも、あっという間に精神的気負いもなく処理できる。ストレスもない。この実感はなかなかに心地よく、アラフォーにして初めてというくらい、本質的に自己肯定できる。

変わらない部分もある。それに対する凹みに似た感情もある。だが、凹むことが自己肯定したいがための自己陶酔や、過ぎ去ったことへの湿度ではなく、潔さと反省がバランスよく配合されて処されていくので、ストレスになりにくい。

この変化が自己の成長か傲慢かは客観視出来ないが、いつも真剣対峙してきた時間の蓄積がもたらしてくれた、肥沃な俺の土壌であると、これまた自己肯定できている。

話が抽象的で自己賛美に傾倒するきらいがあるが、38年間、苦悩しながら卑下しながら、自尊心を持てずにきたのだから、やっと踏み出せた新しいステージを謳歌したいと思っている。

俺は昔から妬みは感じないほうであったが、羨望や憧憬はミーハーに感じた。そして感じた対象である人に、少しでも近づきたいと、帰依する信者のように自己鍛錬しては近づいた。近づいてみたら、失望する人や、あいも変わらず距離を縮められない人や、色んな幻滅とレベルアップした敬意を更新してきた。

すっかり大人になってわかることは、キャパが10代と同じまま、それでいて分不相応な妬みや不満だけを変わらず宿した人が多いことだ。

持って生まれた才能はどうしようもない部分がある。大事なことは、自己の才能に気付き、それをマイナーチェンジしながら、自分なりに最大限に発揮して、活かせるだけの精神的ベクトルを心に設置できることだと思う。それが成長だと思う。

「負けず嫌いのキャパ無し」、「裏づけない自信家」、「競争心と妬みをパワーにしながらも、それがストレスになって自己総括できない人」、「葛藤が自己ではなく他者比較に向けられている人」、「哲学的思考がないのに哲学的であろうとする人」、「自己肯定のハードルがないまま飛び越えた気になっている人」、「優劣を外的名札にしか見出せない人」、「青春の虚像で人生を見続ける人」、「のたうち回る苦悩を直視出来ずに苦悩し続ける人」、「消化出来ない言葉を大便してアウトプットする人」、「ダメな基準のラインを引く素地がない人」、「自己アピールしたい感情が理論武装する人、そしてその理論が、悲しいかな、離論の人」、「ヒステリック・グラマーな人」、「ミステリック・プランナーな人」、「装飾が錆びていることに気付かない人」、「無知の知を知らない人」、「上から目線が下に向いていないことに気付かない人」、「アレルギーが自己防御の潔癖ゆえで、その実、アレルゲンの人」、「浅薄なことを船舶振興する人」、「奇抜と個性の区別がつかない人」、「反論出来ないのに論半する人」、「半径5メートルを世界と思う人」、「直径を行き来出来ずに円周を見る人」、「下底がないのに台形気取る人」、「身の回りのコミュニティーが全てと思う人」、「コミュニティーに属することも出来ずに裁く人」、「新陳代謝の悪い人」、「内臓が悪い蔵の管理人」、「イマジネーションに乏しい暇人」、「ロックを先人に投影するだけで酔えるイマ人」、「忙しい教の信者」・・・・。

一気に羅列した。まだまだあるが・・・。

こんな奴になりたくないと思いながら、日々を処している。

アライブ、荒いブログ・・・、ライブで禮舞! ライブ告知だ。

2009年10月28日水曜日

りょうしつ

「小学館『小学5年生』『小学6年生』休刊!」のニュースは、個人的に考えさせられるものがあった。

個人的に、あれほど魅力ある学習雑誌(子供心に「学習雑誌」という教材めいた認識はなかったが)はなかった。紐でしばられてパンパンの雑誌を家に持ち込んで、1つ1つ紐解いては解体し、際限なくありそうな楽しみを味わい尽くしていく時間は至福の時であったと思う。

毎月買ってもらえたわけではなかっただけに、余計に買ってもらえる時が嬉しかった。同じような喜びを得た学習雑誌(学習教材?)に「学習」「科学」があったが、こちらも「学習」が季刊になっていると思う。

今の時代があの付録のボリュームを求めていないのかもしれない。今の時代は、「量」より「質」への転換期だと思う。大きなものより小さなものへ、厚いものより薄いものへ、重いものより軽いものへ・・・、ボリュームは時代に合わないのだと思う。

個人的な価値観だが、子供時代は「質より量」への欲求を満たして、大人になってから「量より質」への欲求を持つことが、発育過程の生理的現象とリンクした正常な過程だと思う。

なぜなら、子供から大人にかけては肉体的にボリュームアップする時期であり、ごはんも量を食べ、衣類もすぐに消耗するので量を必要とするからだ。

幼少時は、生理的な「量」の必要性にリンクして、精神的な部分でも「量」を欲するのが正常だと思う。

昔、お年玉を札でもらった俺は、小遣い不足に悩む親父の策略にまんまとのせられて、千円札を硬貨詰め合わせの500円分と交換したことがある。それでも、一枚が何十枚にも化けて幸せに満ちていた記憶がある。貨幣価値としての「質」よりも、俺は「量」を欲していた。そして俺は当時の俺の発想を自己肯定している。

遊びでも「質より量」を求めた。べったん、ビー玉、牛乳キャップ、・・・なんでも量を欲した。

「量」に魅了されていく過程で、少しずつ「質」にも意識がいく素地が作られていったのだと思う。

例えば、数多くの牛乳キャップを、「ッパ!」と呼気でひっくり返しては、人から巻き上げていく遊びの過程で、普段目にしない牛乳キャップを手に入れたとき、それは、数だけを求めていた子供心に、少しレア物、「質」に対する認識が芽生えた瞬間でもあった。

このように、幼少時に「量」を求める過程で、「質」に対する意識の萌芽があり、それが成熟して、眼力優れた大人になっていく過程が、実に正常であるような気がするのだ。

ところが、今の子供の遊びや学習を見てみると、「量」を求めるより、「質」を求める環境、傾向にあると思う。

例えば、今の子供にとっての遊びの代表であるゲームであるが、レベルアップを目標に競うものがほとんどである。

また学習においても、無駄な過程を排して、効率よく点数を取るテクニック教授満載の塾がもてはやされる。「思考力を育てる!」を標榜し、学習カリキュラムを用意している塾、教材屋にかぎって、そのほとんどを、飽くなき効率性と「質」の追求の果ての蜜を垂れ流したものだ。

無駄に思える作業をしたりしながら、自分なりの学習方法、問題解決方法を構築していく過程を与えられずに、「~式学習法」といったキャッチコピーの秀逸性が、お受験キッズの心を捉える時代では、キッズの興味も「量」より「質」に向かざるを得ないであろう。

「量」と「質」・・・、相対するこの2つは、1つをしっかり体感し、時期相応の豊穣感を得て(豊穣感を得られない家庭環境などに起因するコンプレックスも、憧憬や価値観を「量」に置くという意味で良質の発育過程を提供してくれる)、初めて相対化される。

「量」に対する満たされた感情、追い求めた経験無しに、本当の「質」は相対化されない。

相対的に見る必要が本当にあるのか?といえばそれまでだが、小さな時から「質」だけへの飽くなき欲求を持つこと、それは、先に述べた、「質より量」を求める幼少期の生理的な傾向に逆行することになる。

そしてそれは、正常な過程を経て身につけた、「質」を吟味する眼を曇らせるのではないかと思うのだ。

最近、興味がありいつも頭で考えているのが、この「量と質」というテーマだ。「量より質」、「質より量」と、人の価値観、価値判断の基準としてよく引き合いに出されるが、これを社会学的に考えている。

ジェネレーション・ギャップはいつの時代でもあるが、これは、実は「質と量」に対する価値観の相違から説明できるのではないか?と壮大で無謀に考えている。理路整然と思考しながら、思考の過程に多くの漏れと枝道があって、尽きることない興味を抱いている。

社会学者みたいに上手く説明できないのだけれど、俺は幼少時に「質より量」を求めてきたことを幸せな環境だったと思う。そして、眼のセンスはまだまだだけれども、俺基準の正常な過程を経て、「量より質」を求める俺の今のベクトルは間違っていないと信じている。

しっかりした過程があって、量→質、良質の大人になってこれた気がしている。アラフォーにして自己肯定出来るのは、手前味噌でも幸せだ。

良質な自己肯定を出来る俺は、「人生38年生」だ。酒を飲みながら記している。休肝はない。酒に関しては質より量を求める壮年だ。 これでりょうしつ???