2010年10月3日日曜日

宿泊研修前夜

今日は午前中びっしりと、消防団の新入団員研修で講義を受けてきた。

昨年10月に消防団に入ったのだが、年に1回しかない研修の2日後の加入で、1年遅れの研修受講。

各種号令に対する動作の指導やら、法令関係、消防団の処遇や権限について講義を受け、修了書をもらって終了。

年々消防団員数が減少してきている現況に関しては、確かに心配になる。
しかもサラリーマン団員の増加で、日中の火災への出動人数が少ないのが問題である。

自警団的要素の強い組織なので、自らの居住区の安全確保という大きな名分を真面目に考え直した次第である。




明日から1週間、千葉方面へ新しい仕事の宿泊研修で家を空ける。

宿泊の研修は過去に2回経験がある。

① 23歳・・・・某ハンバーガーチェーンでの1ヶ月の浦和での研修。
② 29歳・・・・某S急便での1週間の富山での研修


① のハンバーガー屋での研修は楽しかった。最低限の規律と厳しさがあったというものの、
自由時間がしっかりあり、同期の仲間と毎日酒を飲み、トランプ博打をし、お江戸見物も出来た。おまけに毎日昼食は好きなハンバーガーをたらふく食べた。

ところが、俺にとって宿泊研修としてトラウマになっているのが、②の研修である。

S川急便の研修はすごかった。

まず教官にパンチ頭×1、そり込み×1、経済ヤクザ風味×1がいて、入所した瞬間から、俺は視覚的に硬直した。

内容は凄まじかった。何が凄まじいかといえば、発声が全てマックスボリュームであることだ。

「おはよう・・・」「ありがとう・・」「いただきます・・・」といった牧歌的な言葉が、全て毛筆書道体のフォント最大のニュアンスで発声させられる。「押忍!」と言う時に発するボリュームと語調が全ての言葉にあてはまる。

簡単に言うと、研修生皆、応援団員的質量の発声を要求されるである。

プライベートな時間はもちろんない。風呂、就寝、全てにおいて厳格で、就寝しているかどうかの見回りもある。

修学旅行でも今から思えば大らかであったな・・・と感慨に耽りたくなるような、ゴシックど迫力の就寝見回りが、この研修ではなされていた。

万が一就寝時間を過ぎて声が出ていると、罵声懲罰の対象となる。パンチ教官に至近距離で威圧懲罰されるのだ。被かつあげ時の恐怖に近い。

全てがグループ行動だ。初日に班を編成され、以後は全て班単位で行動する。

食事前には、班ごとに配膳を最短で分担して行い、テーブルに食べる準備が整うと、班長が教官に報告に行く。

「報告します! ~班、ただ今配膳終了いたしました!!」

すると教官がにやにやして、「は?? 聞こえんな~~~」といった表情をする。実にヤ~~~さん的な雰囲気で示すその表情は、「発声やり直し!」の合図である。

やり直しを経てやっと食事にありつける。量はありえないくらい多い。食器の音をたてたり、くちゃくちゃ音を出したりすることは許されない。まして残すことは許されない。班単位で食べられない奴の分があれば、誰かが食べて、とにかく食器を空にしなければならない。

「最後の晩餐」でも、もう少し穏やかな光景であったと思う。

食べ終わったら「下膳(げぜん)」の報告が同じようにある。

この「下膳」という言葉、俺は「下げ膳」は知っていたのだが初めて聞いた言葉であったのだが、とにかく機敏に食器をまとめて報告しなければならない。

風呂時間も分刻みであり、明らかにムショ生活をより体力重視にしたかのような研修であった。

常に大声を出す為に、帰る時にはみな声がつぶれている。

俺の声質に元々備わっていた数少ないスイート部分は、この研修で確実に失われた気がする。

朝起きてから集合までの時間が1分でも遅れると、人間ぎりぎりの罵声で懲罰を告げられる。元来、枕が変わると寝られない俺はこの1週間、人生で1番寝ていなかった。布団のたたみ方をはじめ、部屋が散らかっているかも抜き打ち検査され、乱れた部屋の研修生はまたまた連帯責任で懲罰を受ける。

睡眠不足の中で、運転研修や肉体的研修はまだいいものの、講義になると眠たさがマックスである。おまけに教官はテキストの漢字読み間違えが多いので、苦笑したくなる瞬間もある。

ところが、不穏な表情や、こくりこくりとするなんて動作が許されるわけはない。しょっちゅうメンチみたいな視線が突き刺さる。

朝の早くから夜の遅くまで1週間、常に極度の緊張下に置かれる研修であり、少しでも油断してだらけようものならば、罵声を浴びせられて、心的暴力をくらう。

研修初日に普段の地が出たのであろう、教官からの問いに、「あん?」と返事した若い研修生がいた。

凄まじいまでの個人攻撃を食らい、そいつは個室に呼ばれてしばらく戻ってこなかった。戻ってきた後は、そのグループ全員が連帯責任を負わされていた。

厳しい1週間を過ごして、やっとシャバに戻れる希望が見えた最終日、この世であの時ほどわかりやすい希望を感じた時はなかった。糞をゆっくり出来る幸せ、ナチュラルトーンで会話できる幸せ、自分のペースで食事を楽しむ幸せ、日常の何気ない全てが幸せに思えた。

最終日は仕組まれた感動に包まれていた。

あれほど怖かった教官が1人1人を個室に呼び、握手を求めてきては、聞いたことないような穏やかなトーンで問いかける。

「目を閉じてみろ。 どや? 研修しんどかったやろ? よく頑張ったな。これから頼むぞ。」

ここで研修生はいちころである。

苦しかった1週間の緊張が、鬼教官の優しい言葉で一気に緩む。そしてそれは涙を誘発する。

全研修生が泣いたという。もちろん俺も泣いた。

「パンチとそり込みと経済ヤクザ様、そしてS川急便様、あなた方の為なら命を捧げます!」といった心情になった(帰り道のコンビニでマインドコントロールからさめたが・・・)。

俺の研修時はまだこれでもましだったみたいだ。S川急便の先輩に聞くと、「俺の時は研修室に竹刀があって、しょっちゅう床を教官がどついてた。」やら、「22時頃に連帯責任でグランドを20週させられた。」やら、「教官の腕から墨が見えた」という話があった。

どこまでほんとかわからないが、竹刀があったのは間違いないと思える研修内容だった。

俺達は竹刀で打たれるほうが楽だと思えるくらい、顔面真近で「は~~、聞こえんな~」と発声にダメ出しされたのだから・・・。堅気な威圧感ではない恐ろしさが教官にはあった。

今となっては懐かしく思える瞬間もあるが、やはりトラウマはトラウマである。

俺はこの研修を23人中1番の成績で終了し、最後に決意なるものを代表者として発表させられたのだが、既に声は出ず、電波の悪い異国のラジオ放送を大音量で聴いているかのような表明であったと思う。内容も、見事にマインドコントロールされた信者のお手本のような、妙に熱くて偏狭に近いものであったと思う。



40歳目前にして、明日から人生3回目の宿泊研修である。

今回の研修は、保険代理店研修生を対象としたものであり、さすがにS川急便さんのようなガテンな威圧感はないであろうが、外出時間は夜の1時間であり、近隣にはコンビニしかない環境らしく、それなりにストレスも感じるであろう。

ただ、上記の地獄研修を経験した俺には、楽勝である。こちらも1番の成績で必ず修了したいと思う。

同じ釜飯の同期の絆というものも味わえるであろうし、こんな機会をこの年齢で体験できるのは、なかなか贅沢な環境というものであろう。

前向きに受講してきたいと思う。

息子としばらく離れるし、それなりに旅立ち前夜にうるうるくる部分もあるが、たかが1週間、しかもインテリジェンスよりの研修内容、何も怖くない。

おまけに明日は久々に飛行機に乗れる。窓側をしっかりキープした。

研修後にゆっくりお江戸滞在でも??? と思ったが、金曜日の夕方にはこちらの支社に戻るので、それは叶わなかった。

仕方ない、仕事の研修として行くのだから・・・、お江戸滞在は日を改めて、くつろいだ気分で気の置けない友と語りたいものである。

「心配はない! パンチもそり込みも経済ヤクザもいない!」と心には言い聞かせてみるものの、スキンヘッドに顔面近づけられて、「自分いくつや?」と小声で聞かれる夢を見た。

旅立ち前夜に少しちびちびしている俺である。

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