明日、富山市「アーチスト」にて、「ほうるもん」ライブがある。
その後も2つ決まっていた。結成3年経って、バンド内の音的疎通と世界観がしっかり構築してきていた。
未来の文章に過去形が入る。
現在形で述べる。
明日のライブを持って、ドラムの御仁が脱退する。復帰予定はない。
彼のプライバシーに配慮して詳細は省くが、彼がバンドやあらゆるものを捨てて踏み出す新しい世界への共感を抱いていて、不思議と穏かに現メンバーでのラストライブ前夜を過ごしている。
Last という言葉とスペルは興味深い。
形容詞としての last は、「最後の」という意味合いであるが、動詞としては、「続く」という意味がある。
矛盾する2つを抱えて、今後形容し難い動きがあるかと思っている。
色んなバンドがある。色んなユニットがある
個人的な感覚だが、バンドは誰1人抜けても形骸化する。メンバーの増員は付加すべき力強さを宿せるが、同一メンバーだけによる音魂というものが確実に存在すると思う。
そういう意味で、誰かメンバーが抜けた時点で、そのバンドは息絶えると思っている。
メンバーが変わっても息吹があるのはユニットだ。
そうなると選択肢は解散か、メンバー復帰を待っての休止か、のどちらかになる。
「チープハンズ」に続き、「ほうるもん」は無期限休止のつもりだった。
だが、少し違ったビジョンも宿すようになっている。
「ほうるもん」はバンド名である。結成当時に頭を右左シャッフルして、掴み取った屋号であった。
だが、屋号が起動し始めて軌道を形成した頃から、それは単なる冠を超えて、個人的には目指す音魂のシンボル、コンセプト、うまい適語が見つからないが、内臓を抉り取ったような息吹として存在していた気がする。
垢抜けていない、それに垢抜ける必要もない、その垢が蓄積されて強靭な厚みを帯びて、垢の金太郎飴のような存在感を増した今、「ほうるもん」を剥がす必要はないように思えてきた。
「ほうるもん」は継続する。
現在のドラムの御仁でしか出せないドタバタな屋台骨がある。屋台骨を失って息絶える曲もある。
だが、「ほうるもん」は動詞として続く。いや、続ける。チャルメラは音色を変えながらもしっかりと内臓を宿してビートを奏でていくだろう。
色んなことにセンチメンタルでロマンチストな俺だが、なぜか高い温度でありながら、粛々と思いを保てる今の俺がいて、驚いている。
ドラムの御仁は一旦離脱する舵を切った。
残った俺は、彼の離脱理由を祝福し、色んな思いを抱えながら、彼の帰ってくる場所を残してあげたいと思いながらも、残したくないと思いながらも、凹凸を泥臭い感情で包みながら、突っ張った無機質に、それを開く風穴に、期待と失望とをガンボして、今日という日に抱いた妙に穏かな感情を肯定しながらロールする。
Last live Live last
語順はいずれ整うだろう。 然るべき位置に落ち着くだろう。
「live」も動詞と形容詞で意味深だ。
少なくとも 「rust 」ではない。それほどの年輪的深みはまだ持っていない。
ラスト⇔ライブ ※アライブ
2 件のコメント:
なんと!びっくりです!
でも、ずっと同じでは居られないものですからね。(『かもめ食堂』より(笑))
今夜のライヴ、楽しみにしています。
>Takabo様
めっちゃ、かもめな気分ですわ(笑)
ライブご来場、いつもありがとうございます。
お誕生日前夜の忙しい時にありがとう(笑)
いろいろございますが、第2章へと突入いたしますよってに、今後ともよろぴく!
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