2010年10月9日土曜日

研修後記

研修を終え、昨日帰ってきた。

前ブログで触れたような恐怖とは対極の、実に充実した内容の研修であった。

さすが売上業界ナンバーワンの会社だけあって、研修施設はちょっとしたリゾートホテル並みであった。

全員個室(ツインルーム形式中心)が与えられ、研修も9時から18時まで、後は自由というタイムスケジュールであり、最低限のルールだけが求められる大人の集団を前提としたものであった。

トレーナーの方々の姿勢は、このご時世に損保業界での独立を目指す稀有な人たち、それぞれが背負い込んだものや気概に対しての充分な敬意や配慮を伴ったものであり、参加させていただく立場の俺は、すごくそれに感謝の念を抱いた。

研修内容に、業界や会社への洗脳や、威圧的な態度はまったく感じられなかった。人間味溢れるインテリジェンスだけを感じて、俺はこの業界が好きになった。

厳しいのは間違いなく厳しいのであり、それを承知で飛び込んだ俺は、とにかく研修内容を吸収するために勤勉に励んだ。

同期の同じ立場の方々と色々同じ心境を語る機会も貴重であった。

使命と責任は感じるが、基本的に不安中心の俺に対して、皆さま、よくもまあ自信に満ちておられて、羨ましいというか、刺激であった。

生保業界、自動車ディーラー系、銀行系等出身の方々がほとんどであり、損保取り扱いへのノウハウや経験がない人間は俺以外にいるの???というくらい少数であった。

面白い発見があった。

お互い立場は同じといえども、初対面の初日、談笑の場をしきっているのは、こてこての関西人であった。

よくもまあ言葉が連続して出るものだと思うくらい、人の心に土足で踏み込んでくる。

イントネーションは地方都市のフォーマルではない。

俺自身は当たり前に体験して、当たり前に体現していた世界であり、懐かしくて心地よく、また頼もしくもあったのだが、人によっては、強烈レベルを超えて、入り込めない結界を感じてしまうのでは?と思う俺がいて、それが新鮮だった。

大学に入った18歳の時、初対面の同級生が、「強烈! こてこての関西人」と俺を評していたのを思い出し、場合によっては、強烈な土足厳禁の方々に上履きで踏み込んでいたのではないかと、冷や汗ものの反省をした。

土着のカルチャーは離れてみてわかるものである。

そういう意味でいえば、息子の生誕地富山に根ざしてきている自分に嬉しさも感じた。

とはいったものの、自己紹介で「富山から来ました」と言ったにも関わらず、「言葉関西ですよね?」と周囲から多々突っ込みが入った。その辺の自覚はないが、明らかに関西人のイントネーションを客観的に感じられるようになってきた自分が、カミユの気分をアンニュイに宿しながらも学者的で実に楽しい。

関西人として25年、富山人として14年を過ごした俺が、我が出目を客観的に振りかえる機会にもなった。

だいたい研修とか、初対面の人が集う場では、会話の中心に君臨することを使命(迷惑に感じる人もいたであろうし、望まれた立場であったわけでもなかろうが・・・)に感じていて、実際に君臨していた(これまた強烈な佇まいであったが・・・)俺であったが、今回はばりばり影の薄い存在であった。

自己主張もせず、かといって場を乱すわけでもなく、淡々と交流し、淡々と自分のやるべきことをこなした。

夜はちゃんと勉強した。もちろん、誰よりもビールを買い込んでの飲酒勉強ではあったが、人生で1番勉強したと間違いなく言える。

19時くらいから、間に喫煙、入浴を挟んだとはいうものの、座学が苦手な俺が4時間は机に向かった。これは自らを褒めてよいと思う。新境地だ。やれば出来る男である。

「保険」の世界、学べば学ぶほど面白くなってきた。フリークになりそうな気配である。

生保のおばちゃんが、強烈なバイタリティーで活躍してきたおかげや、せいでイメージが形作られた「保険」業界であるが、この業界は、本当のコンサルティングが出来るプロがまだまだ成長していない、緩い業界だとも感じた。

難解で落とし穴の多い保険、基本的にあらゆるケースへのリスク対応は後付で発展してくるものだと思うので、現業プロ代理店を標榜している人でも、変わり行く現状や商品変化にまでついていけていないのが現状だと思う。

単純な俺、ツボに入ると学習意欲が涌く俺は、本当の意味でのコンサルティングが出来るプロになろうと思った。そして、プロになる過程で、わからないところをしっかり補い続ける勤勉性を持とうと思った。

一応、勉強の仕方に関して、経歴的にもキャリア者である。勤勉性も人一倍ある。

問題になる未熟な俺の性格は、「噛み付く姿勢」である。

噛み付く先が業界に向かないためにも、相互扶助に根ざした保険の発生由来と、ある意味国の銀行的な役目である金融事業としての性質を鑑みて、保険成り立ちの背景からしっかりと学習した。

サラリーマンのように同僚はいない。ある意味孤児一匹狼である。

塾を同僚と立ち上げた時は、一匹での意思決定を全てしていたわけではない。だが今回は、会社の商品力と社会的認知度は借りるが、実質自営業者である。人生で初めて自己言い訳が出来ない環境に身を置いた。

養う者がいる。大きな使命と責任がある。そして大きなモチベーションを運んでくれる存在だ。

今の俺の環境に、なんだかうっとりする。

ずっとうっとりしていたい。だからやる。根本姿勢と哲学はもはや変わらない。根本姿勢と哲学はむちゃくちゃ商いには向かないのかもしれないが、とにかくやる!!

20代後半までの俺は、退廃的な思想に惹かれ、破滅願望を宿した青二歳であった。

それがいまや、保険でリスクへの備えを真剣に考え、守るべきものを守ろうとしている。その上でかっこいい音楽を作りたいという衝動にだけ忠実である。

ニール・ヤングの「キーポン・ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド」という曲における「フリー」という言葉、今なら俺は平成の時代に正しく脳内変換をして、適切な脳内訳語を用意できる気がしている。

ノルマの世界がある。だが、ノルマはやらされる数値だ。俺は自分の使命のために数値に立ち向かう。散ったら散った時、地表で考えたらいい。今の時点では散らない万年桜を描いている。

研修を終えて、今までの俺の過去を検収する機会を持った。

今後、検収した自分を検察レベルにまで高め、「頭脳検察」(注:ズー&ケンからなる音楽団。巷を騒がしているM田検事がなりたくてなれなかった世界の脳内実現者。江戸在住のかっこいいアコ検察ユニット。「頭脳検察」の2人が発する言霊と音霊を俺は賢察した。)する域にまで達し、職務を全うしたい。

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