2010年1月2日土曜日

頌春

賀正で謹賀で迎春でおめでたいのである。明けました。

「頌春(しょうしゅん)」、この漢字が長年読めないでいたのに、気になりつつも無視していた。形式ばっていって、嫌いな雰囲気を字面から感じていて嫌いだったが、今年初めて読み方を知った。

浅薄な己には慣れた俺であるが、知識を得るのは嬉しいものである。

息子と迎える初正月、溺愛、甘やかし軍団の爺婆と嫁とは違い、俺はワイルドに子育てをしている。

息子を風呂に入れる時、爺が入れる時は、しっかりかけ湯をして体温をお湯に慣らさせてから入れるのであるが、俺は、いきなりジャブっと湯浴みに処す。

湯船の中で俺の太ももから珍子を蹴りまくり、ささやかな抵抗を見せる息子ではあるが、風呂場では俺に涙を見せず、風呂上りに嫁と爺婆が待っている居間で泣きじゃくるのが常であった。

俺の前では、平気なふりをする息子であったが、俺に似て風呂は嫌いであるのは俺も知っていた。特に熱いお湯が嫌いである。

息子を風呂に入れる時、いつも俺が先に身体を洗って、湯船に入り、ぞうさんの温度計で40度弱になった時に嫁を呼び、裸にされた息子が運ばれてくる。そして後はなされるがままの息子がいて、ささやかな抵抗は示すが、それは屁のつっぱり以下のものであり、10分以内に全身をくまなく洗われ、いっちょ上がりの状態で居間に運ばれていくのが常であった。

ところが、今日の息子には男を感じた。

いつも通り、「いいよ~~」の俺の掛け声で、嫁がストリップした息子の脇を抱え、風呂場に連れてくる。

俺が息子の脇を持ち直し、吊るし上げた状態で湯船に足だけ入れようとする。いつもの流れだ。

今日の息子は違った。俺が抱き抱えた瞬間から、マンガみたいに足をバタバタさせる。アニメなら何コマ描かなければならないのであろうか、ものすごい高速である。

湯船につける前に、彼は明らかな抵抗を示しているのである。裸にされて、俺に吊るし上げられた動作が何を意味するか、短いながらの彼の体験で学んだのであろう。

笑えるくらいすごい速さでバタバタするので、俺はあっけにとられながら、微笑みながらも、彼の足をじゃぶんと湯に浸けた。

固まった息子は俺と目を合わさない。その割には抵抗しない。3分ほど湯に浸かって上がりしなに俺の珍子を思いっきり蹴ったのが彼の唯一の抵抗だった。

風呂上り、息子は今までで1番でかい声で泣いた。泣きまくっておっぱい飲んですぐ寝た、

酒量がマックスの俺は、酒臭い息で、彼の耳元で、「ね~んね~んころ~ろ~よ~」と、古典的な歌を野太い声で歌った。

息子はグーの拳をさらに握り締めた。俺はパーで包んだ。

小さくてさささやかで、何気ない正月である。頌春である。

何気ない正月はバタバタと過ぎていく。なかなか良いものだ。

今年もよろしく。笑春

2009年12月31日木曜日

今年もありがとうございました

2009年が終わる。

人それぞれ区切りをつける契機や尺度はあるのだろうが、最もわかりやすくてスリコミの域にまであるであろう、区切りの大晦日である。

今年もたくさんの人にお世話になった。

お世話になった方というのは、今年1年多く関わったかどうかだけでなく、今年1年1回も関わらなかった方々も含まれている。

対面の関わりであれ、ネット上での関わりであれ、1度も両者での関わりが今年はなかったとしても、俺の心にずっとあって、ずっと支えになってくれている方々の集合体の上に、レベルアップした俺の大晦日がある。

「謝」は「言(ごんべん)」があるので、本来、言葉にしなくてはいけないのだろうが、「謝」を的確に完全に言葉に出来る言語能力がある人は存在しないと思う。だから、月並みな言葉(「ありがとうございます」)が暫定的に重宝される。

もちろん、思いを細分化して、1つずつ言語に置き換えていったら、少しは具現化出来ることがあるのかもしれないが、最も核心の思いは行間に横たわるだけである。

言葉の限界を感じて、失語に陥って、それでも何とか形にしようとして出来なくて、考え抜いた挙句、言霊に救いを見出して、言霊が宿るように思いに自己対峙して、洞ヶ峠で日和見して単語に逃げて・・・。

言葉に向き合えば向き合うほど・・・・ 深く向き合うだけの素地が自分にないことに気づいて、嘆いて、開き直って、しかしその時々で零れ落ちる言葉に出会って、舞い上がって、有頂天になってはまた滑り落ちて、言葉の限界を感じて・・・・・・。

そんな時、息子の喃語(「なんご」:赤ちゃんが話す「ア~ア~」とかいう言葉)を聞いて、救われた。

喃語は音としては、大人が認知している単語にはならず、擬音語に過ぎないのであるが、その音の清さと同時に的確さを感じた。

単語の素晴らしさ、字面から感じる素晴らしさというものはある。例えば、「爽快」という言葉なんかは、単語全体がクーリッシュである。

言語的な知識は後天的に身につけて、それを味わう素地は備わったのだけれども、息子が発する言葉の音・・・、かなわないと思った。

それは紛れもなく言語であるのだが、誰もが新生児の時に発して以来、いつのまにか不可逆的に失われていった言語のむき出しの音であった。言霊はいた。

言葉を音として味わうことに、少し敏感になった今年であった。

来年は音として純度の高い言葉を1つでも多く宿していきたいと思った。そのために精神レベルの純度を今一度取り戻したいと思っている。

先ほどから猛烈な勢いで雪が降り積もっている。元日の朝は雪かきから始まることになるだろう。たまらなく美しい年の瀬である。

今年も良い年だった。来年も良い年だろう。

みなさま今年も、ア~ルィ~~~グァ~~~トォゥ~~~~~ギョ~ジャ~ィ~マ~スイ~トゥァ~~~~~~!

何だか美しくないが、ありがとうございました。

2009年12月6日日曜日

雪隠

3週連続土曜日「ほうるもん」ライブを昨夜終えた。なかなか贅沢な週末を3週続けることができて、幸せの極みである。来場頂いた方々に感謝である。

次にどこに向かうかはわからないが、然るべき時に然るべき音が現れて流れていくだろうと楽観している。

師走である。月日の経過が年々早くなるのは、今になって驚くことでもないが、それにしても早い。充実した日々がもたらしてくれる時間のマジックであると前向きに捉えている。

いつもトイレに入りながら、色々と考えごとをするのだが、最近はトイレの別称、呼称について考えている時間が多かった。多いと言っても、俺の場合、入って出るまでに2分くらいであるから、物理的時間が多いわけではないが・・・。

トイレの呼称はいっぱいある。「トイレ」、「お手洗い」、「化粧室」、「WC」、「LAVATORY」・・・。

俺の好きな呼称は、「厠」、「手水」、「雪隠」である。「はばかり」という呼称も好い。

中でも「雪隠(せっちん)」という言葉は、知った時以来、実に粋でお気に入りである。俺は小学生の時、将棋の本を読んでいて「雪隠詰め」という言葉に出会ったことからこの言葉を知った記憶がある。

小学生の時に、俺は九州のおばあちゃんところに行き、雪景色の中、近くの温泉場に行ったことがあった。ぽかぽかになって帰る道すがら、俺は強烈な便意を催して、帰りきるまで耐えられることが不可能であることを瞬時に悟った。

大分県の糞田舎の道すがらである。辺り一面雪景色であり、見渡しは抜群であるが、人通りもなく、車も今ほどなかった時代である。俺はすぐに木の陰で野糞した。

湯気を立てながら俺の雲古がダウントゥーアース。熱で周囲の雪が削り取られていくのが面白かった。

すきっとして湯冷めを恐れぬ無邪気な俺は、降りしきる雪の中、雪だるまを作ったりして遊んでいた。

そんなに時間は経っていなかったと思うのだが、俺が雲古をした場所はすぐに雪が覆いかぶさっていて、完璧な野糞証拠隠滅が完成した。

「雪隠」という言葉の語源は、上記のような野糞体験をした俺としては、文字通り、「雲古を雪が隠してくれる」のであり、冬における野糞場としての野原を、「トイレ」に見立てたものであると思っていた。地球のフィールド全体をトイレに見立てたスケール感を抱いて、すごく好きな言葉であった。

ところが、後に「雪隠」の語源が、ある僧侶か誰か有名人に由来したものであると、何かで知って、興ざめしたことがある。

閑話休題

息子が便秘になっていた。4日間出ておらず、腹をすりすり、綿棒ツンツンしているのだが、いきむ様子も見られない。心配になっていたが、無事にぶりっと投下してくれた。おむつからはみ出さんばかりの量で、1度出て道がついたのか、短時間に数回投下してくれた。

赤子の雲古を受け止めるおむつであるが、あれは白と決まっている。豹柄やセクシーランジェリーみたいなおむつは見たことがない。

白は雪のイメージだ。雪が赤子の雲古を隠してくれる・・・・。何て素敵なメタファー!!!。
俺は「雪隠」はおむつから来た語源ではないか?? いや、そうに違いない!と思った。

気になって「雪隠」の語源をネットで改めて調べてみた。http://www.ymorimoto.com/haisetsu/settin.html

諸説あるようだが、「雪隠寺の和尚さんがトイレで悟りをひらいたことから・・。」という由来が、なかなか素敵だと思った。

師匠さんも走りまわるという師走である。俺も雪隠寺の和尚さんのように、残り少ない本年を走り回りながらも、色々悟りたいものである。

雪隠にて言葉を巡る楽しい時間を過ごしていた師走である。
拙朕を見つめながら・・。洩沈

2009年11月19日木曜日

live

「ほうるもん」ライブ告知。

11月21日(土) 高岡市 「NAVI」にて 19:40開場 20:00時開演。
少し押して20:10頃登場予定。 チケット1000円 自販機あり。
※ 初ハコはいつも楽しい。

11月28日(土) 南砺市福野町 「さむでい」にて 18時開場 19:30頃?開演。20:00頃登場予定。チャージ500円。
※ スタート地点がこのハコ。大好きなハコ。襟を正されるハコ。

12月5日(土) 富山市 「Artist‘s」にて 18時開演  19:40頃登場予定(5バンド中3番目) チケット1000円(ワンドリンク付き)
※ 3回目のハコ。ファンキーマスターといかがわしくランデブーなハコ。

上記のように3週連続ライブだ。恵まれていて嬉しい。

我が子に捧げた曲と青春を総括した曲、2曲の新曲をライブを通して発酵させるつもりでいる。

閑話休題

営業職に復帰して半年ちょい。このご時世にも関わらず、会社全体は悪くとも俺だけは昨年対比増で順調に推移している。感覚も戻り、誰よりも早く、誰よりも正確に、誰よりも誠実に仕事が出来ている気はする。

嫌味な自己評価だが、事実は嫌味ではない。数字としての実績裏づけもあるので客観的でもあると思う。

10年前の営業時代と同じ会社だから余計に比較しやすいのだが、自分の中で着実に成長してきていると思える部分と、変わらない部分を巨視的に見ることができている気がする。

成長した部分、それは、キャパアップだ。昔ならバタバタになってあたふたしていた事例と同じようなケースでも、あっという間に精神的気負いもなく処理できる。ストレスもない。この実感はなかなかに心地よく、アラフォーにして初めてというくらい、本質的に自己肯定できる。

変わらない部分もある。それに対する凹みに似た感情もある。だが、凹むことが自己肯定したいがための自己陶酔や、過ぎ去ったことへの湿度ではなく、潔さと反省がバランスよく配合されて処されていくので、ストレスになりにくい。

この変化が自己の成長か傲慢かは客観視出来ないが、いつも真剣対峙してきた時間の蓄積がもたらしてくれた、肥沃な俺の土壌であると、これまた自己肯定できている。

話が抽象的で自己賛美に傾倒するきらいがあるが、38年間、苦悩しながら卑下しながら、自尊心を持てずにきたのだから、やっと踏み出せた新しいステージを謳歌したいと思っている。

俺は昔から妬みは感じないほうであったが、羨望や憧憬はミーハーに感じた。そして感じた対象である人に、少しでも近づきたいと、帰依する信者のように自己鍛錬しては近づいた。近づいてみたら、失望する人や、あいも変わらず距離を縮められない人や、色んな幻滅とレベルアップした敬意を更新してきた。

すっかり大人になってわかることは、キャパが10代と同じまま、それでいて分不相応な妬みや不満だけを変わらず宿した人が多いことだ。

持って生まれた才能はどうしようもない部分がある。大事なことは、自己の才能に気付き、それをマイナーチェンジしながら、自分なりに最大限に発揮して、活かせるだけの精神的ベクトルを心に設置できることだと思う。それが成長だと思う。

「負けず嫌いのキャパ無し」、「裏づけない自信家」、「競争心と妬みをパワーにしながらも、それがストレスになって自己総括できない人」、「葛藤が自己ではなく他者比較に向けられている人」、「哲学的思考がないのに哲学的であろうとする人」、「自己肯定のハードルがないまま飛び越えた気になっている人」、「優劣を外的名札にしか見出せない人」、「青春の虚像で人生を見続ける人」、「のたうち回る苦悩を直視出来ずに苦悩し続ける人」、「消化出来ない言葉を大便してアウトプットする人」、「ダメな基準のラインを引く素地がない人」、「自己アピールしたい感情が理論武装する人、そしてその理論が、悲しいかな、離論の人」、「ヒステリック・グラマーな人」、「ミステリック・プランナーな人」、「装飾が錆びていることに気付かない人」、「無知の知を知らない人」、「上から目線が下に向いていないことに気付かない人」、「アレルギーが自己防御の潔癖ゆえで、その実、アレルゲンの人」、「浅薄なことを船舶振興する人」、「奇抜と個性の区別がつかない人」、「反論出来ないのに論半する人」、「半径5メートルを世界と思う人」、「直径を行き来出来ずに円周を見る人」、「下底がないのに台形気取る人」、「身の回りのコミュニティーが全てと思う人」、「コミュニティーに属することも出来ずに裁く人」、「新陳代謝の悪い人」、「内臓が悪い蔵の管理人」、「イマジネーションに乏しい暇人」、「ロックを先人に投影するだけで酔えるイマ人」、「忙しい教の信者」・・・・。

一気に羅列した。まだまだあるが・・・。

こんな奴になりたくないと思いながら、日々を処している。

アライブ、荒いブログ・・・、ライブで禮舞! ライブ告知だ。

2009年10月28日水曜日

りょうしつ

「小学館『小学5年生』『小学6年生』休刊!」のニュースは、個人的に考えさせられるものがあった。

個人的に、あれほど魅力ある学習雑誌(子供心に「学習雑誌」という教材めいた認識はなかったが)はなかった。紐でしばられてパンパンの雑誌を家に持ち込んで、1つ1つ紐解いては解体し、際限なくありそうな楽しみを味わい尽くしていく時間は至福の時であったと思う。

毎月買ってもらえたわけではなかっただけに、余計に買ってもらえる時が嬉しかった。同じような喜びを得た学習雑誌(学習教材?)に「学習」「科学」があったが、こちらも「学習」が季刊になっていると思う。

今の時代があの付録のボリュームを求めていないのかもしれない。今の時代は、「量」より「質」への転換期だと思う。大きなものより小さなものへ、厚いものより薄いものへ、重いものより軽いものへ・・・、ボリュームは時代に合わないのだと思う。

個人的な価値観だが、子供時代は「質より量」への欲求を満たして、大人になってから「量より質」への欲求を持つことが、発育過程の生理的現象とリンクした正常な過程だと思う。

なぜなら、子供から大人にかけては肉体的にボリュームアップする時期であり、ごはんも量を食べ、衣類もすぐに消耗するので量を必要とするからだ。

幼少時は、生理的な「量」の必要性にリンクして、精神的な部分でも「量」を欲するのが正常だと思う。

昔、お年玉を札でもらった俺は、小遣い不足に悩む親父の策略にまんまとのせられて、千円札を硬貨詰め合わせの500円分と交換したことがある。それでも、一枚が何十枚にも化けて幸せに満ちていた記憶がある。貨幣価値としての「質」よりも、俺は「量」を欲していた。そして俺は当時の俺の発想を自己肯定している。

遊びでも「質より量」を求めた。べったん、ビー玉、牛乳キャップ、・・・なんでも量を欲した。

「量」に魅了されていく過程で、少しずつ「質」にも意識がいく素地が作られていったのだと思う。

例えば、数多くの牛乳キャップを、「ッパ!」と呼気でひっくり返しては、人から巻き上げていく遊びの過程で、普段目にしない牛乳キャップを手に入れたとき、それは、数だけを求めていた子供心に、少しレア物、「質」に対する認識が芽生えた瞬間でもあった。

このように、幼少時に「量」を求める過程で、「質」に対する意識の萌芽があり、それが成熟して、眼力優れた大人になっていく過程が、実に正常であるような気がするのだ。

ところが、今の子供の遊びや学習を見てみると、「量」を求めるより、「質」を求める環境、傾向にあると思う。

例えば、今の子供にとっての遊びの代表であるゲームであるが、レベルアップを目標に競うものがほとんどである。

また学習においても、無駄な過程を排して、効率よく点数を取るテクニック教授満載の塾がもてはやされる。「思考力を育てる!」を標榜し、学習カリキュラムを用意している塾、教材屋にかぎって、そのほとんどを、飽くなき効率性と「質」の追求の果ての蜜を垂れ流したものだ。

無駄に思える作業をしたりしながら、自分なりの学習方法、問題解決方法を構築していく過程を与えられずに、「~式学習法」といったキャッチコピーの秀逸性が、お受験キッズの心を捉える時代では、キッズの興味も「量」より「質」に向かざるを得ないであろう。

「量」と「質」・・・、相対するこの2つは、1つをしっかり体感し、時期相応の豊穣感を得て(豊穣感を得られない家庭環境などに起因するコンプレックスも、憧憬や価値観を「量」に置くという意味で良質の発育過程を提供してくれる)、初めて相対化される。

「量」に対する満たされた感情、追い求めた経験無しに、本当の「質」は相対化されない。

相対的に見る必要が本当にあるのか?といえばそれまでだが、小さな時から「質」だけへの飽くなき欲求を持つこと、それは、先に述べた、「質より量」を求める幼少期の生理的な傾向に逆行することになる。

そしてそれは、正常な過程を経て身につけた、「質」を吟味する眼を曇らせるのではないかと思うのだ。

最近、興味がありいつも頭で考えているのが、この「量と質」というテーマだ。「量より質」、「質より量」と、人の価値観、価値判断の基準としてよく引き合いに出されるが、これを社会学的に考えている。

ジェネレーション・ギャップはいつの時代でもあるが、これは、実は「質と量」に対する価値観の相違から説明できるのではないか?と壮大で無謀に考えている。理路整然と思考しながら、思考の過程に多くの漏れと枝道があって、尽きることない興味を抱いている。

社会学者みたいに上手く説明できないのだけれど、俺は幼少時に「質より量」を求めてきたことを幸せな環境だったと思う。そして、眼のセンスはまだまだだけれども、俺基準の正常な過程を経て、「量より質」を求める俺の今のベクトルは間違っていないと信じている。

しっかりした過程があって、量→質、良質の大人になってこれた気がしている。アラフォーにして自己肯定出来るのは、手前味噌でも幸せだ。

良質な自己肯定を出来る俺は、「人生38年生」だ。酒を飲みながら記している。休肝はない。酒に関しては質より量を求める壮年だ。 これでりょうしつ???

2009年10月10日土曜日

セクシーな日々

なかなかセクシーな日々を過ごしている。

まずは「ほうるもん」ライブ告知から。

11月21日(土) 高岡市 「NAVI」にて。 3バンド出演予定。前売1000円

12月5日(土) 富山市 「Artist’s」にて。 詳細不明。 前売1000円

今のところ決まっているライブは上記2本。「NAVI」は初ハコであり、わが居住区の超地元でのライブであり、なかなかセクシーだ。

その「ほうるもん」であるが、先月末のライブ後にまたまた新曲に取り掛かり、現在2曲を鉄骨工事している段階であり、なかなかセクシーだ。レコーディングを年内に着手したいと思っている。

バンド以外でも狂おしく充実している。

営業職と塾職のかけもちはいつも通り。わが子が出来てから、人の子に興味がないが、来年の受験終了まではするつもりだ。

野球、ゴルフはしっかりスケジュールを埋めている。

明日はS川急便チームでダブルヘッターで試合だ。間に1試合入るとはいえ、1日2試合は、なかなか挑発的なスケジュールであり、セクシーだ。

来週日曜日はゴルフ。今年は何回コースに出たのだろう?月に2回ペースで回っている気がする。そろそろ100切りを目指したいものだが、とにかく練習に行けない。ぶっつけだらけでは、なかなかスコアが均一化しない。

そのゴルフでだが、先月の接待ゴルフでは、5番アイアンでダフッたら、ミミズが真っ二つに割れて俺の顔面にくっつくハプニングがあった。

ミミズの気持ちになればよくわかる。気持ちよく地表近くで寝ていたら、いきなり上から鉄の塊が落ちてきて、身体を分断されたのだ。「いた!」と言う間もなく分断されたミミズが、その殺戮者の顔面に付着することで伝えたかったメーっセージとはいかに?

セクシーである。セクシーな日々は加速し、俺は消防団員になってしまった。

先月に取引先の社長からうちの社長に連絡があり、「彼(俺)を消防団に誘ってもいいか?」との打診があったそうだ。うちの社長は迷わず了解した。俺は売られたのだ。セクシーである。

消防団の入団式を経て、俺は正式団員と相成った。消防訓練やら夜警やら色々拘束されそうである。

自慢じゃないが、俺は着火が得意だが鎮火と消化は苦手とする性分だ。そんな俺が火消し補助員である・・・。セクシャルダイナマイトだ。

消火活動に興味はないのだが、火消しの生態には興味がある。色んな交流を通して、実況検分しないとわからない世界もある。団員として消火、防災活動に貢献しながら、その自己体験を我が人生に昇華させたい。消火にまつわる自己体験を昇華させて、すぐれた唱歌を作れたら消化良しだ。

他にも色んな活動が日々あり、まことに笑えるほどセクシーな日々を過ごしている。40代を目前にして幸せなことである。

パソパソする時間は減った。それでも開くと種々のメッセージがあるので、極力開くようにはしている。

先日、某コミュニティーサイトで招待状を頂いた。「サンシャイン牧場」なるアプリへのお誘いだ。
俺の敬愛する御仁からの招待であったので、牧場の意味も趣旨もわからず承認みたいなボタンを押した。

未だによくわからないのだが、今日初めてそのアプリなるページに行った。作物をパソ画面上で育てていくRPGみたいな主旨を感じたので、俺も「育ててみるか?」とパソ画面を泳いでいた。たわわに実った作物の絵や、開墾されていない土地と肥沃な土地の絵が画面に並んでいる。「たまごっち」みたいなものか?と、色々クリックしながら奇譚をさまよっていた。

なんかのボタンを押したら、メッセージが流れた。

「~時~分 ~さんがあなたの牧場に害虫を撒きました」やら、「~時~分 ~さんがあなたの畑のかぼちゃを摘みました」みたいなメッセージがある。

まだ収穫前のバージンベジタブルを、成長半ばで摘み取る奴や、害虫を撒く奴は許せない!.俺の畑を荒らす奴は許せない!。しかも荒らした奴も盗んだ奴も知っている奴だ。親しき仲にも仁義あり!だ。

なめられている・・・・、と思った俺はすぐに,報復攻撃に出て、彼らの畑に嫌がらせをした。ふふふ・・・。売られた喧嘩を買うのも仁義であり、セクシーだ。こういう仁義あるかないかわからないコミュニティーは、ユーモアを感じる。俺の友人との戦には愛がある。俺は「サンシャイン牧場」が好きになった。

架空のパソコン画面で、旧知の友人と悪戯したりできるコミュニティーがある時代というのも、なかなかセクシーである。

その場所はミクシーである。

月並みに「忙しい」といえば、俺の日々は間違いなく「忙しい」のであろう。だが、幸いにして、家族との時間も取れているし、音楽聴いたり本を読んだりする時間も確保されている。

外的要因も多くある日々のスケジュールであるが、ミクシーのヴァーチャル牧場での耕作、栽培のように、日々をユーモア持って過ごせているので幸せだ。

「セクシー」には、「挑発的な」という意味があるが、紛れもなく俺の最近の日々は、セクシーであり、挑発にのるには十分過ぎるほどの、男性的興奮を伴うものである。

2009年9月8日火曜日

追突される

センターラインオーバーの車による正面衝突事故を食らってから、早2年半。

今日は、仕事中に営業車に乗っていて後続車に追突された。

交差点の信号待ちをしていたら、後ろからドスンと追突。

「うっそ~~~ん」と思って後ろを見ると、営業車に乗ったおばちゃんである。
すぐに飛んできて平謝りのおばちゃん。

俺もそんなに痛くなかったので、冷静にポリスを呼んで一連の処理を行った。交通事故も何度も経験しているので慣れたものである。

一応医者に行くと、骨には異常がなく、一安心。背中の筋肉が腫れているので、3日後くらいに痛みがピークになるだろうとのこと。内服薬3種1週間分と湿布をもらった。

まあ、筋肉の腫れくらいの痛みなら筋肉痛の親戚みたいなもんだから大丈夫だろう。後遺症がありそうかどうかは、衝撃度合いからわかる気もする。

事故を軽くもみなさないが、薬飲んで、痛みや異常に応じて、適宜処置をしていきたいと思っている。

明日あたりに保険屋さんから連絡があるのだろうが、賢く処したいと思う。

幸いにして軽症であるが、今日は塾とかけもちの日であったのが、振り替えになり予定が狂うのが腹立たしい。

病院での診察を終えてから、加害者のおばちゃんが菓子折りを持って会いにきたのだが、
向こうも営業車で仕事中の事故であり、誠意ある人だったので、罵詈雑言は見舞わずに、ビジネスライクに処理した。全くもって迷惑なのだが、まあ悪気はないのだし、許してやるか!と仏心で接していた。あまりにもしつこく謝ってくるので、早く切り上げることばかり考えていた。

事務的な会話をして去り際に、俺も営業職が染み付き出したのだろうか、いつものくせで、「またよろしくお願いします。」と言ってしまった。

もう遭いたくも会いたくもない。こんな縁は生涯いらない。何だか背中がドリルであけられるかのようにキリリと痛んだ。

家に帰って、生後1ヶ月半の息子にちょっかいを出して遊んでもらう。

遊んでくれずに爆睡しているので、すねてビールを2缶持って寝室へ行く。メールをチェックする。

相変わらず減らない迷惑メール。毎日恒例の件名チェックをして一人突っ込みを入れる。
猛スピードでスクロールしながら、目に入るものだけをチェックしている。

①送信者:mikapon0023   件名:「人と人の繋がりを大切に」

※今日はしたくない。加害者ともミカポンとも!

②送信者:宮原さゆり  件名:「あなたのお○○ぽドリルで遊ばせていただけませんか?」

※ もう、不愉快の極み。最初、無意識に、卑猥言葉とドリルの間に読点を入れて解釈して、俺のジュニアがドリルでいじいじされるのかと思って、激痛が走った。だが、冷静に読むと、男性の性器をドリルに見立てたコピーであることがわかる。 どんなジュニアやねん!ギザギザあるんかい! さゆりに追突してやりたい。

極めつけがあった。この拙ブログは「チープなガンボ部屋」という。

③送信者:古屋玲子  件名:「お前さんのチープなチ○ポに朗報!」

※ 紛らわしいやんけ! どんな朗報じゃ! それに初対面で「お前さん」と言われたのは、18歳の時以来で悔しい。玲子殴りたい。追突したい。

明後日はバンド練習。日曜日はゴルフ。

色んなハプニングがあるが、人生の彩りみたいなものだ。事故をくらいながらも無事で日々を楽しめている運命に感謝だ。


息子に再度遊んでもらおうと思って、寝起きにちょっかいをだしたら、手で顔をつねられ、左足で蹴られた。

寝起きに機嫌が悪いのは嫁の遺伝だ。オビャー、グッ、ウ~ンミャー と奇声を発し、糞を垂れる。おまけに薄目を開けて俺を見るなり、不敵な笑みを浮かべて、また眠りに入る。実に態度が悪い。

親子のちょっとした衝突だろうか? こんな衝突なら何度でもくらいたいものだ。
追突されるのも、衝突されるのも息子以外とはもういい。

2009年8月15日土曜日

料理をする

昔から料理人が好きである。

「文藝春秋」なんかを読んでいると、毎回カラーで一流料亭が紹介されているが、それらの板前さんの佇まい、店の風景、ネタの写真なんかを見ていると、痙攣しそうに魅了される。

中でも、和食料理人の包丁捌き、魚の捌き方、寿司職人の握り方なんかを見ていると、食べていなくてもエクスタシーを感じる。

きっと俺が女性に生まれていたら、寿司職人か日本料理の板前にしか恋をしないであろう。

これだけ魅了されるからといって、俺に料理の心得があるかといえば、全くない。

昔、お菓子を買い与えられない家庭環境に窮して、小麦粉だけでクッキーを作ったり、片栗粉だけでわらび餅もどきを作ったりしたこともあるが、非常食の乾パンにもなりゃしない、固形物を物理的に体内に取り込むだけの、非常に粗悪なブツしかできなかった。

料理とは無縁の人生である。

1人暮らし時代に数回料理したが、材料費に毎回3000円くらいかけて、まずい料理しか出来なかったので、外食方向に早期修正したことがある。

そんな俺が今日料理した。

今日は家族で墓参り。息子も初の外出である。

嫁は連日の息子への対応で疲れている様子。義父母は本家にお呼ばれで出かける状況。

最初ピザを取ろうかという話にもなったのだが、母乳が良く出るために、スープがいいらしく、スープを作ろう!という話になった。

グロッキー気味の嫁がいる。あり得ないくらい元気な俺がいる。役割分担は決まった。

冷蔵庫を見る。玉ねぎ、ニンジン、プチトマトがある。

俺はすぐにレシピを思いついた。「トマトスープ」だ! これは以前に作ったことがある。カレーを作ろうと思っていたら、飲んでいたトマトジュースをこぼして、結果的に美味くなった記憶がある。

といっても人生で年齢以下の包丁体験、料理体験・・・・。

玉ねぎを切った。きっちり大泣きした。

ニンジンの皮を包丁で剥いた。きっちり左親指を殺めた。ニンジンを傾けて、スロープ上部から包丁を下ろしました。→下に左の親指ありました。→ 包丁きっちりめり込みました。→ 血が滲みました・・・。

縫製しなくてはならないであろう、外科的損傷すれすれの深い傷、スープに鉄分を根性入れした。

玉ねぎを狐色になるまで炒めるのは鉄則である。

狐色を通りこしてドクロ色・・・・。焦げた。「焦げない!」が謳い文句の高級鍋を5分でドクロに染めた。

ぐつぐつ煮込むスープ。ガンボに魅せられた俺は、コンソメはもちろん、酒やらみりんやら、トマトジュースやら、塩コショウやら、ニンニクやら、色々手当たり次第にぶち込み。邪悪なアクを取り、味見した。

よく料理人が、味見をさらっとこなす場面があるが、あれが好きである。

俺もさらっとこなした。

グビっと入った。

舌はただれ、咽ちんこは重傷。内臓全部が猛火にさらされたかのような激熱!

味見は不可能となった。得意の嗅覚で補うものの、実際の味はどうかしらない。俺は家族が食べる瞬間を待たずに、2階に駆け込み、このブログを書している。

お盆という、実に和の清い伝統ある日。俺自身、数ヶ月ぶりに、家でまったり時間を過ごせる日でもあった。

料理をする気になったのも我ながら新鮮である。形容しがたくまずい俺のスープは、俺が2階でぐれている間に、嫁が微調整して食卓に並べてくれるであろう。

なんだかんだ平和な日である。

森達也「東京番外地」を読んだ・・・・この人の視点は大好き。客観的な記述も好き。でも自己アピールがもっともさりげなく重厚にされている筆致が嫌い。でも楽しんだ。

中島らも「君はフィクション」、 小川未明「小川未明童話集」、「24 Ⅶ 全2巻」を購入し、今晩読む予定。

ウィルコの新譜を継続して聴いている。むちゃくちゃ素晴らしい。長年ヘビローキングであったニール翁を凌ぐ聴き具合である。

じっくりことこと、スープは煮込まれ、俺の日々も熟成している気がする。

まずくなるかどうかはこれからの匙加減次第。

「日々を料理する」 なかなかいかした、ダサいキャッチコピーだ。

だがそんな心境である。食材に迷ったり、傷口作ったり、堪能したり、煮込みを待つ間に他のことに興味をそそられたり・・・・。

煮え具合、美味さは1日では判断できない。翌朝美味になっていることもある。

奥ゆかしきお盆の日、俺はじっくり煮込んだスープに対峙し、思いを馳せて、逃げて、翌朝また体内に取り込む。

素敵な料理人の俺がいた。

2009年8月8日土曜日

色々と・・・

まずは「ほうるもん」ライブ告知

2009年8月23日(日) 富山市「サマーナイト」にて、出演順は未定。
※出たいと思っていたハコのイベントにお誘い頂き初登場。当日は愛する「さむでい」にてのブッキングがあったのだが、お誘いの旨を話し、ご理解頂いてブッキング変更。「さむでい」店主、ご理解ありがとうございます。

2009年8月29日(土) 黒部市「コラーレ」にて、22時10分頃登場
※「24時間ぶっ通しライブ」というイベントへの参加。チャリティイベントで入場は無料。うちらはぶっ通す体力はないので、出たら帰る予定。

2009年9月27日(日) 富山市「アーチスト」にて、出番は2番目予定
※ 2回目の登場。前回初ライブは非常にいい印象。マスターもいい人で、ハコの魅力も十
分!

今のところ本決まりは上記3本也。詳細は随時アップ予定。

その「ほうるもん」だが、新曲量産体制から一息つき、曲の煮詰め、アレンジに精力的に取り組んでいる。ほんと細かい部分でも、こだわってマイナーチェンジの日々である。

骨太ロックバンドを標榜してもいい音圧になってきている気がする。

是非観て欲しいと思っている。

直近ニュースでの話題といえば、酒井さんと押尾君のしゃぶしゃぶ事件だが、どちらも世間の話題になるほどの衝撃は受けなかった。

というか、押尾君で誰?という感じである。テレビで垂れ流されている情報だとミュージシャンらしいが、どの角度から見ても、彼に音が宿されているようには思えない。世に出して評価される玉ではないだろう。同室の女性が亡くなられたそうだが、押尾君、マネージャーに介護任せて逃げ出したというから、ポコチンロックにもなりゃしねえ。

酒井さんも、清純派だっただけに衝撃が大きいようだが、清純はメディアが作った虚構であり、実際どうかは知らない。しゃぶしゃぶに魅了される人もいるだろう。身内と関係ある人だけが気にかけて対処したらいいと思う。しゃぶしゃぶ族を全て覚醒剤使用容疑でテレビ中継することはないだろう。芸能人がしたところでどうだというのだ。粛々と逮捕、後は近親者が更正させたいなら手を差し伸べればよい。センセーショナルに報道尺を用意する話題ではない。

芸能ネタで選挙への感心がかすむのを危惧している先生方も多いだろう。選挙だ。政権与党が交代か?という歴史的選挙だ。

ただ、政権変わっても、国民レベルで本当に何か期待感をもてるかといえば・・・・。

自民と民主、その他おまけ政党、鼻息荒くマニフェストやらいうものを掲げているが、中・長期目標だらけで、その間に政権つぶれたらどうなるのかわかったものではない。

だいたい、内閣にしても、こうしょっちゅう変わるなら、何一つ一貫した政策が出来るわけがない。

政権を得た人に、建設的な議論を経た介添えとオンブズの役目が野党にはあるはずだと思うのだが、建設的な野党を見たことがない。そのくせして、主張は籠盛りで並べられたら差がないような一長一短ぶり。

自民と民主と社民と公明と国民新党とか全員をシャッフルして入れ替えても、大して骨組みは変わらない気がする。もちろん優秀なシナリオライターが、論文レベルの主張は変えるだろうが、実現性がないこともふまえ、幼稚な域を出ない。

共産党だけは唯一の野党といえる主張を持っているが、未だに赤色張られているようでは躍進はないだろう。

結局、好きな人に入れるだけだが、地元の候補者ならわかるが、全国レベルでみたら、酒井さんや押尾君みたいに、よく知らない人だ。比例で政党を選ぶというよりは、地元で評判がいい人がたまたま多かったのがどの政党か?というレベルで議席を争ったらいいと思う。

これだけ野党の性質が幼稚だと、彼らが仮に与党になっても、果たして本当の意味での政権を持って、それを行使できるかといえば微妙だ。とにかくとろい。与党と野党の看板が変わっても、稚拙集団の屋号が変わっただけで、政権能力という点では同じだと思う。

反対することが存在意義の野党なら、真の意味で下野してほしい。

政治話題は終わり、我が身に起こったしょぼく、悲しくなる話。

先日、7年ぶりにポリスに交通違反で捕まった。シートベルト違反だ。俺の車に同乗したことがある人ならわかると思うが、俺はシートベルトを、例え10メートルの移動でもする男だ。シートベルト違反で捕まることは生涯ないと思っていた。ところが先日捕まった。

運転中にシャツの後ろがズボンからはみ出してきて、妙に腰の座りが悪くなった。信号で止まった時に、ギアをPにして、ベルトを外し、シャツを入れてベルトを締めた。

締め終わり横を見ると、ポリスがいた。目が合った。俺は、「すごいタイミングや。お前見てたよな?俺の一部始終を! ご苦労さん。」と会釈して、信号が変わると同時に走り出した。

10メートル先に赤旗持ったポリスがいて俺を誘導した。「僕違反???????」

得意げに「シートベルト違反、免許証見せて~」というガキポリスに、俺は笑顔で答えた。

「自分、ギャグやろ? 俺のベルト脱着を一部始終見ていたお前の仲間の、何かの間違いや。確認してみて!」

ガキポリスは確認もせず、杓子定規な対応。営業車に乗る営業マンの仏仕様の俺であったが、ガキポリスが記入している間中、ブツブツ不満を懇々と述べた。

「お前ら、自分の頭で考えることできんのか? 脱着見てるんやで? 目の前でシャツ直してる奴を一瞬ベルト外しただけで捕まえるくらい、応用きかんならそれでいい。じゃあ、おい!(ちょうど暴走族仕様の車が爆音立てて走り去る) 今目の前走った車、改造車やんけ! 応用利かせず、走って間引いて来い! どあほ! だいたい、これ営業車やで。他にも捕まってるの営業車ばかりやんけ! 全然悪質ちゃうやんけ? お前ら頭病んでるな~。早く人間になって! おいコラ! わしの名前の漢字間違っとるやんけ! 雰囲気で漢字を書くな! 何や、「会社名は?」だ~~~? 自分で調べろボケ! お前に何で教えなあかんねん。電話番号も104かけて聞け!」

まあ、こんな感じだ。他にも逮捕ぎりぎりまで文句を言った。

考えてみれば、俺を捕まえた本人は悪くない。単なるババ部署に辞令交付されただけのナイスガイかもしれない。それに、俺が一時的にせよ、シートベルトを外したことは事実だ。交通法で決められた条文を違反したのは俺で、文句を垂れる俺の品格がないのかもしれない。

ただ、職務に忠実とか、そういったレベルではない、人間なら誰でもわかる、条文化不可能な例外は、確かに存在していて、それを共通認識として共有できるところに、「常識」が生まれる。

警察など公務員全般の方々が杓子定規になる傾向があるのは認める。だが、その一方で杓子定規どころか、分度器か?と思わせるくらいRのある社会保険庁、年金問題などの犯罪処理もある。しかし、そいつらには個別の違反切符は切られない。

こいつらの基準って何よ?

こういうことを繰り返していくと、結局、何言っても無駄。自分の家族、友人、プライベートだけを大切にしよう!という気持ちになっていく。よくないとは思うが、この傾向が増していくと、選挙への感心は薄れ、ワイドショーの題材になる話題が話ネタとして跋扈する。

そうすると家族や友との会話も、実に薄っぺらいものになり、やがてはワイドショーが、人間同士の関係温度を下げる媚薬になる。媚薬で覚醒した錯覚ができる世の中・・・・。

「酒井さん、押尾君事件」、「選挙」、「俺の交通違反」

一見、関連のない話題の列挙だが、共通するのは、無垢でもなければ、年輪を経て思考力も育たない人たちの絵巻が繰り広げられる世の中であるということだ。

まあ、こんなものだろう、世の中は・・・。あきらめでも賛美でもなく、肯定でも否定でもない。大切なのは、ゴキゲンな世の中でご機嫌よく処するスタミナである。

俺は年を重ねながら、このスタミナを養ってこれた気がする。

上から目線でも下から目線でもなく、矛盾に噛み付きながらもしらけずに、腐らずに、周囲の恵まれた人的交流と娯楽を楽しんでいくだけの素地が出来たと思う。

明日は社長家族とプライベートゴルフ。

ライブは冒頭の告知通り。実に良い日々だ。

最後になったが、息子の誕生に際し、多くの方のご好意を頂いた。息子に代わってお礼する。生後5日目には首向きを自由に変え、フリーダムに寝ている。元気にすごいペースで育っている。うんこはまだまだ草食系の香り。早く肉食系にもなって欲しい。

2009年7月15日水曜日

7月14日







1789年、パリ市民がバスティーユ牢獄を襲撃した日
1853年、ペリーが浦賀に上陸した日
1977年、日本初の気象衛星「ひまわり」が打ち上げられた日

そんな歴史のある7月14日である。

昨日2009年7月14日、俺たち夫婦の子供、幹太(かんた)が生まれた。
予定日は7月25日であったが、約10日早い誕生だった。

臨月になっても何の気配も無く、「まったく産まれてくる気がしないな~。」と話していた夜から数時間後の早朝、嫁が軽い陣痛と共に破水した。

病院に行き、すぐに本格的な陣痛が始まった。昼休みに病院に様子を見に行った時は、初めて味わう種類の痛みに悶絶する嫁の姿があった。

仕事を早く切り替え、病院に17時半に着く。産婆さんの見立てでは、もう1、2時間くらいだろうという感じだったが、いきんでもいきんでも出てきてくれない。嫁の体力も尽きるのではないかと思った22時前、大きな頭が子宮口から見えた。羊水まみれの我が子の誕生である。

38年間生きてきて、初めて味わうタイプの涙が、前触れ無く溢れた。嫁は子供みたいな声で泣いていた。

「よくやった。」結婚してからというもの、兄弟みたいな夫婦であった。俺は嫁を褒めたこともなければ、世間一般の夫像でもなかった。だが、胎児をお腹に宿してからの嫁は立派であり、完全にママであった。俺はこっそり敬意を表していた。

毎日お腹に向かって話しかけ、見えない息子に向かって読み聞かせていた嫁の姿を見ると、なんとも微笑ましくあると同時に、泣けてきた。

結婚して14年目、なかなか子宝に恵まれないでいた。だからこそ、夫婦で色んな所に行けた。楽しいこともたくさんあった。俺は子供を教える塾稼業について、色んな幸せも味わった。

だが、いつも嫁の心情を慮ると、何ともいえない気分になった。

産婦人科は、喜びとため息が交錯する複雑な場所である。嫁にしてみれば、産婦人科は、ため息の連続であった。産科にはなりえない、婦人科としての役目しかなかった。期待をしては失望の繰り返しであった。

妊娠が発覚してからも、嫁は産婦人科に行くたびに血圧が異常値を示した。良い結果が出なかった過去の経験がもたらす緊張感からであろう。

結婚して数年間は、生理が来るたびに、ほんと悲しそうにしくしくしていたが、徐々に気持ちの切り替えが上手く、早くなり、よくもまあたくましくなったものだと感心していた。それでも、産婦人科は嫁にとって依然、圧のかかる場所であったのだと思う。

初めて昨日、嫁にとって産婦人科は産科となった。弱い腹筋で、下手くそな腹式呼吸でいきんでいる嫁の姿を見ると、産まれてくる息子を嫁のために授からせてあげたいと思った。

昨年秋の待ちに待った妊娠判明時からずっと、溺愛必至の親バカ予備軍の俺がいた。

だが、臨月に入った今月から、俺は子供に対しての感情が思考を超え、なんだか失語に近い感覚になった。

色んな親御さんが、わが子を思う気持ちをいろいろな言葉に載せて語る場面、俺も多く経験した。そして、微笑ましく思った。かわいかった。親子共にまぶしく、清く、癒された。

だが、それと同時に、自分が入れない結界みたいなものも感じ、一抹の寂しさがあり、それは憧憬として消化されるには美しくない感情になったこともあった。

今、不思議と冷静に我が子の誕生を受け止めている。これから病気をすれば心配になるだろうし、毎日ハプニングを運んでくれるだろう。だが、息子の持って生まれた運命に対しては、親といえども無力だ。親の無力さを超えた1人の人間に、毎日傍で接することが出来ることへの感謝があるだけだ。

見る度に泣けるほどかわいい。愛しい。だが、1人の人間としての敬意がわが子にしっかりあり、愛情に溺れるには素面すぎる自覚と自我の目覚めが生まれ、それが俺に安らぎと、感謝の念を強く起こさせる。

嫁と息子、ありがとう。しっかり身体張って、守りたいと思う。

その決意は、パパとしての俺だけにあるのではなく、嫁と息子に負けずに、しっかり人生を太く生きてやる! という、鋼みたいな湧き出る意思、意志に至った。

我が子の名前は、幹太(かんた)と言う。

親の価値観を押し付けることはしない。当然、親として人生の先達としての教育は全力でするが、1人の幹を持った人間から、こちらも学び、共に成長していきたい。

嫁と俺の今日まで抱いた希望と、今までの嫁の味わった苦労は、息子の誕生で全て喜びに昇華された。

親都合の期待はするまい! 1番身近な人間としての期待はする。それはただ、太い幹になって、大地に根ざして、思う存分生きて欲しいという期待だけだ。産まれてくれただけで、十分に孝行はしてもらった。後はしっかり自分のために生きて、根幹を形作っていってほしい。

嫁と息子が退院する19日(日) 俺は初のハコでライブする。1人の人間として、俺もしっかり幹を作り、年輪を形成するのだ。息子に、「パパの生き様を見ろ!」と魂を送るつもりだ。

ほうるもん新曲「年輪」を披露する。

幹太の写真、本人に許可なく、アップする。パパ主導のアップは最初で最後のつもりだ。許せ!

2009年、7月14日、レベルアップ完了。次のステージへ進む。