2008年9月12日金曜日

古本にあった負の産物






今日も出勤前に古本屋へ。小学生対象の本コーナーを物色するが、児童文学は基本的にハードカバーで高い。だから、いつも軽く立ち読みしていたのだが、処分品コーナーに105円叩き売りがあって、迷わず購入する。

『まんが百人一首事典』という本で、学研が出版している本だ。百人一首をまんがで解説したもので、大人が読むほうが、真の価値がわかる、秀逸児童本の見本のような書籍だ。
叩き売りされていた原因を確かめもせずに、XTCの4枚目のCDと一緒にレジへ行く。

職場で読んだ。書籍の内容は期待通りの内容だったが、すぐに廉価叩き売りされていた原因がわかった。落書きが多いのだ。

写真を何枚か用意したが、ほんの一部である。鮮明に映せずに見にくいと思うが、だいたい落書きしている内容はほぼ同種である。

だいたいが、人間の排尿、排便に関する他愛無い落書きだ。子供はいつの時代も、「うんこ」「おしっこ」といった単語だけで笑える素地を持っている。汚いものを茶化して笑う萌芽は、自然な発育過程なのだろうと思う。一休さんのような修行層が、お師匠様に向かって「トイレどこ?」と聞いている吹き出しは、なんだか可愛くもある。

本のタイトルからして、子供が自ら好んで買うものではないと思う。おそらく親が子供に教養を与えたくて、無理強いして与えた本なのだと思う。親の価値観に基づく書籍の強要は、実に安っぽい教育行動だとは思うが、その気持ちをわからないでもない。そして、親から無理やり読まされて、退屈しのぎにコメントを書きたくなる子供の気持ちもわからないではない。

この書籍に落書きした子供は、字から想像するに、おそらく小5から中1ぐらいのキッズであると思う。この手の本を与える親がいる家庭であるから、教育水準は平均以上だろう。この本の所有者であった子供も、なかなか知的水準が高いと思わせる落書きもある

例えば、平安時代の貴族の服装を説明する絵の股間部分に、「もらしてる」の文字を書いている。これだけならば、何でも「うんこ」「おしっこ」で喜ぶ、その辺の鼻垂らし餓鬼と変わらないのであるが(実際俺もそうだったbyおかん)、こいつのすごいのは、その後の落書きだ。ちゃんと俳句調の音数で落書きしているのだ。

「もらしても 大じょうぶの あつさだな」と書いてある。確かに平安時代の服装は、おもらしがすぐに外面に現れないだけの、被服の階層性を備えている。ネタがネタだが、子供ならではのユニークで自然な発想だと思う。

俺は、この落書きをしている子が少し好きになった。そして書籍の内容よりも、落書きを探したくて読み勧めていった。

だが子供への好感は、子供への興ざめへと変わり、畏怖へと変わった。この子供は壊れていると思ったのだ。

延々続く、ジャンクな「おしっこ」「うんこ」ネタが、中ほどを過ぎた辺りから、変化し始める。

天皇や父親が亡くなる場面のまんがに新たな吹き出しを設けて、「父はしね~」やら、「しんじまえ~」の落書きがある。 

「おじさんの養子になってくれ」という、漫画の正規の吹き出しに、「OK」と新たな吹きだし落書きを設けている。

浮気した男が、浮気相手の女の人に抱きつこうかとするセリフがある。そこに落書き吹き出しがある。「殺したげる」という、浮気相手の女の吹きだしだ。

前半部分の無邪気な子供の落書きが、明らかに、父親を軽蔑したセリフに変化していく。
途中から読んでいて怖くなってきた。無邪気な子供が壊れていく過程を見ている気がしたのだ。

邪推だが、この本の所有者の家では、お父さんが浮気していたのだろうか? 悲しむお母さんを見て、子供が父親に憎しみを抱く過程を最初は推測した。だが、後半には、女性を蔑む言葉と、「みんな死んでしまえばいいのに」というセリフもあった。全てを憎んでいるのだろうか?

嫌な人を見たら、決してよくないことだが、「この人がいなくなればいいな~」と思うことは誰にでもあるだろう。だが、その気持ちを抱くのと、それを何かに書すという行為の間には大きな差がある。

便所の落書きなんかにしてもそうだが、人の生死に関わること、卑猥な嘲笑文句なんかを、どこかに実際に記す人たちの精神の壊れ方というのは何だろう? 

この本を買い与えた親は、この本を処分する時に、この落書きに気づいていなかったのだろう。気づいていたら絶対に売らないか、消してから処するだろう。買い与えっぱなしで、それを子供が読んだケイセキがあるだけで満足していたのだろうか?本当の形跡には気づかないままだったのか? なんだか悲しくなる。

この本の初期オーナーの子供も、今は大きくなっているだろう。鬱屈した気持ちは今はどうなっているのだろうか? 過去の落書き記憶もないくらい、楽しい健全な日々を過ごしてくれていたらいいのだが・・・。

古本には、このような副産物がよくある。カレーの染みは最近少なくなったが、付箋痕、書き込み、アンダーラインなんかは廉価処分本につきものだ。プライベート写真が挟んであった時なんかはオカルトを感じてすぐに捨てるが、ほとんどは他愛のない、かわいくほのぼのとしたものだ。

大学生が講義で買わされたであろうテキストなんかには、統一性のないマーキングと、明らかに主旨を理解してない書き込みなんかがあり、「こいつ、確実に単位落とし取るな~」と笑える書籍が多くある。

これら全ても、古本を読む行為の醍醐味だとは思う。だが、今日のような、子供の壊れ具合(仮に一時的であったにせよだ)が拝見できる古本とは、出来ることならば出会いたくはないものだ。

2008年9月11日木曜日

保守・革新・ジャンル

定期的に食べるポテトチップスのパーケージをじっくり眺めてみる。
カルビー印のポテトチップス「コンソメ味」、定番中の定番だ。

ポテチだけではないのだが、カルビー印のポテチが1番顕著だから例に出すが、いつ見ても感心するのが、包装紙を頻繁にマイナーチェンジと更新をくり返しているな~ということだ。

パッケージの色合い、商品名のレイアウトなんかはほぼ固定だが、コピーが実に頻繁に変わっている。ワンシーズン食べなかったりすると、まず変わっていたりする(あくまで体験分析)。

今日買ったポテチには、表面に、「じゃがいも情報公開中」のコピーが書かれていて、裏面に全国の収穫時期が地図上に表記されていた。

それを見ると、北海道以外はほぼ収穫を終え、かろうじて北海道だけが、10月中旬までの収穫時期となっていた。

単純な地理的資料として見れば面白い。カルビーは、毎回趣旨を変えながら、色んな、じゃがいも情報を裏パッケージに載せるのが特徴だ。今回の収穫時期だけでなく、原料の品質管理の仕方、物流方法等、定期的に情報を変える。

たいしたものだと思う。さすが名門企業だと思う。

だが、素朴な疑問なのだが、これらのパッケージ変えが、売り上げの増加もしくは、昨対比維持にどれだけ貢献するのだろうか?

消費者の立場で考えてみる。

市場での安定的シェアがない、新商品なんかはパッケージの優劣が全てだと思う。奇を衒ってみることも、有益な販促活動だと思う。

次々開発されては消えて、なかなか定番商品になれない、カップラーメン、スナック菓子、チョコ菓子なんかにとっては、いかに、消費者に強烈なインパクトを与え、商品陳列棚から選びとってもらうかが全てであり、デザイン性、コピー力が会社の売り上げの多くを左右するのは当然だと思う。商品企画室、宣伝室は大手企業の重要部署だと思う。

だが、すでに市場で幅広く認知され、受け入れられている商品が、定期的にパッケージ変更することには、俺は無益感を持ってしまう。

例えば、ポテチのコンソメ味は、国民の限りなく全員が食べたことがあるであろう商品であるにも関わらず、定期的にパッケージを変える。

市場シェアに慢心せずに、常に戦い続ける企業姿勢を示すという面では大切だと思うが、核となる部分については、発売当初から変わらなくてもいい部分もあると思う。

勝手な推測だが、カルビーのポテチ商品企画なんかを管理する部署のトップは、全国的にみても高給取りのエリートだと思う。そんな会社のそんな部署のトップが、超定番商品のパッケージ変えをするのとしないのとでは、長期的にも短期的にもどれだけ売り上げに差が出るかの推測を、しっかりとした理念と確信を持って処遇しているのだろうか?というのが、いつも思う疑問だ。

その部署で一生懸命働く末端社員は、次々に出される商品の企画開発に携わらされているというのに、それらの業務に加えて、たいした確信もないままに、定期的に定番商品のパッケージ変えを部下に指示して、それを是とする上司や管理職というのは、果たして末端社員にとって、有益な上司であり会社の戦力なのだろうか?と思う。

素晴らしい商品と企画力の甲斐あって、市場に広く受け入れられた商品は、個人的には、どっしり構えていてほしい。サッポロビールがラガーの復刻パッケージを再発しだしたが、個人的には、復刻しないといけない、改変をなぜ過去に行ったかが疑問だ。

変わらない品質と、変わらないポリシーがあるならば、市場でのシェアを占めた後は、斬新な戦略はいらないと思う。パッケージだけにだまされるほど、消費者は馬鹿ではない。

カルビーばかり例に出して申し訳ないが、末端社員の労務に、コンソメパンチのパッケージの更新を課す暇と金があれば、もっと別の有益な使い方があるのではないかと思うのだ。

相変わらず、言いたいことの要点が文章力のなさに邪魔されるが、要は企業の中での上級職者の多くが、予算の分配、舵取りに本当に長けているかといえば、答えは否であると思うのだ。もちろん、常に社会の動向に敏感で、保守・革新をバランスよく舵取りできる人もおられるとは思うが、多くの人は、単に時世に乗って今の地位についただけの人であり、自分の裁量を過信して、部下に徒な労役を増やしているだけだと思う。

本当に、政治の世界を含め、多くの管理職が有能でバランスの取れた人であれば、この世の中のほとんどの問題は解決できていると思う。

一部の偉いさんを批判した、単なる下層市民目線からの意見となるのは本意ではない。俺はむしろ、この世の中の矛盾(無能が上の立場で有能が下の立場に多く見られる階層)を肯定する。

こんな階層だからこそ、世の中は面白く、色々な発想や感慨が市井から出るのだと思う。反抗姿勢を示してロッキンに、昇華出来ずにノイズに、価値観を転換してポップに、穏かな反抗をジャージーに、次元を変えてテクノに、超越してファンキーに、悲哀を抜けてブルースに、伝統を生理的に昇華してニューウェーブに、究極のプリミティブが輪廻してクラシックに・・・、音楽ジャンルに例えられる色々な思想が生まれて面白い。

ポテチの包装紙を見て大げさな・・・と思う。

だが、チキンと野菜で煮込んだコンソメ味は定番中の定番だ。どっしり構えたパッケージを見続けたいと思った。定番商品のパッケージ変えといった、意図のない革新は歌謡にも映らずに、流され浪費されるだけだと思った。

2008年9月10日水曜日

北のこと

建国60周年を記念する今日に、北のメタボおやじは姿を見せなかったらしい。AP通信の報が正確とは思えないが、脳梗塞を起こして重態らしい。

そっくりさんが5人はいると言われている金の大将が、仮に偽者にせよ公に姿を現さないとなると、かなり国の体制自体が揺らいでいて、激動の時期が来ているのかもしれない。

北の情勢に詳しい、S村教授なんかは、ちょっと前の週刊誌で、「金さんは既に死んでいる」といった、ある関係筋からの情報をうっかり?もらしてしまっていたが、個人的にはもう既に他界している可能性が高いと思う。

金家のメタボ一族だけが悪いといったレベルでは済まされない北の国家システムだが、将軍さんがお隠れしていても、すぐには公表できない国というのは、何だか悲しい。

戦時中の日本人の全員が天皇神権に盲目であったのではないのと同じように、北の国にも多くの眼の開いた方がおられると思うが、未だに国の体制を牛耳る金家と取り巻きが、何を意図して、何を守って、何を考えているのかが不気味である。

拉致問題の調査報告の締め切りにしても、我が国の首相が変わったからという理由で延期を主張する精神の壊れ具合というのは、人間業ではない。いい加減に誰かゴルゴを呼んでほしい。彼なら、金君の偽者がいるかも見抜くし、任務は必達であろう。

建国60周年というが、我が国の60年前はどんな時代だったのだろうか?

厳密に60年前ではないが、1947年の流行と流行語、ヒット曲を何かの本で読んで記憶している。

流行語は、「ゼネスト」と「ブギウギ」と「世直し」であったはずだ。

北の国が建国した年に我が国では、ブギーで踊る文化が生まれ、社会体制の矛盾に対して「ゼネスト」と「世直し」の気概があった。1人の人間が神格化され、崇められて国家が形成されるという、稚拙なカテゴリーは、既に日本でなくなっていた。

国によって時差はあるだろうが、我が国が戦後眼を開けた時から60年以上たっても、まだ今の体制が維持されているという国はある意味すごい。どう考えても、見た目も中身もカリスマ性のないメタボおやじが君臨できる国というものの実態を見てみたい。

興味深いのが、記憶が確かかはわからないが、1947年頃に我が国で社会問題になり、流行?にまでなったのが、「少年少女の家出」であったことだ。

家出が流行したということは、その中には行方不明のまま生涯を終えた人もいるだろう。戦後の混沌とした状況で、種々の理由で家出した少年少女、そしてそれを保護できるだけの体制がまだ構築されていなかった我が国の体制。

それが、北朝鮮による拉致問題の発覚が遅れることになる、皮肉な一因になっていたような気がする。まさか拉致とは思わずに・・・。

1947年の流行歌は「夜霧のブルース」だ。何だか意味深に感じる。

原爆を落とすような、無差別な終焉はしてはならないが、早く北朝鮮の支配体制が崩壊し、愚鈍な奴に国民が翻弄され虐げられる体制は終わらせなければならない。

今はただ、北朝鮮の金取り巻きの、自暴自棄の奴らが暴走しないことだけを祈っている。
そして正常な体制が北に訪れることを願う。

すごく大きく情勢が変わる時期にきているような気がした。

2008年9月8日月曜日

深酒と通院

昨夜は、前職場の同僚8名の飲み会に呼ばれて参加した。18時から22時までの節度ある時間の節度ある飲み会だった。俺の酒量を除いては・・・。

勧められるからという言い訳もあるが、生ビール7杯に、焼酎のボトルを1本飲んだ。
楽しい酒だったし、つまみも食べながらの飲みだったので、特に二日酔いというわけではないのだが、それなりに今日は頭が重かった。

いくら、強靭なレバーを持って生んでもらったとはいえ、この酒量ではいつか肝臓も悲鳴をあげるだろう。大人の節度ある酒量を守りたいものだといつも思うのだが、ある一定量を超えてしまうと、ぐいびぐびと、水を飲むように体内に取り込んでしまう。

性質が悪いのが、深酒の翌日でも昼を過ぎると、また飲酒欲が沸いてくる。「もう酒なんか見たくない」という心境になればいいのだが、すぐに体がリセットされるから、休肝日が設けられない。

毎日の飲酒量は節度を持っているのだが、飲み会なんかにいって、ある一定量を超えてしまうと、寝るか、逝くまで飲んでしまう。そのくせして記憶が飛ぶわけでもない。はっきりと覚えている。よく飲みよくしゃべり、よく吸う。オールナイトメンツがいれば飲み続けていただろう。この手のパワーが衰えないのも困ったものだ。

重い頭のまま、今日は出勤前に眼科に行った。

先週の診察で、眼圧異常を告げられ、目薬を点し続けないといけない宣告を受けたばかりであり、今日は経過観察だった。

正常値の眼圧は20ぐらいらしいのだが、俺は先週、32まであり、「非常に危険」とまで言われていた。朝夕の点眼を欠かさず臨んだ今日の診察だった。

今日の計測では眼圧が27であり、先週よりは改善されたものの、まだまだ異常値であり、目薬を1本追加された。来週も検診行って、とにかく1度正常値に戻した後に、適量の目薬を生涯点し続けるという治療方針のようだ。

非常に不気味なのが、院長も副院長も揃って、「まだ若いのに・・・。」と言うことだ。
被害妄想にとらわれた俺は、この言葉をこう変換した。

「まだ若いのに、死期を迎えた老人のような眼の状態で、この人これからどうしはるんやろ? ほんま可愛そうに・・・。もうすぐ光失うで・・・。」

何だか憂鬱だ。目薬の雫が鼻に入ってしまって、何だかせつないくしゃみが出た。

俺が眼圧を患っているのは、高校野球キッズ時代に眼にボールを当てたことも原因だろうが、やはり長年のコンタクト生活が大きいと思う。こまめな手入れをするわけでもなく、使用期限も感覚のみで使い続けてきた結果だ。

いっそのことメガネにでもしようかと考えたことが何回かあったのだが、俺の顔の骨格は、メガネフレームを1週間で拡張させてしまう。そのため、鼻元で停めるチョボも機能しなくなり、しょっちゅうメガネが垂れてくる。

オロナミンCの宣伝で有名な、何とか昆さんのような状態で日々を過ごすのは、余計に眼精疲労を生む。

おまけに、温泉、銭湯フェチの俺は、湯船で盲目になることが死ぬほど嫌である。曇るのも嫌いである。

ラーメンを食べていたら、俺の尽きることない汗がメガネを瞬時に覆いつくし、ちょっと油断すると塩をふく。

フレームがひん曲がって、塩を吹いたメガネをかける日々を俺に課すのは、あまりに俺が可愛そうだ。だからコンタクトを使い捨てタイプにしてしのいでいる。

それにしても先週5600円払い、今日2400円、そして来週も通院だ。使い捨てコンタクトの在庫もなくなってきたので、そろそろ買わないといけないし、俺のお目目はやたらと高くつく。

深酒翌日に眼科に行った。ただそれだけのことなのだが、何とも日々が憂鬱に思えた日だった。目薬が沁みて心に響く。

2008年9月7日日曜日

カラネタ

久々にフルで「エンタの神様」を見る。ラインナップが凄まじくひどかった。
この番組が初めて放送し出した当初はよく見ていたが、桜塚Yくんが出だして、最後にティアドロップグラサンかけたおっさんが、フリーダムを歌い出した頃から、とにかく番組出演のオーディション基準がゆるいな~と思って、まともに見ていなかったのだが、今日見ると更にひどくなっていた。

個人的な主観で芸能を斬るのもどうかと思うが、言わせてもらう。はっきりいって、番組の出演者を決める偉いさんの眼レベルは低いと思う。これだから笑いレベルがすぐに落ちてしまうのだと思う。

生徒会長Kの僕なんか、北野武が週間ポストで言っていたネタを盗作するし、初登場の人もとにかくひどい。芸風が必ず誰かとかぶっているか、肉体芸だけのウィットのないお笑いだ。

番組はひどいが、お笑い芸人って立場の人の苦労を想像してみる。お笑い芸人ってほんと大変だと思う。どんなに秀逸なネタでも毎回同じ芸風とネタでは飽きられてしまう。芸が優れていれば優れているほど、次々に新境地を開かなければ生き残れない芸の世界だ。

どんな天才でも、毎週の頻度で新ネタを提供するのは無理だろう。お笑い業界で生き残るためには、人気が絶頂期に自分の番組を持ち、司会者として生き残っていかなければならないが、番組にしても、企画制作スタッフの力量次第では長続きしない。芸人自身の力量がずば抜けているか、制作スタッフの企画力に恵まれなければ生き残っていけない。ダウンタウンはやっぱすごいと思う。

波田陽区なんかは、今は惨めな扱いだが、音階に合わせて風刺する芸風は斬新だったし、その後、彼にヒントを得て出てきた芸人の数々を思えば、もう少し今の彼の地位があってもよいように思う。

音楽業界でも一発屋はいる。ただ、優れた音楽は何度でも聴かれる需要があるし、印税収入もある。

ところが、お笑い界では、飽きられてしまうと惨めである。あれほど面白かった芸風が、飽きがきてしまうと退屈なだけではなく、時には嫌悪にも変わってしまう。小島よしおさんなんかも気の毒に思えて仕方がない。売れた芸風の衝撃が大きければ大きいほど、次の芸風が育たない。ミュージシャンが、いきなり1曲目でビートルズ級の曲を作って売れてしまえば、その後がつらいのと同じだ。

ただ、音楽人ならCDがあり、一発屋でもセールスがでかければ、功績に対するご褒美印税収入機会がある。

お笑いにはない。綾小路きみまろ氏なんかは、CDにもパッケージされているが、今後もずっと聞かれ続けることは、音楽ほどはないと思う。

音楽人なら、カラオケがあり、庶民がミュージシャンの疑似体験と共有をする機会があるから、その名声と収入が枯渇しにくい。

ところがお笑いはどうか・・・。なんだか気の毒である。今売れてはいなくても優れた芸を残した人たちが、収入的に満たされる仕組みを作ってあげられないものか?

カラオケの語源は、空のオーケストラらしいが、お笑い芸人版のカラオケなるものができないだろうか?

字幕に漫才や落語やコントやらのセリフが出てきて、素人が好きな人のネタをチョイスして真似る。

そんじょそこらの歌謡曲を歌うのと違って、お笑い界の人のネタをすることが、独自の間とセリフの言圧によって、いかに変わるものであるか、また、いかに難しいものであるかが一般的に体感され、それにともない、ギャラリーのお笑いを味わうツボもレベルアップすると思う。

レベルが低いのに、たまたま世に出た、生徒会長K子レベルの芸人のしょぼさも、簡単に誰でも真似が出来るということから明らかになる。彼はどっかのコネがあってテレビに迷い込んだとしか思えない。

個人的な好き嫌いを超えた、芸自体の優劣を、素人が真似をすることにより知る。そうすると、「エンタの神様」のような番組立案者のレベルも上がると思うのだが・・・。

自分が出来ないお笑い芸を好き放題に述べているが、俺はお笑い界に身を置く人たちを尊敬している。

尊敬しているからこそ、芸風もないしょうもない芸人が、音楽でいう所の、バンドブーム期のビートパンクバンドとかぶって腹が立つのだ。

お笑い版のカラオケの実現を望む。何と名づけようか? 「カラネタ」でどうだ?

2008年9月5日金曜日

原チャリ

ガソリン価格の高騰からだろう、富山県でも最近よく原チャリをみかけるようになった。都会と田舎における、車の運転手の大きな違いは、左折時に左ミラーを真剣に見たり、左を目視したりするかの違いだと思う。原チャリが田舎は少ないので、巻き込み確認をする必要がほとんどないのだ。それに比べて都会では、うじゃうじゃ原チャリがいる。この差は大きい。

原チャリには思い出がたくさんある。

俺が原チャリ免許を取ったのは、大学合格が決まった直後であり、高校生の最後の最後になってだった。俺の親友なんかは、学校に内緒で取っては、既にぶんぶん乗り回していた。
俺が免許を取った日、親友は俺に「運転を教えたる」と意気込んで、俺を連れ出した。

大きな交差点の手前数十メートルの所で、親友は俺を止め、こうアドバイスした。

「いいか、今から最大の試練、右折を教えるわ。びびんなや! 俺と同じタイミングで指示器出して、ついてこいや。もし、どうしてもだめやったら、まっすぐ行って止まっていたらいいから・・・。」

俺は、「誰がびびるかい! たかが右折やんけ!」と心では思いながら、得意げに教える親友の、真剣な眼に遠慮して、「お、おう。わかった。ついていくわ。頼むで師匠!」と持ち上げた。その時の親友の得意げな顔・・・。 笑いをこらえる試練があった。

親友の指導を経て、原チャリを乗り回し始めた俺だったが、最初はおかんの原チャリを借りていた。

京都で下宿するようになった1回生の夏、俺は生協で「JOG」を新車で買った。
納車された翌日の早朝4時に目が覚めて、俺は京都市北区から高尾まで運転した。ちょうど今くらいの季節だったろうか?少し肌寒い気候の中、原チャリを走らす俺はフリーダムだった。往路だけだったが・・・。

帰り道に警察に捕まった。スピード違反だ。納車翌日の違反切符だ。
その後、10日で2回捕まった。京都市内に多い、一方通行なる交通法規は、俺のフリーダムの辞書になかった。だから走った。捕まった。1度は反抗して、こん棒で殴られかけた。

違反切符と未納の罰金を抱えた3週間後、俺のバイクは白梅町で盗まれた。俺は西陣署に被害届を出したが、未納を諌められた。怒られる被害者であった。

被害届を出した翌々日にバイクは発見された。愛車のボディーには、ヤンキー御用達のスプレーで、「滅」と「太秦連合」と書かれていた。帷子ノ辻辺りに乗り捨てられていたらしい。直結されて無残な鍵穴、暴走族使用のコスプレ! 俺の愛車は変貌していた。修理をあきらめた。愛車に対して愛着がわくまでもない、短い間の、第一次原チャリ期だった。

1年後、2台目のバイクを中古で手に入れ、愛用したのだが、今度は2週間で3回捕まった。1回は一方通行違反、2回は二人乗り、俗に言う、「ニケツ」という奴だ。ケツにいたのは、うちのベースの明君だ。円町と北野天満宮で捕まった。俺達は金ケツを共有した。
このバイクも盗まれたのだが、結局出てこなかった。第二次原チャリ期も儚かった。

第三次原チャリ期は事故期だった。一時停止ミスで車の横腹に特攻したのが1回、もう1つは、20歳の誕生日にヤクザのベンツにオカマを掘った事故だ。過去ブログで書いた記憶がある。地上げ屋さんの高い高いベンツであった。

この第三次原チャリ期を最後に、俺は自己所有の原チャリをしばらく持たないようになる。

先輩に借りたバイクで、当時付き合っていた現嫁をケツに乗せて走ったことがある。河原町から七条の嫁の住んでいた寮まで送りに行ったのだ。

ポリスとヤンキーを避ける為、出来るだけマニアックな道を走ったのがいけなかった。五条を過ぎた辺りで、小路に迷い込んでしまった。急にでっかい駐車場が目の前に現れ、高級車の見本市みたいな光景が現れた。

京都の任侠組織、会津K鉄会の本部前に出てしまったのだ。深夜の時間帯に、排気音のうるさい原チャリに二人乗り! ちょうど、抗争中であり、萬田の銀ちゃんと菅原文太さん風の人が、こちらを凝視していた。カチコミと思われて射殺されていても文句は言えなかったであろう愚かな迷い猿と相方であった。

雪道でスリップして、宇治東インター近くの坂を十メートルぐらい斜滑降した思い出、座席シートにウンコを置かれた思い出、堀川五条の交差点右折時にガス欠した思い出・・・、何だか悲しい思い出ばかりだ。

大活躍したこともあった。俺の下宿の引越しは、現チャリでしたのだった。金閣寺近くから西大路太子道まで、5往復で引越しを終えた。

どんだけ少ない荷物やねん・・・。やはり悲しい思い出だ。

最近は、真面目に原チャリを我が家に導入しようかと考えている。俺にとって、第四次現チャリ期となるのであろうが、今度はどんなドラマが待っているのだろう。
良識をわきまえた大人の俺、フリーダム幻想もなくなった俺、特攻精神も控えめになった俺、ウンコを置かれる恨みも買わなくなった俺・・・。今なら良い思いでを作れそうな気がする。

2008年9月4日木曜日

秋の雨

連日の雨模様。だが、気配は完全に秋だ。

秋の雨についての言葉が気になり、色々調べてみた。

「秋雨」・・・秋に降る雨    

「長雨」・・・何日も降り続く雨

「霧雨」・・・霧のように細かい雨

「小糠雨」・・・静かに細かに降る雨

「霖雨」・・・何日も降り続く雨

「宿雨」・・・連日降り続く雨。

「愁雨」・・・国語辞典には載っていないが、「秋」に「心」がついているので、「秋雨」を心に焦点を合わした言葉だろうか。愁いを含んだ涙雨をさすと思う。

「長雨」、「霖雨」、「宿雨」は、字義的にはほぼ同じ意味であるし、「霧雨」も「小糠雨」にも大して違いはない。だが、漢字をじっと見つめていると、そこにはかすかなニュアンスの違いと、風情を感じ取ることが出来る。

長田弘さんは、上記のような雨に関する語彙の使用例が減ってきていることを嘆き、「言葉があなどられるところに、人としての豊かさはない。」といった主旨のことを述べておられたが、全く持って同感であり、全く持って耳が痛い指摘である。

個人的な雨に関する描写力を振り返ってみる。

「どしゃ降り」、「夕立」、「狐の嫁入り」、「横なぐりの雨」、「雷雨」、「豪雨」ぐらいであろうか? これでも、語彙としては使っている方だと思う。ほとんどの人は、「うわ~、すごい雨」といった言葉で終わっているのが現状だと思う。

それで十分に意味は伝わるだろうし、不自由はないのだが、「霖雨」「愁雨」などのような、味わいある言葉は確実に消えていくだろう。一部の言語マニアだけが、古語を味わうように懐古するだけになりそうである。

失われていく言葉に代わって、新たに優れた言葉が生まれてこればよいのだが、どうもいけない。個人的に好きな言葉も生まれてはきているのだが、外来語の加工や短縮がほとんどであり、漢字を組み合わせて加工した、味わい深い言葉はなかなか生まれてこない。

直近の例が思い浮かばないが、「胸キュン」やら、「ナウい」なんて言葉を生み出した人たちの言語感覚は素晴らしいものがあると思うが、それぞれ、「漢字と擬態語の組み合わせ」、「英語とひらがなの組み合わせ」であり、「漢字同士の組み合わせ」はなかなか生まれてこない。味わいがないので、流行にのっただけの一過性の言葉であり、もはや死語となっている。寿命が短い。

古い例ばかりで申し訳ないが、「オバタリアン」、「ほめ殺し」、「おニャン子」、「地上げ屋」、「しょうゆ顔、ソース顔」、「落ちこぼれ」などの、過去の流行語も、なかなか言語センスとしては秀逸であったが、いかんせん、寿命が短い。時間が経ってしまうと、妙な古臭さを感じてしまう。

その点、「霖雨」、「宿雨」、「小糠雨」なんかは、同じ死語であっても、時代遅れ感は抱かない。むしろ、使いこなせたら素敵な言語として、今でも君臨している。やはり、漢字の組み合わせの熟語には、言霊が宿っているのだと思う。

秋の雨模様だが、とても味わい深くて好きだ。味わいをぴったり表現できる言葉があったらなおよい。秋の雨を表す言霊言語をつぶやきながら、じっくり雨を鑑賞したい。

休日雑記

久々の穏かな休日。ゆっくり書店をめぐり、中古CD屋に行く。

「ゲオ」が、「580円以下のCD、3枚まとめて380円セール」なるものをやっていたので物色。

洋物は、リンダ・ルイス、ルー・リード、スキッド・ロウ、ヨーロッパ、ヴァンヘイレン、を発見し、邦物は、シュガー・フィールズ、コイル、スクーデリア・エレクトロ?、ペンパルズを手に取り購入。合計9枚で1140円なり。安いもんだ。

ヨーロッパやボンジョビは、別にすぐに聴きたいわけではないし、高校生の時にテープで持っていたので、買う理由自体はなかったのだが、大人買い(衝動バージョン)というやつだろうか、なんだか、廉価で売られているのが不憫で購入してしまった。

ヨーロッパの「ファイナル・カウントダウン」なんか、高校の時から、「なんて軟弱で安っぽい鍵盤」と思っていたのだが、今聴くと、なおさら安っぽい感じがした。ただ、曲自体は良くできているし、売れたのだから、俺がどうこういう筋合いはない。ただ自分の中で懐メロ化していたのが悲しかった。

本屋では数冊購入した。

・雑誌「新潮45」・・・福田和也の「オバはんでもわかる」シリーズが好きで、立ち読みしていることが多いのだが、今回は、「貧乏13の怪事件簿」というタイトルに惹かれ、ついつい購入。毎回買っては後悔するのだが、読み応えなし。新潮社が出しているわりには、やっぱ、雑誌である。

・雑誌・・・「小説現代」・・・これも毎回立ち読みですましているのだが、四方田犬彦氏と溝口敦氏、小沢昭一氏、黒川博之氏のエッセーがあったのと、石田衣良氏の短編小説「ダガーナイフ」のタイトルに惹かれて、ついつい購入。
「ダガーナイフ」に石田氏ときたら、秋葉原事件の下敷きが間違いないのであるが、読んだら実にしょぼかった。雑誌だからか、あまりに手を抜きすぎていて、ちょっと興ざめだった。エッセーだけなら立ち読みでよかったと反省。

・ 『武士の日本語』野火迅(文春文庫)・・・数ヶ月前に、ある方より、「最近、武士言葉
が若い女性の間で流行っている」という証言を聞いていて、武士言葉には少し興味を持っていた。なんでも、ゴルフ場で、女性が、「かたじけない」を連発していたらしい。まだ読んでいないが、目次を見る限りは面白そうだ。新刊文庫を久々に買う。

・ 『仁義なき戦い 死闘編』飯干晃一(角川文庫)・・・恥ずかしながら、893フェチ
を自称しながら、文太さんの映画だけを満喫しており、原作は読んでいなかった。内容はばっちり頭に入っているので、今更文章で後追いする必要もないのだが、飯干さんの筆致が好きなので購入。

全体的に、立ち読みで済むものばかりの気がして、少し浪費を反省する。

新書は相変わらず、タイトルだけ秀逸で普遍性がないものばかり。夏休みのキッズ向けキャンペーン書籍がまだしまわれていなかったので覗いたが、どれも読んだものばかり。太宰なんか、表紙に写真やら、趣味の悪い配色やらで、見ていて気持ち悪かった。太宰はやはり、背表紙黒の文庫本が1番だと思う。

年々、純文学を読みたい動機が希薄になっている。感動を小説から得ることに、なんだか警戒するというか、安易に涙を流したくないというか、感動必至の小説に手を出さなくなってきている。感動の容量更新をしたくないだけの気がする。

夜は久々の、「ほうるもん」全体リハ。新曲4曲に取り掛かる。なんとか形になりそうだ。次のライブの曲順と取捨選択に、今から迷う。10月末にライブをする予定。

「チープハンズ」は、明君との音信不通は継続中だが、素晴らしいライブイベントにご招待を頂いていて、復帰は間近と相成りそうだ。詳細はまだ明かさないが、年末京都だ。

バンドに持ち込んでいない、弾き語り向けの曲がたまってきたので、どっかで久々にソロライブなんかも計画しようかと思っている。問題はアコギでFが押さえられるかだ。

とても充実した休みだった。

2008年9月3日水曜日

科学者、何してくれるねん!

今日のヤフーニュース・・・。 

「遺伝子の個人差で離婚危機2倍=スウェーデン男性900人調査」

もうね~、あきれた。どっかの遺伝子研究チームが調べたらしくて、学会発表するやらしたやらの報であるが、研究費使って、何くだらんこと調べとるねん!

この研究結果を何に生かすわけ? 離婚遺伝子を持った人はどうしたらいいわけ?

結婚と離婚に対して、遺伝子が影響するほど、人間の心は単純ではない気がする。
怒りっぽい、涙もろい、色々な性格が遺伝子に書き込まれているのかもしれないが、後天的な環境は遺伝子を越える。

これからは、婚約者を紹介する娘に「相手の離婚遺伝子を調べなさい。」といった、同和差別に似た風潮が蔓延るのだろうか? ほんと、くだらない研究だ。

解明されていない科学分野は数あれど、何でも解明すればいいというもんではない。そら、ある程度科学を専門的に学んでいたら、研究解析するノウハウとヒントは多く得るだろうが、研究動機の根底に人文的要素、倫理的、哲学的思考はないのだろうか?

それに、離婚遺伝子なるものをネズミの実験で導きだせるほど、離婚というのは逃れられない必然たる科学の範疇なんだろうか?と思う。人間の心はネズミと同範疇で語れるのだろうか?

科学の進歩が、人間の疫病を治し、延命、長寿に一役買ってきたことは確かだ。だが、長生きすることがいいことか悪いことかといった問いは、また別問題にするにしても、ほとんどの科学の発展は、更なる問題を引き起こすきっかけ作りになってきているのではないか? そろそろ頭のいい科学者さんも、この矛盾に気づくべきだ。

化学物質の抽出と、組み合わせの効果を研究する。ウランを発見したらそれを燃料に使う一方で、爆弾にも使う。爆弾が作られたら、その防御のシステムを作る。でも、最初にウランの抽出なんかをしなければ、その後の防御システムの構築も必要ない。

大義名分は色々つけられる。発電のための画期的なシステムで、原子力発電がないと電力需要はまかなえないやら色々理屈をつけて、開発資金を奪い取るが、本当だろうか?原子力発電がないと電気が止まるのだろうか? 節電を訴えるわざとらしい電力会社のCMが流れるが、火力発電所や水力発電所の多くは、開店休業状態に思えるのだがいかがだろうか?

結局、原子力なるものの威力が科学的に発明され解明されたから、それを軍事的にいつでも利用できるようにするために、日本においても原子力発電の重要性を説いているだけだろう。要は、すぐに核武装できる体制作りのために原子力が必要なだけである。

もし、科学者が原子力を解明しなければ、発電もないかわりに、爆弾も出来ない。そうすれば、軍事費や電力に回る費用や資源も有効利用できたはずだ。

理想論だが、もし爆弾はもちろん、戦車、ミサイルなんかもすべて開発されていなければ、未だに戦争は、石と槍と弓ぐらいであったろうし、壮絶な戦いも起こらなかったと思う。
強烈な爆弾を作れることを知るから、作りたくなり、他国が作ったら、防御したくなり、その繰り返しで経済は好不況をくり返す。

何でも解明したいというのが人間の欲望であろうが、解明して実用化したものを使うのも人間だ。人間の倫理観がいかに脆弱であるかは、誰もが知っていることだ。そこに科学者が思いをはせてくれるだけの想像力があれば、現況のほとんどの問題は解決したか、縮小していたと思う。

原子を突き止めた科学者と、離婚遺伝子を突き止めた科学者をいっしょに並べて斬るのも、いかがかとは思うが、結局は、科学者の倫理感?が問題だ。いや、科学者が、研究過程で人間であることを捨てるのが問題だ。

まともな人間が、離婚遺伝子の解明を一生懸命に邁進できるわけはないと思う。こいつらの科学者エゴだけがもたらした、ジャンクな発見であり、この解明が誰かを救ったりすることはないと思う。

病気の人を治したいといった動機から、ほとんどの科学者の研究動機が出ているのだとは思うが、悲しいことに、科学者が発明すればするほど、無用な発明が必要になるのが、真理だと思う。

2008年9月1日月曜日

眼が逝った 滅入った

ある小学生の日記
「フクダ君が学級委員長をやめました。ハトヤマ君とフクシマさんがいちびっていました。
僕は驚きました。委員長ってこんなに簡単に辞められるんだ? それに、やめろやめろ!と言っていた人が、やめたらまた文句いうのも不思議です。」

色々毒づきたいが、軽くでやめる。ただ、楽な仕事だな~と、つくづく思った。こちらが思っている以上に、福田君も鳩山君も福島さんも、幼稚なことはわかった。政治って何だ?国家って何だ? 議会制民主主義ってなんだ? 複雑に推測する必要はなくて、単にみんな幼稚なのだ。正義の味方になりたいだけなのだ。だけど、ふりかざす正義が彼らにはないのだ。だから、稚・痴・遅・恥・蜘・・・。 血も出ない。

フクダ君のことよりもわが身が大事である。俺は今日眼科に行った。数週間前から、コンタクト装着後6時間過ぎくらいから、右目に異変があった。かすんでくるのだ。時に虹がかかることもあった。

高校野球キッズ時代に、硬球を目に当てて網膜剥離を患って以来、俺の中では「眼圧」なる言葉が定期的に頭を支配していた。

昨年秋に眼科に行った時、「これからずっと目薬をさすようにしたほうが良い。まだ若いんだし~。」と、強制力がありそうな無さそうなジャッジを受けていたが、俺は忙しさにかまけて通院を怠った。

今日は、眼科に行ったら怒られることは予期していた。目薬はもらいに行かないは、コンタクトは耐用期限を上回って装着するわ・・。

眼圧検査と視野検査をされて、院長は俺に言った。「前回来た時と違って、今回は、絶対!です。目薬を点しなさい!覚悟を決めなさい。」

俺は、この院長を信頼している。過度に脅さずに、かといって誤診があったり、甘やかすわけではない。簡潔ではっきり言うが、世の中の多くの医者に見られるような、いつも最悪の事態だけを患者に宣告するタイプでもない。

そんな先生の言うことだから、今回は本当にまずいのだと思った。
「先生、わてのお目目はいかほどばかり患っておるのでしょうか?」と聞くと、「右目の眼圧は正常値が20にたいして30超えで、視野もだいぶ狭まってきている。このままだと、あと10年くらいで、視力矯正しても1.0には届かなくなる。」とおっしゃった。

「先生~~! わては、金輪際通院をぶっちせんようにしますが、来る度に数時間待ちは、ちと酷でっせ!薬だけもらいにきたらあかんのですか?」と俺は聞いた。

先生は「3ヶ月に1回の診察でいいから、とにかく目薬はきっちり点しなさい。その上で、3ヶ月ごとに経過を見せなさい。」とのたもうた。

今日から、目薬を欠かせない、お目目ジャンキーとあいなった・・・。何だか悲しいが、視力を失うのは嫌だ。とりあえず、来週だけもう1度通院して、その後は3ヶ月に1回の通院が俺の生活体系の仲間入りとなった。

この院長の言うことだから聞くが、彼以外なら、俺はまだ無謀に行動していただろう。名医と知り合えて幸せだ。

俺は、この院長と知り合う前までは、眼科医に対して不信の塊だった。富山に移住して最初に行った眼科のおっさんは最悪だった。反コンタクト信者のヒステリック医者だった。

「大変です。網膜剥離になる恐れがあります。コンタクトをすぐに止めなさい。このままコンタクトをしていると、数年で失明します。」と脅された。俺はびびった。びびった気持ちを解消すべく、別の眼科に行った。それが、俺の今日行った、行きつけ眼科だ。

院長は、コンタクトレンズの怖さを説明した上で、正しい使用方法を守っていれば、十分にこれからも使い続けていけることを話してくれた。そして、俺が通院しないであろう性格も見抜いて、手入れの少ないコンタクトレンズの種類を勧めてくれた。

後に、複数の方から聞いたのだが、最初に行った眼科は、かなりの確率で「網膜剥離の恐れ」を説くらしい。そこに行くと、めがね購入者が増えるらしい。

名医とやぶ医者の区別は、一概に言えないが、少なくとも俺は冒頭の医者の教えを守らなかったが、失明していない。「数年で失明」の診察は誤診であったのが、臨床的にわかった。

今日からずっと、目薬を手放せない体となったが、仕方ない。歯磨きと同様、生活習慣に早く組み込んでいきたい。月に1、2回の目薬もらいの巡礼も、3ヶ月に1回の定期健診も受け止めようと思う。

目薬効果で、眼が正常値に近づいたら、冒頭のフクダ君とハトヤマ君とフクシマさんの顔を見て毒づきたいが、今は目の毒だ。

眼が回復したところで、健全な眼では見るに堪えないキツネが我が国にいる。

滅入った1日だった。