2008年10月11日土曜日

吹っ切れた


闘病日記みたいなブログだが、ここ数日の関心事はそれだけなので仕方がない。

今日も点滴を受けた。眼圧低下の点滴を受けると異常に咽が渇く。その理由を看護婦さんに聞くと、点滴薬が、細胞から水分を吸収して排尿させる効果があるものだからとの回答をいただいた。その効果を利用して、目にたまった水分も利尿を促し、眼圧をさげるらしい。なるほど、よく効くはずだ。

今日また1つ薬を追加された。1日2回、70ミリリットル飲む薬だ。点滴溶剤みたいな容器に入ったものを飲んだが、むちゃくちゃまずい。だが今までしてきた点眼、内服液より効果はありそうだ。

18日の手術には、京都から緑内障専門医が来られるらしい。それまでの対処策として、院長先生も色々処方に工夫してくださっている。今日もらった飲用薬は、通常置いていない薬なので、どこか総合病院からわけてもらったみたいで、点滴終了後、夕方に再度取りに行った。なんとか手術まで眼圧がもってくれることを願って治療するしかない。

写真は、今の俺の点眼薬と、今日もらった飲用薬のラインナップだ。これに点滴治療が加わる。俺の両手は点滴跡だらけで、ちょっとしたジャンキーのようだ。

術後に考えたら、なんて大げさな思い煩いだったのだろうと思うと思う。ただ今は、早く心の不安が消えることと、その一方で手術日が来て欲しくないという矛盾した気持ちが渦まいている。

手術に際して、改めて医者という仕事について考えた。特にオペを日常的にこなされる方々の「慣れ」というものはどういった境地なのだろうかと思う。

他人の体にメスを入れ、その後普通にプライベートな時間を過ごせるような境地になれるということ自体が、医者のすごさを表している。目の手術医は、魚の目なんかを見ても医学的な視点から眺めて食すのだろうか?職業病として人間の感情温度など、失うものもあるだろうが、病に悩む患者にとっては、彼らあっての希望の光だ。素直に敬服したい。

手術の度に、患者に感情移入して、またオペ技術に不安を抱えてこなされるのは、特殊な手術に際する場合だけだと思うし、緑内障手術なんていいうのは、一種のルーティーンワークだと思う。

こちらとしてもそれを望んでいる。手術前に医者が、フーっと息を整えたり、「それでは今から手術を執り行わさせていただきます。」といった厳粛な態度でこられたら、それこそ逆に怖いだろう。手がブルブル震えたり、汗をぬぐう作業をされたのでは、こちらもたまらない。また、それほどの特殊性を今回の手術は持っていない。

簡単な回線修理をする電気工みたいに、変な緊張感を持たずに、淡々と仕事をしてくれてこそ手術結果に安心が持てる。何も心配することはない。数十分の恐怖に耐えるだけだ。

術後の感想は書すつもりだが、明日から手術までは、この話題をブログに書くのはやめようかと思う。もう十分向き合ったような気もする。

色んな環境、状況なり、そこでしか学べないものがある。今は闘病(ってほどおおげさではないと思うが)を楽しめるような境地になってきつつある。いいことだ。相変わらず眠りは浅く、寝不足状態が続いているが、こんな時期も大事だろう。

数年遅れで今の心境が歌になったらいいなとも思う。


2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

緑内障の手術なんて楽勝!楽勝!

俺の親戚も何人かやってるし。

俺なんて、扁桃腺をブチブチとペンチで切られたり、鼻の軟骨をノミでガシガシ削られる手術したが、どちらも1週間退院。

手術成功したら、人の守護霊見えるようになったとか言って、副業スタートしんしゃい。

管理猿まえけん さんのコメント...

>matoo氏

おおきに! 何だか気持ち明るくなったわ。2行目まで(笑)

3行目からはちびりそうになった。まじで怖い。あなた、男の子やな~。ほんま感心するわ。擬態語・擬音語リアル過ぎ!(笑)

手術後の副業はしませんが、励ましありがとう。ほんま気が楽になった。2行残して削除したいわ(笑)