2008年4月3日木曜日

桜とオカマの思い出

桜の花の下での花見情報をみるたびに、キューンとなる。このキューンは懐古からくるものであることがわかっているので、実に嫌なのだが、やはり思春期の桜の下で酒を飲むことの喜びを感じ始めた当初の、花見に対する気持ちは別格である。

恥ずかしい話しであるが、今の俺、「御室桜」、「出町柳の桜」、「平野神社の桜」、「円山公園の桜」といった、単語や文節を聞くだけで、パブロフだ。よだれはでないが、脳汁が出る。キューンときて、しばし思考が止まる。

俺は大学中退をした後、人生やけくそになっていた時期があった。とりあえず日銭を稼ぐためバイトを探したのだが、人材派遣の工場勤務の概要は大体経験していたうえ、継続の履歴がなかったので、とにかく少しでも続く仕事をというコンセプトの元、夜からの水商売をあたった。昼間バンドをして、夜働く。そしてライブのある時は休めるような仕事がないか、色々探したあとに残ったのは、木屋町界隈、祇園界隈の水商売だった。

まず最初に目に付いたバイトは、木屋町界隈で、18時から2時までで、自給1200円、店内接客と書かれてあった。俺はすぐに飛びつき面接に行った。

当時のうぶな俺でもわかる。そこはピンクサロンだった。俺の中退の経緯とかを細かに聞かれ、「兄ちゃん、人生、恥を捨てれば金は転がってるんやで。あとはあんたが掴むか掴まないかだ!」と、侠風の金を掴んでいなさそうなマネージャーに言われ、俺は萎縮した。勤務体系を聞くと、月に最低28日は勤務しなければならないらしい。その上給料は18万くらいらしい。俺はやんわりとマネージャーの人となりを否定し、働くことを拒否した。「あの~、時給の求人広告嘘ですやん! 金転がすどころか、搾取されてますやん。」

当時の俺は生意気だった。完全に労働は売り手市場の世情もあり、俺は強気に出た。
マネージャーはいかつい見た目とは裏腹に、「わかるか? 兄ちゃんみたいな若もんがくるとこちゃうで。だからおっちゃんは、給料を安く言ったんや。はよ、いね!」と、独特の荒んだ言い方で俺を追い返した。

続けて俺が目を引かれたのは、「フロアスタッフ、照明スタッフ急募! ステージアクトに興味があるかた歓迎! 時給1500円~、初心者歓迎!!」

俺は飛びついた。すぐに電話しアポイントを取り、面接に行った。

面接担当官は、沖縄出身の兄弟であり、妙にへらへらしていた。目がとろんとしていて、「この仕事したいわけ? いいね~。 今日から来れる? いいね~。」とでれでれ面接で即決。その日に俺は仕事に就いた。

18時の営業開始1時間前に出勤し、チャームと呼ばれる付き出しみたいなスナック菓子を買いに行き、17時30分になった。

「おはようございま~す!」と出勤してくるホステスの殆どが、女子プロレスラーみたいな体躯と声をしていた。

18時過ぎ、ママの出勤だ。ママの出勤前にママの奥さんが出勤してきた。

そう、バイセクママだったのだ。ここは、全国的に有名なゲイバーだったのだ。この時まで、高級クラブか何かだと思っていた。

ゲイバーでは毎日ショーがある。ママ自ら踊り、オカマは必死で踊る。ショーの完成度は涙が出るほど素晴らしい。店員として、ヤクザだらけの客層を見ながらも、ショーに見とれていたものだ。

この店、今でもあり、有名な店であり、太秦ロケを終えた有名人が毎日のようにきた。そして座っただけで1万円近くの料金の散在では物足りないのか、ショー中のオカマの胸元に万札を数枚挟んでは盛り上がっていた。ちょうどバブルに針が刺される直前だった。

初日の営業を終えた。ママを囲んで反省会と俺の紹介があった。ママは、反省会では完全なるガテンおやじと化し、ショーでミスったゲイに、耳をふさぎたくなるほどの罵声を浴びせていた。

俺はゲイにもてないタイプなのか、数人が俺に金玉のホルマリン漬けを見せてくれたりして、色々話しかけてくれたが、おおかたのオカマは俺に無関心なまま初日が過ぎた。

2日目の仕事後、オカマの中で1番図体がでかい奴が、俺にやたらとモーションをかけてくる。なんでも岐阜で暴走族のヘッドをやっていた奴らしい。ウインクが気持ち悪いだけでなく、ニューハーフという形容は不可の、どう見ても、お・か・ま、な奴だ。

奴は仕事後に俺に飲みに行こうと誘ってきたが、俺は常に逃げた。俺が逃げることを手助けしてくれる、別の俺にモーションを送るオカマもいた。顔は・・・・。

俺は辞めたくなって、面接をしてくれた沖縄兄弟の兄貴に相談した。

「すみません。差別する気はないのですが、ゲイバーとは思っていなかったもので・・・。やめさせてください。」と言った。彼は、寮に俺を誘った。

「~~ちゃ~ん、面白い世界だと思わな~い? 俺さ、○子(もちろんゲイ)と付き合っているけど、下手な女より、女らしくあろうとするだけオカマはすごいよ~。 君も新たな世界を見ないか?」と言われた。

良家で育った俺は、その時の会話に、言葉に出来ない退廃さを感じ、すぐにその場を去りたくなった。俺が躊躇している間、その沖縄ブラザーズはシンナーを吸いだした。そして・・・。俺はおいとました。

1ヶ月以内に辞めることを目標に、それでいて働いたバイト料は欲しい。俺は最適な去り際を模索していた。

そんな4月の末、働いて1ヶ月くらい経った日のことだ。深夜に営業を終えた俺とオカマは、円山公園で花見をすることになった。深夜にオカマ10数名が花見に繰り出す光景は圧巻だ。彼女(彼)達の声はとにかくでかくて低い。

ちょうど小雨が降っていた。俺は気にせず1人で歩いていたのだが、そこに岐阜のガテンオカマが擦り寄ってきた。傘を差し出し、アイアイ傘で俺達は円山を愛でた。ボデータッチをすりぬけて、俺は朝方5時ごろ、酔いつぶれるオカマの目を盗んで、マウンテンバイクで家路についた。

その後俺は高熱が出た。歴代の発熱の中でナンバーワンの発熱がこの日の午後だ。俺は36時間ぐらい寝続けた。電話がかかってきていたみたいだが、意識は無い。無断欠勤をしたのだ。

夢の中で犯されていたような気がする。俺は男だ。マンカインドが犯される恐怖というのは、なかなかにミゼラブルだ。

そのオカマに罪はない。奴はただただ本能に忠実に生きているだけであろうが、ゲイバー全体の香水の匂い、野太い声、性転換を受けた人の執念の眼差し。ママの芸にかける執念、明日のことが見えていない沖縄ブラザーズ・・・。

全てのものが屈折した映像として俺の脳裏を襲う夢にうなされていた。3日3晩寝込んだ。偶然だが、おやじが俺のアパートを訪ねてきた。起きた時おやじの顔があってびっくりした。

おやじは俺に、「お前の人生、どうしようと勝手だが、節目節目で迷ったらお父さんに相談しなさい。毎日こつこつと充実感を得て過ごしなさい。」とだけ言って、用事があるからといって出て行った。未だに夢の中のような気がする現実だ。

正直、この時期俺は世の中に対して投げやりで、退廃的な世界に対する憧憬と破滅願望に魅せられていた。そして意図せずにその願望の世界に働き場を設けたのであるが、オカマとの花見をきかっけに、何だか体が拒絶した。(オカマの世界が悪いと言っているのではない。)

オカマと円山公園で花見、後発熱・・・。この後、なぜだか俺は真面目になり、人生に投げやりな発想を捨て、定職を探すようになった。あの時発熱がなければ・・・。とにかく1番精神的に荒れていた時期を発熱が救ってくれた。ただ、タイムリーで我がアパートを訪れたおやじの映像が現実感を持てない。なんとも不思議なひと時だった。

冒頭に戻る。「御室桜」、「出町柳の桜」、「平野神社の桜」、「円山公園の桜」その他いろいろ桜はあるけれど、胸をキューンとしめつけるそれらの桜は、俺の青春を未だ支配している。今見たら感動で気絶しそうな気がする。

3 件のコメント:

naka さんのコメント...

ほんでバイト料はどうなったん?

あられ さんのコメント...

まえけんさんのキューンは深いですね‥
それにしても父ちゃんカッコ良すぎ!
何か映画みたいだ

管理猿まえけん さんのコメント...

>nakaさん
バイト料はしっかりもらいに行きました。行った時間が最悪で、ママが他のゲイに足蹴りかましている瞬間でした。時給1200円あったんです(笑)

>あられさん
常にキュンキュンきているから深くないよ~(笑) 父ちゃんしぶいやろ~。古風を絵に描いたようなおやじでした。同居中でもよく手紙をくれた思い出が・・・(笑)