2008年4月8日火曜日

病の気

今日の通勤道、いつもと違う道を通ったら、お婆さん連中が長蛇をなして連れ歩く場面に出くわした。道いっぱいにはみ出して歩いているので、クラクションを鳴らし、「おどれ、端寄らんかい!」とやからに罵声を浴びせたかったのだが、あまりのマイペースと巡礼者のごとき牧歌的な光景につられ、ゆっくり10キロ走行で百メートル追随する。音が聞こえないのか全く車の気配を感じてくれない。よろけだしたりするわで、危なくて仕方がない。

祖母さん達が目指す巡礼地は、短期契約のテナントであった。ガラス戸に健康の謳い文句がたくさんあり、若くて活きのいい背広が偽善的な笑みで挨拶をしている。婆さん達も嬉しそうだ。

この光景を見た瞬間、「はは~ん、あの商売だな。」と合点がいった。高齢者をコンビニくらいの会場に集め、健康食品、器具を売るあの商売だ。もちろん最初は不審がる婆さん達の心をひくために、結構魅力的な商品を「来場者全員にプレゼント」として配る。

最初は、品物だけでももらいに行こうか?と軽い気持ちで顔を出す。婆さん達の中では時間が悠久に流れている。少し病院での会合を減らしたら良いだけで、都合はすぐにつく。

警戒して行ってはみたものの、そこで繰り広げられる宣伝パフォーマンスと心を掴む営業マンたちの話術、そして何よりも心の空白を満たしてくれる対話とボディータッチ・・・。彼女達はその瞬間に、真の巡礼者と化し、毎日定期的に参加する。数ヵ月後その店は無くなっている。売るものを売れば場所を変えて、次なる商い場所を探すのだ。
売り手も巡礼の旅を続ける。黄金への巡礼だ。

俺は以前この仕事をしたことがある。俺の初めての正社員での仕事がこの業種だ。

大学を中退して2年間、バイトだけに明け暮れていた俺も、ちょっと定職に就こうかな?と思い出した。求人誌を見て俺が飛びついた仕事がこの業界だ。センスが悪すぎる。

「学歴不問、あなたのやる気で高収入可能! 月収例:29歳営業所長・・・70万円
年に1回海外旅行。昨年はハワイに行きました(ここで楽しそうな写真が掲載)。」

こんな文句に飛びつくのが若人だ。俺は就職という人生の節目を選択するにも関わらず、大人に全く相談せずに、履歴書を書き、即決採用で働くことになった。

2週間の間、毎日近江商人の「天秤の唄」やら、コテコテの商いビデオを見せられたり、金持ちになる意欲を掻き立てる教育と、顧客本位であることの思想洗脳があった。そして現場へ。

現場(つまり販売会場)に入ったが最後、その場所での販売が終わり、場所変えするまでの間、社員は寝食をその会場で共にする。休みもほとんどない。朝7時くらいから夜遅くまで働き、売り上げに応じて食費の支給が変わり、買い物自炊か豪華な外食かが決まる。

俺は才能があったのだろう。会場デビューした日に実演デビューさせられ、朝鮮人参と磁気蒲団をえげつない額で数人の婆さんに売りつけた。毎日朝礼でべた褒めされた。

仕入れ値から売値に行く間に0が2つ増え、効能は全く持って疑問なのだが、実演で言っている健康に関する雑学は嘘ではない。違法ではないが、売値の道義に良心の呵責を感じずにはおれなかった。

婆さん達も単純で、数十万する磁気蒲団で売りつけた後、3日寝ただけで、「すごいわ。階段上がれるようになった。あんたのおかげや。」と俺を拝んでくる。俺は心で、「お前は前から上がれたんじゃ。今までサボタージュしていただけじゃ! 単純ばばあ!お前のせいで辞めにくくなったやんけ!」と毒づいた。

会場に缶詰でバンドは出来ないわ、音楽聴けないわで、発狂しそうだった。嫁と当時には付き合っていたのだが、就職決まった時点でネクタイをもらっていて、辞めたくてもやめられそうになかったのだが、毎日脱走することだけを考えていた。窓枠の開閉とその出た先からの通路、そして持ち込んだ生活用品の搬出をどうしよう?・・・。思案を重ね、1回目の休みに俺は生活用品の持ち出しをした。そしてそのまま逃げたかったのだが、夕方には会社の上司が迎えに来た。

1度切れた気持ちは戻ることはなかったが、とりあえず俺は連日婆さん達にたくさんの品を売りつけた。年金ローンを組んだ人もいる。良心は張り裂けそうになり、2回目の休み、俺は家を不在にし、実家の友人の運転で福井までドライブに出て、しばらく音信不通にした。

良心をこれ以上痛めなくて良かったと思う気持ちと、就職を2ヶ月で放棄した卑下心、社会生活というものが、何だかえげつなく手ごわいものに感じて、そこから半年俺はフリーターに舞い戻る。何だか酸っぱい思い出だ。

その会社は今も都の一等地に事務所を構えている。全国にグループ会社があり、それが我が住む町にあったことも働いていた当時に認識していた。1つ1つの会社の年商と経常利益が、従業員50人規模の製造業並にあるのだ。従業員15名ほどの仕入れ商売でだ。

彼らの仕事が悪いとは思わない。現に、どう考えても科学的には効果がないと思えるブツが、祖母さん達の歩行を促し、彼女達の余生に光明をもたらしたのは事実だ。
「病は気から」この言葉は、特に高齢になってから肝に銘じるべき言葉のような気がする。俺が売った特殊蒲団も、朝鮮人参も、錠剤サプリメントも、みんな彼女達に効果はあったと思っている。いや、思いたい。何より身寄りのいない高齢者にとって毎日話す若者がいる環境を提供すること自体が彼女達にとっては大きかったのだろう。

それに実演する側も真面目に化学的な健康関連書籍を勉強し、それに対して誇大広告や宣伝はしていなかったように思う。「この蒲団で寝たら、ずっと寝たきりだった人が数週間で立ち上がった」などと言う、多分に意識の問題であろうが、実話を体験者の実名入りで宣伝したりするのだが、嘘ではない。

ただ、効果があるから暴利をむさぼっていいかというと、色んな価値観があるが、個人的には否だ。何だか、騙しているという意識はぬぐえないでいた。それに俺自身が売っている商品を良いとは思えなかった。営業たる仕事、自分が良いと思えない商品を売り続けるのは困難だ。

今日見た祖母さん達の集い場は、数ヶ月でまた空テナントになるだろう。肉体的、精神的に何かプラスを得る人、損失する人、いろんな感情と価値観が交錯して集い場は移動していく。

明日からはしばらくその道を通らないでおこうと思う。精神的健康に良くないのだ。
「病は気から」。気にも色々あるものだ。気色悪い。

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