2008年4月9日水曜日

ちょっと噛んでみる

※ M主党日銀総裁は認めるも副総裁に反対

もう、なんだか笑えてきますな。天下りがどうのこうの言っているが、副総裁案に出た人を天下りというかというと、ちょっと違う気がする。それを言い出したら、日経連やら全ての組織のトップ配置も広い意味では天下りになるのではないか?

よくもまあ、最初に反対ありきで、色んな理由をつけてくるものだ。鳩君とO沢君のいがみあいだけで頑張っているのだろうが、ここまでくると奴らは本物の・・・だ。

・ ・・にはもちろん蔑みの言葉が入ってしまうが仕方ないだろう。

M主党の若手議員には、結構ちゃんと主義主張がある人が多いようにも思える。個人的には支持したい人もいるのだが、やはりグループとしてはしょぼい。若手の有望な人たちが、発ガン物質とがん細胞に睨まれて、不自由にもだえている姿を見るのはしのびない。

とてもじゃないが、政党としては支持できそうにない。与党の派閥主義を批判している奴らが1番派閥に拘束されているように思う。真面目に議論して、それを「へ~、へ~」と聞いて、正義の仮面をまた1つ手に入れようとするが、奴らは屁~にもなりゃしない。

与党のボスもひどい。人間的には結構好きなのだが、国のボスがあれじゃや、低レベルでも倒せそうだ。ドラクエ的に言えば、薬草を持っているだけで、呪文を唱えられない。せめて、ベホマラーとまでは言わない、べホイミぐらいのレベルで国の舵取りをしてもらいたいものだ。

政治に噛み付くのは飽きてきたが、やはり噛み付く意識で政情と国の行方を見ないといけない。政治的無関心は大人ではない。だから何とかしてくれ。


※ 一般市民裁判員制度が来年5月に実施

これはもう、制度の発案としては、理想論的な部分も含めて是だ。今までなかったのがおかしい気がする。文書化された定義の解釈だけで判決が決まること自体の素晴らしさと、それでは補いきれないマイナス面が、人が人を裁くという業自体に内包している。そんな中で一般市民が、どこまでかはわからないが、いっちょ噛みを現場で出来るようにした意義は大きい。

ただ、色んな問題点がありそうだが、何で、重大犯罪のみに限定されるのか?

凶悪犯罪なんかこそは、法のプロに任せるべきだと個人的には思う。一般市民レベルで凶悪犯罪に法解釈を挟んだら、法のプロを悪戯に惑わせるだけだ。そして本当の意味での画期的な判決も逆に出ないような結果になっていくと思う。

やはり法に対してアマチュアが口を挟めるのは、民事レベルの裁きだ。いつ自分が直面してもおかしくないような日常生活に絡んだ地方裁判レベルで参加させていただきたいものだ。

法律を一般教養でかじっただけでも、その究極の限界と、それだからこその深遠さを痛感した俺は、法曹界に身を置く人たちの日々のモチベーションを尊敬している。彼らの多くにとって、民事の裁判こそは、情的な部分を挟みたくなるものではないかと推測している。

法的には正論でも同義的にアウト! という事例がたくさんある。例を出すとややこしくなるので出さないが、そんな裁きこそ、市民参加があってしかるべきであり、そこに一般市民の何気ない仁義が発言となって現れたとき、法解釈は広がる。広がりすぎる弊害はあるかもしれないが、事務的な処理に人間的解釈を挟むことが出来る余地は民事にあると思う。

凶悪犯罪なんかは、同義的には100%わかっているのだから、そこに市民の意見を挟む余地はない。たとえ死刑であるものが無期懲役になろうが、それはプロが下した判断、それに従うしかない。死刑の是非などのイデオロギーは、別問題として処理せねばならない問題で、法治国家である以上、プロの場にアマチュアが出て行ける場と、そうでない場があると思う。

一般市民裁判員の打診は年内にあるみたいだ。くじで抽選というが本当か? 

1番危惧しているのは、一般市民の司法参加という、字義的には申し分ない正論が、プロの労力を増やすだけの結果になり、かえって混乱が起きる自体にならないかということだ。法曹界のプロの真摯な働きに横槍を入れるような制度にならないかを危惧している。種々の経験を通して問題点は是正されていくのであろうが、谷間のデメリットがメリットを超えないことを願う。

それにしても、世の中の動きに対して噛み付く頻度が増えている。こんな俺は実際の内情や政策の本質は知識としては浅学だ。そんなくせして噛み付きたくなる昨今の自分に、少し嫌気がさすと同時に、これをきっかけに色々学ぶべきことなんだろうという気持ちにもなる。

基本的に外野の冷やかしなんだろう。だから好き勝手なことを言うのだろうが、果たしてどうなんだろう? 何だかかっこ悪いことのような気もする。でも今の俺の精神レベルがこの程度であることを文書化して露見させることが、ばりばりの文系感覚人間が科学と繋がれる唯一の接点であるのかもしれない。
読み返さないから言いっぱなしの吐露だが、実名ではないにせよ、ばればれの実名批判を電波に載せる俺、こんな俺を裁く裁判があれば市民参加してみたい。ブログ本質の是非の裁きには、まだまだ時間が必要だ。それまでに折り合いを探したい。

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