2008年4月18日金曜日

素朴な疑問

チベットをめぐる中国の姿勢にからむ問題、オリンピックをまきこんで大きな騒動を各地で巻き起こしている。一般客が入れない厳戒態勢の競技場内での聖火リレー、「大きな混乱はありませんでした。」との報がなされていたが、そりゃそうだ。一般人を排しているのから。 なされている事実自体を大きな混乱という気がするのだが・・・。

日本においては善光寺がスタート地点への拒否と中国の姿勢への遺憾の念を表している。

中国とチベットの問題にどのような背景があるかも含めて無知に近いが、素朴な疑問がある。

そもそも、なんで領土を広げたくなるのだろうか? 石油が無尽蔵に取れる土地であるとか、莫大な利益をもたらす何かがあるのならば、道義は別として、わからなくはない。

ところが、中華の僕ちゃんたちは、有史以来、常に領土拡張を計っているが、その土地は同じ大陸の、ほぼ似た土壌であり、そんなにむきになって取りに行く土地でもないように思う。そもそも、今ある土地自体をしっかり把握できていないのに、奴らの意図が何だかわからない。近隣の奴らの自治がそれほど嫌か?土地が魅力的だからといった問題でも道義的に許されないのに、彼らの拡張への野望には、幼児性が見え隠れしてならない。

領土侵略としての被と加の立場をどちらも経験し、こりずにくり返してきた中華、そのたびに壮絶なリンチを受けている。被害者になる前段階では加害者として、数ある民族をしばきあげている。そして、自らもしばきあげられる。それでも奴らの歴史には被害者としての事件しか記されない、いや、忘れているのだろう。加害者たる時は、そこに中華思想を設ければ、奴らの解釈では自らの行為は残虐なものにはあたらないようだ。彼らの解釈の儒教精神なんかいい加減なものだ。

過去の事例を記し、そこに何かを見出して、先に進んでいく教訓に変えるために歴史が学問として存在し、そうした社会科学を育んだ社会を文明社会と呼ぶのであれば、中華は未だに文明未開化の国であろう。

領土を広げたいという欲望の根底は、見るものこじきの幼児思想と同じだ。手にしたおやつをまだ食べていないのに、人の食べているおやつをねだる幼児のそれだ。まだ解いていない問題集がたくさんあるのに、次なる教材を欲しがる学力低迷キッズのそれだ。

そんなキッズに大人の我々は注意する。「前買ってあげたものがあるでしょう? それがなくなってからにしなさい。」見るもの全てを欲している幼児に限って、持っているものを十分に賞味し、活用していない。今あるパイの魅力に気づかないまま、別なるパイに魅了される。

大人の国々は中華に注意する。しかし、注意の仕方が大人言語だから奴らに通じないのではないかと思う。

「コ君を始めとする君たち、欲しがる気持ちはわからないでもないよ。でも、今持っている土地に何人の人がいて、どこでどのような部族がどのような生活をしているか、しっかり理解している?わからないなら、それが全部わかってから、次のものを欲しがりましょうね。まずは今の国の山、川などを白地図に書いて、そこに暮らしている人の数を数えようね。100までは数えることができるでしょ? その100を何個も組み合わせて、他の国の人たちに、数え方聞きましょうね。それからもう一つ。各土地で何が作られているかなんかも調べてみると楽しいよ。それからもう一つ、昔から起こってきていることを、文字は難しいけれど、読んでみるとわかることがあるよ。それまでは、チベットお預け!」

こんなレベルで教えてあげたらいいのだと思う。被害者意識だけを活力に変える国だから、聖火になんか攻撃したら、彼らの思うつぼだ。じっと静観してあげる一方で、お預けを世界レベルで宣告すればいいのだ。

一部の経済学者が、中国の経済発展を声高に叫ぶものだから、どこも彼らの市場に配慮して強気なことを言わないが、経済発展は砂上の楼閣だと思う。海外への出稼ぎ労働者は減らない一方で、経済的な発展を遂げたといっても、それは地区別にみた経済発展だ。経済的に潤っている地区だけに目を向けて、それを中国という国名でくくるのはおかしい。経済発展がなされている地区を、彼らの嫌いな自治区という呼称にして、広大な領土をむしろ細分化すればよい。

むやみに領土を広げたくなる欲望は、歴史的に見れば中国だけではない。植民地を次々とあちこちにこしらえた西欧諸国なんかも、今から思えば、何をむきになって陣取り合戦をしていたのだろうと思う。しかし、有史以来、膨張と縮小を繰り返している国は彼らだけだと思う。

中国批判の世界的風潮がある今、最も大切な議論すべきことは、「何で領土を広げたいの?率直に話しましょう。」といったトピックだ。これが解決しない段階で、イデオロギーや宗教的思想を議論の場に持ち込むのは、悪戯に話をややこしくするだけだ。

柔和な顔立ちの漢民族を始めとする中華内包民族、彼らの幼児のようなまなざしを大切に、その欲しがる気持ちだけは、大人の周囲が注意してあげるべきかもしれない。謝ることができない国ではあるが、幼児はすぐに調子にのっても、毅然とした態度にはびっくりして泣きだすものだ。今こそしっかり彼らの偏った華に真の肥料をあげる時のような気がする。

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