2008年4月14日月曜日

異郷の思い出

チープの明君から、昨日久々に電話があった。福島を離れ長野の地に働き場を求めて赴任し2週間ほどたった頃だった。

シンガポール人相手の業務が中心らしいが、以前、明君はシンガポール人と喧嘩しているので、何だか潜在的な憎しみがあるのか、いまいち気乗りした近況報告ではなかったが、それなりに新しい環境に順応しようとしている雰囲気は感じた。

色々話をしていると、頻繁に「早くも帰りたくなってきたぞ!」と言う彼。
まあ、そんなこと言わずに・・・と俺は言ったものの、彼の気持ちは痛いほどわかる。

22歳の頃、俺は某ハンバーガーショップに就職した。正社員としての就職は、過去ブログでふれた、老人に希望を与えるであろうホープレスな会社に続き2社目だ。真面目に働く気まんまんの俺は、先輩にスーツを借りて面接に行き、無事に採用していただいた。

入社日は1月16日であったと記憶している。入社日の翌日から業務研修ということで、浦和の町に25日間の宿泊研修に行くこととなった。バンドが1ヶ月近く出来ないのは辛かったが、短期留置のつもりで、俺はメンバーに、お勤めの旨を話し、新幹線に乗った。

ハンバーガーを始めとする商品の製造から、業務管理、勤怠管理など、店舗業務全般を叩き込まれる研修であった。バイト上がりで社員になった人がほとんどで、俺みたいに求人誌を見てきた、ごきげんな奴は30人くらいの中で4名しかいなかった。オペレーションやら商品知識で絶対的な遅れがあった俺は、闘争心でクリアし、トップの成績で研修を終えることになる。やれば出来るの僕・・・。

研修初日から俺はホームシックに苦しみ、その辛さを紛らわすために、初対面の同室の奴と別室の2人を巻き込み、初夜からポーカー博打に精を出した。しっかり見つかり、こっぴどく叱られた。

研修中には合計3日休みがあった。俺はポーカー仲間と一緒に府中競馬に行き、夕方からは雀荘で卓を囲んだ。門限を破って再度のお叱りを受けたのは言うまでもない。

郷愁にかられる思いは辛かったが、カウントダウンを頭で行い、終了する3日前くらいには、「もうちょっとここにいてもいいかな?」ぐらいに思えるようにまで、研修を楽しんだ。鬼教官はとにかく嫌な人だったが、仲間に恵まれ、研修仲間との軽い別れの辛さを抱くまでになった終了1日前、俺に判決が下された。

短期留置は実刑1年の服役になった。お勤め先は名古屋刑務所、いや、名古屋の店舗だ。

判決、いや、辞令を聞いた夜、俺は布団の中ですすり泣きした。昨夜までは友との別れの名残惜しさはあったものの、「やっと帰ることが出来る」という思いが俺の心を支えていたにも関わらず、浦和から大阪に帰るどころか、名古屋で途中下車だ。

研修中の賭博容疑による判決だろうが、あんまりだ。俺は逃げ出したい衝動にかられた。

研修終了後、本社に挨拶に行き、新幹線の切符を受け取る。俺と数名を除いた奴は、みな実家から最寄りの店舗に配属だ。俺は京都に帰る奴と同じ新幹線に乗り、尾張で途中下車した。西に向かって走り行く新幹線を見ると胸が締め付けられた。「帰りたい。」

もう、やけくそだ。妙に開き直った俺は、配属店舗に挨拶をして、軽く業務と店舗説明を受けたあと、借り上げマンションに案内してもらった。

マンションは9階建てだが、実に高齢だった。町の雰囲気自体に何か荒んだものを感じた。ドアの前に宅急便で送られた布団が置かれていた。

部屋は3LDK,一人暮らしには嫌味なほどの広さ。そこにあるものは布団だけ。寂しくて寂しくて、俺は案内して頂いた上司が帰られた後、夕方から散策に出かけた。

完全なる労働者の町なのだが、炭鉱町の晩年がこんなんだったのだろうか?と思うほど、妙に町全体が疲れきっているというか、寂れた怖さがあった。低迷続く某大手自動車メーカーの工場があり(現在は閉鎖)、工場行きの電車への乗り換え駅が最寄りだったのだが、何だか町全体が病んでいる気がした。

悲しくて悲しくてたまらなかった俺だが、悲しみに打ちひしがれることは、俺の本来の性分ではない。俺は翌日からこの町を楽しんだ。

仕事きっちり~、遊びきっちり。オンとオフを使い分け、休みの度に俺は名鉄や地下鉄に乗り、一駅一駅降りては、町の散策を楽しんだ。1日に30キロくらい歩いた日もあった。住んで1ヶ月、俺はすっかりこの町が好きになった。

アルバイトの奴で大学生のいかした奴がいたのだが、そいつと俺は仕事終わりに、頻繁に居酒屋「夜明け」に繰り出した。ホルモンが美味い店だった。他のバイトの奴とも仲良くなり、冷蔵庫やらラジカセなんかをもらったり、お食事を呼ばれたり、なかなか幸せな日々を過ごした。

ホームシックは常に俺を支配していたが、また、振り返った今だから抱ける良き感慨かもしれないが、いつ終わるともしれない名古屋での生活には喜怒哀楽がぎっしりつまり、遅れてきた俺の青春の最終章であったようにも思う。親父のガン告知を契機として1年近くで俺は名古屋を後にし実家に戻ることになる。終わりはあっけなかった。

書いていてなんだか熱くなってきた。いずれ改めて名古屋への思いを綴りたい。

長野という異郷で暮らし始めた明君、彼の青春最終章は今始まったのかもしれない。
ヤング明君、今を生きろ!

0 件のコメント: