2008年7月23日水曜日

素人床屋

今日、髪を切った。いや、切ってもらった。嫁の素人床屋3回目の体験だ。

たしか、最後に床屋に行ったのは昨年の11月7日だったと記憶しているので、8ヶ月で3回目の素人床屋だ。今年は、ずっと嫁の散髪できたことになる。

最初は半信半疑だった素人床屋だが、3回目ともなると慣れたもんで、文句も言わずにちんといすに座っていた。切っている途中で眠くなるくらいだから、安心感も芽生えている。

俺の中でもっとも嫌な行事であった散髪に行かなくて済むというのは、個人的にかなりのストレス軽減だ。従来なら床屋に行く数日前から、1日伸ばしでぐずぐずしていたのだが、今はそういった気分もない。素人床屋、気に入った。

今後は、パーマを当てたり、ぐれて染めたりすることがない限り、嫁に切ってもらおうと思っている。

散髪屋さん、美容院、ここ10年ほどで、随分と増えたが、どこもそれなりに固定客がついているみたいだから、一般的には、髪を切りに行くという行事は俺のようなストレスを伴うものではないのだろうと思う。

人の髪を切る業界で、鋏1本で生計を立てている人たちをすごいと思うし、決して、彼らに不信感を持っているわけではない。ただ、ちんと長いこと座っているのが嫌なのと、他人が刃を顔面付近にちらつかせているのが嫌いなだけだろうと思う。

それにしても、髪の毛を切るという同じ行為にも関わらず、理美容業界で所得格差が出るのは不思議だ。

ある美容師は半年先まで予約が詰まっていて、1回のカットで数万円をとると聞いたことがある。清原選手の丸刈りも数万円とも聞いたことがある。

俺の美的感覚が狂っているのだろうが、数万円の丸刈りと、1000円の丸刈りとの差があまりわからない。

彼らの業界で成り上がるのも大変だろうと思う。

最後に床屋に行った時、床屋の兄ちゃんに、あることを聞いた。

「流行の髪型とかの練習って、ベテランなってもされるのですか?」

兄ちゃんは答えた。「そうですね。毎日が勉強ですよ。一般的なセオリーはありますが、自分のパターンにない、優れたカットを見ると、ついつい練習したくなります。おかげで家には髪きり練習用の、顔から上の人形がいっぱい転がっていますよ。」

う~む。オカルトの世界だ。生首が家中にごろごろしている家というのも凄まじいものがある。なんでも、髪付き生首を売ってくれる業者がいるそうだ。そこから仕入れて、ご主人自ら、また、見習いの子達に切らせているらしい。1度切った髪は当然ながら生えないので、使い捨てらしい。

俺は聞いた。「つるっぱげになった生首は不燃物で捨てるのですか?」

兄ちゃんは言った。「本当は不燃物の日に捨てたいのですが、すごい量の生首を出すのはなかなか抵抗があって、業者に金を払って引き取ってもらっています。」

そらそうだ。ゴミ袋一杯に詰まった生首を不燃物現場で見たら、俺はすぐに110番するだろう。理美容業界には業界の苦労があるものだ。

彼らの苦労と優れた技術を廃れさせないためにも、年に1回くらいは床屋に我が微銭を落としに行くべきだとも思うのだが、俺の髪型は、髪付き生首を使っての修練を必要とするようなものではない。だから、素人床屋でよしとする。

2 件のコメント:

カラス さんのコメント...

一番最初の職業は美容師だったのだけれど選んだ理由の一つには散髪屋嫌いがあった。チンと座っているとパニックになってしまうのだった。なかなか読み応えがありますな毎日。参考にしています。

管理猿まえけん さんのコメント...

>カラス氏
え~、美容師やったんですか?意外や意外。

カラス氏に毎日読んで参考にしていただけるなんて、感激の極みです。ほんと嬉しいっす。

過去ブログも是非、お暇な時にたどってください。ほんまのカラスについて書いたものもありますよ(笑)。