2009年1月17日土曜日

姓名判断

今日、以前の会社の同僚と久々に話した。彼には昨年待望の娘さんが誕生されて、そのお祝いを遅ればせながら手渡した。

娘さんの近況、出産までの秘話なんかも聞かせてもらった。

面白かったのが、普段は迷信、占いなどを全く気にする風でもなかった彼が、愛娘さんの誕生に際しては、熱心に姓名診断所に通ったということだ。彼に詳しく姓名診断について聞いた。

総・天・人・地・外 と格がそれぞれあり、画数でそれぞれ診断されるらしい。これがまた、結構当たるらしくて、新聞の「お悔やみ欄」なんかにある名前には、画数の悪い名前が多く見られるらしい。

俺はこれを聞いて、「たまらんの~。ほっといたれや!」と思った。「お悔やみ」までもが姓名の画数ごときで支配されるなんて、ばかばかしい!と思った。いくら運命に支配された人間とはいえ、姓名の画数なんかにまで、その支配が及んでいるとは信じたくない。

「ふん、しゃらくせ~! 名前は名前、個別認識の記号にすぎない名前が、運命を支配するくらいやったら、全員画数のよい名前にしたら、死亡率減るんかい! 」と聞き分けなく心で罵った。「俺は絶対、そんなものは信じない。」とも思った。同僚が姓名診断にこったことは、親心として理解しながらも、俺に子供が出来ても、絶対しないと思った。

俺の「絶対」は、すぐに相対化され、絶対でなくなる。

彼と別れた後、何となく気になった。携帯で姓名判断ページを探したら、無料診断のページがあった。俺は自分の名前を入れてみた。週刊誌の占いを見るような気分で、鼻くそほじりながら、「へん、おもろいやんけ! 見てやるわ。」と、なめた態度で入力後の画面に目をやった。

「天格」というところを読むと、「義理人情型」とある。
俺は鼻くそをほじって、ふっと吹き飛ばしながら、「そやな~、わしは義理と人情には厚いで~。でもほとんどの奴がそうちゃうか? やっぱ無難な言い方しよるの~。」と緊張感なく読み進めた。

次は「天格」であり、それには「五行的性格 木タイプ」と書いてあったと思う。これはよくわからないので、「まあ、しいていえば、俺は木かな・・・・。」と詩的に満足していた。依然、緊張感はない。

その後、順番は覚えていないが、格を上から読んでいくと、「独創的なアイデア師」という言葉が出てきた。少し嬉しくなった。褒められるのはいくつになっても嬉しいものだ。俺は少し姓名判断を好きになりつつあった。

でも、「褒めてのめり込ませようというのが、山師の常やんけ。これごときでは僕はだまされへんで! ふふ・・・。」と少し穏やかながらも噛み付いた。

その次には「ギャンブルタイプ・・・ツキを呼べばとどまるところをしらず」とあった。
少しドキドキした。「そうなの僕、ギャンブルタイプなの・・・。何でばれた??? とどまることをしらないツキの呼び方教えて!」と、読み進める目に力が入った。

次は恋愛タイプだった。「口説きの達人」とある。「くお~~ら! 誰が口説きの神やねん! いや、達人か。 どっちでもいいわ、わしはフェロモンで売ってる男じゃ。そら、グーギャと話術には自信あるけどやで~・・・。」 なんか尻軽男みたいに評されているみたいで、少し気分を害す。

次には総画の説明だったと思うのだが、ここで俺は痺れた。痙攣した。怖くなった。

「面倒見がよく親分肌で、人のために一肌脱ぐようなところがあります。波乱を呼び込む運命であり、浮き沈みが激しい人生となるでしょう。考えるよりもまず行動するタイプで、少々短慮なところもあります。人情に厚いので、多くの友人に恵まれます。」

読んだ後、しばし固まった。その後、不気味に笑った。「当たってるやんけ!」
「浮き沈み激しい」やら、「短慮」やら、頭でゴングが鳴る表現もあるのだが、否定できない。まさしく俺の評だ。

笑うしかない。今まで色んな占いを読んだことはあったが、ここまで当てられたのは初めてだ。俺は姓名の神秘を感じた。「姓名診断士、もしくは易者になろう!」とまで、短慮な頭で一瞬考えた。

「信じなさ~い。姓名判断当たっているあるよ~。」 魅せられた俺の姿がしばしあった。

だが、短慮かもしれないが、思慮も少しは身につけた俺、念のため、嫁の名前も入力した。
すると、恋愛タイプに「男は金」と書いてあった。僕と結婚したの、金目当て????

俺は笑顔で、携帯画面に、「ボンジュール!」と、貴族の突っ込みを入れた。「んなあほな。」洗脳体験は短かった。

ただ、姓名判断自体を、頭から否定していた数分前の俺はいなくなった気がする。
姓名診断は時に正しい。時におかしい。ただ、親が子を思うために、時に姓名判断にすがるのは、人によってはいいのかもしれない。否定は出来ない。どきっとした瞬間もあったので、俺は一応、姓名診断を肯定する声明を出して締める。

「生命は姓名にしばられるほど小さくはない。だが、盛名を願う親の気持ちは清明だ。」
(『まえけん全集第8巻 「思慮ある声明」より』

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

苗字が変わったりもするし、そもそもまえけん氏なら、同じ姓名の人物がこの日本国内けっこうたくさんいらっしゃると思います。画数にしたらなおさら。
その皆が同じくくりで判断されているのか、と思えば、結局私には疑問です。
アルファベットやハングルにも画数ってあるんですかね?
…調べようとは思いませんが。(笑)

管理猿まえけん さんのコメント...

>さみーちゃん

ほんまその通りやわ。アルファベットの画数は筆記体で書けば1か2画やし(笑)ありえんよな~。
「チェンバル語」にもあるんやろうか?(笑)