2009年1月26日月曜日

錆の美学

朝青龍の優勝、朝やんファンとしては、最高に嬉しい。本割で決めずに、優勝決定戦で決めるあたりも、実に劇的で、気持ちの強さが体調を補える朝関の真骨頂である。

皮肉にも、白鵬関が言った、「メイクミラクル」は、朝青龍をひきたてる言葉になってしまった。すごい精神力だと思う。

白鵬関を軽く見る気はないし、朝青龍不在の間、優等生横綱として角界を守った彼の功績は大きいと思う。

でも、生まれ持った星というか、それぞれに与えられた役の差というか、朝青龍のすごさとくらべると、白鵬関はまだ、色んな意味で並みの横綱だと思う。

「出る杭は打たれる」から、「出まくった杭は打たれない」の過程にある朝関は、本当の意味で名横綱だと思う。彼を叩くだけ叩いていた人が、これからどのように手を返して賛辞を送るか見ものだ。

まず最初は、あえて苦言を呈したりして、方向転換をしていくのだろうが、朝関の精神的な強さを持った日本人がいったい何人いるかと考えた場合、外国人力士がこれだけ国技に入ってきた現在、角界界隈の評論家も、国技という十字架に縛られたレッテルを剥がして、色んな性格的多様性と、それぞれの品格の表し方を認めてあげるべき時期に来ていると思う。朝関、素晴らしい相撲をありがとうございました。

朝関の復活Vに沸いて、少し隠れ気味だが、魁皇関の「歴代ワースト12度目のカド番脱出」も、敬服したくなる戦跡だ。

カート・コバーンが「錆びるくらいなら燃え尽きるほうがましだ。」という、ニール・ヤングの言葉を残して自殺したが、この言葉はロックである。しかし、俺自身は、「錆びきっているかもしれないが、それでも突き進む。生き恥をも辞さない」という精神もロックだと思う。

こんな俺の不様に見える美学を、角界で体現してくれたのが魁皇関だ。どう考えても怪我で万全な取り組みを出来るはずもないのに、未だに取り続けるしぶとさ、その姿勢と眼と、多くのテーピングに涙をそそられた。

「錆びきっているかもしれないが、それでも突き進む。生き恥をも辞さない」という美学の理由を、「ただ単に好きだから」という初期衝動に貫かれた姿勢で邁進し続けるのが、ボクシング界の辰吉選手だ。

もう、好きで好きでたまらない。男として本気で惚れるのは、清原選手、イチロー選手、桑田選手に次いで彼だ。

不良がかっこ良かった時代の晩年に生きて、過去のどんな不良よりもかっこよかった辰吉選手は、同年齢であるが、見ていてこれまた敬服してしまう。

マスコミの注目度は低かったが、昨年の辰吉再起戦、5年ぶりにも関わらず、2R、TKOで飾った。網膜剥離に対しての日本のルールが復帰を認めないから海外でやる。その理由は「ボクシングが好きだから、4つ目のベルトを取りたいから」

なんて単純で分かりやすくて美しい動機だろう!いい意味で、自己中心的になれる男の美学がここにはある。マンガでも、ここまで美しくは描けないと思う。

それを評論家は、今のパンチは全盛期と比べてどうのこうの・・・とこねくりまわす。
もう、そんなレベルを超えた世界で生きている人たちに対して、吐ける言葉ではないと思う。

「やる気があればなんでもできる」とか、「最後はやっぱ気合だ」とか、精神論的な言葉は、時に安っぽく聞こえる。俺は嫌いだ。

だが、この安っぽい言葉を、文句なしに吐ける資格を持って、そして体現できる人たちが、わずかであるが存在する。そんな彼らはロッキンである。

早逝したロッキンな先達も好きだが、今なお錆を美しく輝かしてロッキンしている音楽人も好きだ。

スポーツを見る楽しみは娯楽的な要素もあれば、技量のすごさを堪能する要素もある。でも俺が惹かれる要素は、錆の美学を体現してくれるロッキンなアスリートを見て、尋常でない刺激と興奮をいただくところにある。

朝関の錆の美学に魅せられた日だった。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

横綱朝青龍「帰ってきました」がいいですよねー。彼の精神力にはほんま、脱帽です。
結果が出せるというのがすごいでしょ。

そして、私も辰吉選手が好きです。彼こそ錆かなーと思いました。彼ぐらいまっすぐな人に、格好悪いことなんて何もないと思います。

管理猿まえけん さんのコメント...

>あられちゃん

このツボわかってもらえて嬉しい。
「帰ってきました。」を、「横綱の言葉としては軽い!」とほざく、鎖国時代の精神構造の評論家がたくさんいますが、朝やんはとにかくかっこよかった。白鳳と2人、対照的で面白い両横綱時代だわ。

相撲に見識あるあられちゃんと同感で、素直に嬉しいっす。辰ちゃん含め、錆の美学も応援していきたいね~。